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第八話 『胎動』

 鹿野四郎忠正は、由緒正しき鹿野無心流を伝える剣術道場の第四子として生まれた。

父はその師範である忠徳(ただのり)。歳の離れた兄が三人居り、彼は末子であった。


 彼は父に期待などされていなかった。

既に熟達した腕を持つ兄が居る上、彼はあまりにも歳が離れすぎていたのだ。

だが、彼は剣を振るうことが好きだった。

一日中剣を振るい、手の皮が裂けようとも木刀を握り続けていた。


 そこに目をつけたのは既に忠徳に代を譲っていた徳明(のりあき)である。


「お前が父に認められたいというのならば、強くなる他ない」


 そう言って、彼に剣術を教え始めたのだ。


 強くなければ意味が無い。


 敵を打ち倒さねば意味がない。


 何よりも強くなければ、鹿野無心流を継ぐことすら出来はしない。


 矛盾した話である。しかし先を行く兄の姿を見てきた忠正には、

その言葉が何よりも真理であるように思えていた。


 忠正の歳が十を数えるほどの頃、彼はその才覚を開花させていた。

同年代のものどころか、元服間近の歳のものとすら渡り合って見せたのである。

忠正にはいわば天稟(てんぴん)の才があったのだ。


 父にもその才を認められた頃、ある一つの大きな出来事が起きた。

当代徳川将軍のお膝元で行われた御前試合に、徳明が招聘されたのである。


 忠正の目に映る祖父の戦いは、圧倒的な強さであった。

ともすれば父の忠徳であっても負けるのではないか、というほどであった。


 強い。


 強いからこそ、祖父には意味があるのだ。


 敵を打ち倒す祖父の強さこそ、鹿野無心流なのだ。


 真剣ではない。木刀による争いだ。

だがそれでも祖父の気迫は、まるで対手を殺さんという殺意に満ちていた。

それは、


「人を殺さぬ剣などありえない」


 と常々説いた祖父の言葉そのものであり、事実、木刀の一撃を受け昏倒するものまで居たほどだ。


 そして何度か勝ち進んだ頃、ある男が現れた。


 若い男であった。父よりも若い若輩者であるが、少なくとも二十歳は大きく超えるだろう。

にも関わらず、月代(さかやき)も剃らぬまるで童のような風を漂わせた

男だった。


 名を、安永甲子郎(やすながこうしろう)と名乗った。

散葉流中伝だと言う男は、はなはだこの御前試合に見合わぬ人物である。


 当然、祖父が勝つと思った。祖父の強さは絶対であり、今までの戦いがそれを証明していた。

祖父が放つただの一撃で目の前の男は昏倒するだろうと、そう思っていた。


 だがしかし。その結果は真逆であった。否、真逆であればどれだけよかったか。

結果は真逆ですらなかったのだ。


 祖父は腰を抜かしていた。


 恐怖にその瞳を染め、まるでだらしなく後退っていたのだ。


 ただの一撃、その太刀筋を見ただけで祖父は腰砕けとなった。

その太刀筋は確かに圧倒的であったのだ。

誰の目に見ても祖父よりはるかに美しく力強い弧を描いていた。


 勿論、それだけで勝負が決まったわけではない。

審判に入ったものたちも決して決着を言い渡してはいなかった。

しかし、そのただの一撃で祖父の心は砕けていた。

その理由が忠正には分からなかった。

ただ分かることは、祖父が無様に、真の敗北をしたということであった。


 無様だ。


 なんと無様なのか。


 剣を交わしてもいないというのに、立ち上がりすら出来ぬとは。


 口々に祖父を罵倒する言葉が聞こえ、忠正もその言葉を否定することなどできなかった。


 そして御前試合が終わった後も、その醜聞は島木の町を飛び交った。

名門と呼ばれた鹿野無心流の評判も地に落ちて、門下生はたちどころに消えていった。


 負けたからだ。


 無様に負けたからだ。


 負けなければ、ああはならなかった。


 忠徳の敗北は、結果としてその言葉が正しいのだと忠正に思わせたに違いない。


 それからの彼は気狂いのようであった。

以前にも増して彼は鍛錬に時間を費やすようになった。

老いも若きも関係ない。ただ強さだけですべてを測るようになった。

同年代のものは皆彼のことを恐れ、彼と対等に付きあおうとする人間は皆年上の熟達者のみとなっていった。


 その狭窄的な邁進は、しかして彼に強さをもたらした。

若くして、その技術のみで大目録の認可を得たのである。

元服前の少年が大目録を得るなどとははなはだ異例のことだが、

それを許さぬほどの鬼気迫る鍛錬を繰り返していたことは確かであった。


 そこで彼はようやく人心地がついた。

これを超える時、それはいわゆる免許皆伝であり、師範代としての資格を得ることと同義である。

これ以上はいくら才覚があるとはいえ、父も、三人の兄も許しはしまい。

彼は以降、自身の基礎的な技術を磨き続けることとなる。

自身よりも格上であった友人の言葉もあり、そこで少しばかり心を落ち着けたのだ。


 そこで彼はようやく、冷静に周囲を見つめた。そこで自分の家の現状を認識したのである。


 彼の憧れた鹿野無心流は、忠徳の敗北からその門下生の数を減らし続け、最早財政の面においても立ち行かなくなっていた。


 そこで、忠正にとっての第二の転機が訪れる。


 幕府よりの使いが道場に現れ、忠正の人生は変貌したのだ。


 ただ勝つことだけが求められた。


 ただ打ち倒すことだけが求められた。


 何よりも強く、ただそれだけが家の救いにつながるのだと。


 そういった仕事を、忠正はこなして、こなし続けていったのだ。


 それは彼にとって何より得難い経験となり、彼の新たな生き方を形作っていったのであった。


 そして、ある日。彼に第三の転機をもたらした。


 二つの月。異形の化け物。そして、



 ● ● ● ●



 忠正は夢を見ていた。彼が今までどのように生きてきたのか、その走馬灯だ。

死に瀕したものが見るのだと、そう聞いたことがある。


(おれ)は、死んだのか」


 かすれた声が耳に響く。辺りは暗いが、夜独特の冷気が頬を撫でるのを感じ取った。

身体は熱い。燃えるようだ。身体はびくとも動きはしないが、

身体全体がその生を訴えかけていた。


 生きている。魔族を両断した手応えはあったが自分も何かに身体を焼かれていた。

果たしてあれは勝ったといえるのか、彼はそれを自問したが、

ついぞ答えは出なかった。


 意識がはっきりとしてくるにつれ、新たな感覚が彼の意識に届いた。

甘い花のような香りと、左手の先にかかった重量である。

重い瞼を見開いて状況を認識しようと目を動かす。


 部屋だ。彼の部屋ではない。ひどく広く、周囲には幾つもの寝台が並べられている。

そして忠正はその中央に寝かされており、その手を、


「…………アナ、か」


 アナスタシアが握っていた。


 その表情には疲労の色が濃く、今は深い眠りに落ちている。


 看病、だろうか。それ以外に理由は思いつかないが。


 しかし、と忠正は未だ動かぬ我が身を鑑みた。まさか生きているとは思わなかったのである。

全身を焼いたあの感触。下から迸ったあの光は、雷か何かに違いない。

それを浴びて生きていたものなど、西国無双と名高い立花道雪(たちばなどうせつ)の他に聞いたことなどない。


「かの御仁のように、雷切とはいかなかったが……」


 無念である。道雪はその刀によって雷を斬ったと伝えられていた。

だが、こうしているということは、それに失敗したということである。

未だ無双というには遠いことを自覚して、忠正は気落ちした。


 なんとか手を解こうとするものの、そもそも身体が動かない。

僅かに指先が動くもののどうにも言うことを聞かないのであった。


 まさか、と背筋が凍る。このまま身体が動かせなくなるのではないか、と。

突飛な考えでもない。今までにこういうことがなかったのだから、そのような考えが頭を支配するのも仕方のないことだ。


 忠正の身体に緊張が走り、指先に力がこもる。その力に触れてアナスタシアの睫毛が微動した。


忠正がそれを受け指を解こうと動かすが、生憎とそれ以上の力は入らない。

程なくして、ゆっくりと彼女は瞼を開いた。


「シロー様……!」


 その瞳に涙が浮かんだ。まるで満月のような金の瞳が彼を捉える。


「……む」


 たじろぐ。人の泣き顔になど忠正はあまり触れたことがない。

直截的な感情をぶつけられ、居心地の悪さを感じた。


 しかし逃げようがない。体に力の入らぬ状態ではどうしようもない。


 だからか、忠正は言葉を待った。

アナスタシアの澄んだ瞳に向ける言葉など思い浮かばなかった。


 辺りは暗い。窓の一つもない閉鎖的な部屋だ。

部屋が広い割に息苦しく、辺りに立つ燭台の炎が揺らめいていた。


 ぼんやりとした明かりの中二人の視線は交錯する。

だが、互いが互いの視線を受け止めているとは言いがたかった。


「……迷惑を、かけたか」


 それに耐え切れず、忠正は声を漏らした。

しかしそれを気にも留めず、絡んだ指の力が強まった。


「シロー様は、大変危険な状態でした。大老魔木(グローガン)の魔術に身体を焼かれ、半死半生

……率直に言って、相打ちでした」


「…………そうか」


 負けなかった。ただ、それだけだ。無

敗とは価値のあるものだが、常勝であればなおのこと良い。

その上で五体が無事だというのなら文句はあるまい。


「感謝する」


 そう。ただそれだけだ。未だ己の信念は潰えていないのだと分かるだけでも、

彼にとっては非常に大きなものだった。


 しかしそれが意外だったのか、彼女は大きく目を見開いた。


「私を責めないのですか」


「何故」


「あなたは私たちの、クーデリアの道理でここまでやってきたのです。

そして、その結果戦わされて、それで、大怪我を負った」


「然り。だが相打ちだ。己は戦うことを選び、しかし遠征の半ばで倒れた。

そこにお前を責める余地はない」


 それは忠正にとっての道理だ。単純にして明快。勝つか、負けるか。

名誉か、不名誉か。その基準でしか測れない。


「シロー様、あなたは……」


 何事か言いかけて、やめる。首を振って、殊更指の力を強めるだけだ。


 それを察してか、忠正もまた己の過ちを認める。


「己は負けた。お前に恩を返すことができなかった。

だから、己にとっては敗北のようなものだ」


 そう。負けなかった。だが、目的を果たすことができなかった以上負けたようなものだ。

武による敗北であれば荒れ狂うほどの熱が彼を焼いただろうが、その淵で彼は揺らめいていた。


 だが。


「シロー様。……私の治癒魔法は切り離された五体には作用しません。

……だから、くれぐれもご自愛ください」


 そういってこちらを見つめる少女の、

そのほのかな熱がなければ彼の平衡は瓦解していたのかもしれない。


 私の治癒魔法。ならば合点も行く。

その色濃い疲労は忠正の治癒に時間も力もかけた結果だろう。だから、


「己はもう暫し、眠るとしよう。……アナ、お前も休め」


「はい。……シロー様がお眠りになられたあとに」


 微笑んで、返す。言葉の通り、忠正が眠るまで側にいるつもりであろう。


 忠正は目を閉じて、眠りに落ちていく。

手元に己の刀はなかったが、不思議と深い微睡みに沈んでいく。


『勇者様……』


 そんな声を耳に、忠正の意識は深く眠りについた。


 ああ、この言葉に応えなければ、何が武人だというのだろう。



 ● ● ● ●



「まいった、まいった。うーん、これは参ったことになりました」


 ミヨン・クーデリアを預かるメイド長、マリーエ・キャベンディッシュは唸りを上げていた。

それはあの遠征から一週間経った日のことである。


 相も変わらずかの勇者、カノシローのお世話役として身を粉にしている彼女であったが、

今度はひとつの頼まれごとを引き受けてしまったのだ。


 それは、


「魔法。その対処について学びたい」


 ということである。魔法には魔法で対抗することが定石であり、

そもそも魔法を付与していない装備で身を固めている彼のほうが異常なのだ。

それで、どうやって魔法への対処を学べというのか。


 食客、勇者である彼の向上心は凄まじい。

十六歳らしいが、とてもそうは思えない。

どこともしれない場所に拉致されて、戦わされ、その上今度は死に瀕した。


 だというのに彼は躊躇もせずに、殊更強くなろうとする。


「そりゃあうちの姫様もご執心になるわけよね……」


 要するに心配でたまらないのだ。

同世代の男の子が自分の都合で傷ついていく姿を見たくないのだ。


 しかし、あの落ち着き振りはどうなのだろうか。

普通召喚といえば、もっと狼狽えてもいいのではなかろうか。


 メイドの煩悶は続く。なにせ自分も何をしたらいいかわからない。

頼まれたからには責任をもって果たそうか、と思いその手段を模索する。


 本を読む、というのは論外だ。

彼が本を読めるかは未だに未知数であるし、そもそもそういうタイプではあるまい。

それに、体術のみで魔法に打ち勝つ方法を教えてくれる本など聞いたこともない。


 となると、やはり実践だ。しかしそうなると……。


 腰に手をおき唸り声を上げていると、ふと、どこかから声が聞こえてくる。


『これを帝都に? これは儂の仕事ではないと思うのですが』


『とはいえ、あなた以外に適任は居りません』


 アナスタシア様と、ムリエマ様であろう。いや、アウグスタ様と呼んだほうがいいかと思い直す。

ひとつ咳払いをすると、話の内容を推測立てた。


 帝都に対する状況報告と、援軍要請の話だろう。

このクーデリアを擁するクレイア帝国は直接的な支配者ではない。

帝国内部でもクーデリアは屈指の発言力を有している、ということになっている。

穢れの矢面に立っている我が領地とクレイア領は文面上で対等だ。

税を納める必要はないし、国教を受け入れる必要もない。


 が、やはりそんなものは文面上の話だ。

帝都であるクレイア領と対等であるといっても、我々は税を貰えるわけでもない。

一度争いになればひとたまりもあるまい。


 だが、逆に言えばそれほどの国でもある。

抑えきれぬというのならば、力を借りるのが常道である。

まあ、すぐに出してくれるわけはないだろうから、つまりは此度はご機嫌伺いということになるわけで。


 それなら、とマリーエは思い立って戸を叩いた。


「お嬢様、勇者様についてお話があるのですが……」


 これは殺し文句だ。きっと提案を呑んでいただけるだろうとマリーエは確信した。



 ● ● ● ●



「マリーエと忠正を帝都へ向かわせる……確かに、彼女ならば使者としては最適ですが」


 彼女の提案を呑んだのは、このクーデリアにおける権力者であるアナスタシアとアウグスタ、その両方であった。


「その護衛として忠正を動かすのも十二分に良い話だ。

あの男ならば、対人においてはそう引けをとらんだろうよ」


 その提案を噛みしめるようにアウグスタはひとりごちた。

その表情を見て、アナスタシアは首を傾げる。


「あなたは行かなくてよかったのですか、アウグスタ。あそこには……」


 アウグスタは首を振る。皆まで言うなとでも言わんばかりに手で制し、


「師匠には早駆けで手紙を届けさせました。……まあ、悪いようにはせんでしょう」


 その言葉にアナスタシアも引き下がった。次いで気になるのはやはり、


「エンキ……でしたか。あの方もつけるのでしょう?」


 そう。忠正が己の目で見極めたという女の話だ。強いのだろう。

それを病み上がりの忠正につけることは是非もない。


「姫様が許されるのならば、ですが。

どちらにせよ帝都に向かうのであれば忠正もエンキも次回の遠征には間に合いますまい。

次は騎士だけでなく、兵を以って挑む他ないですな」


「頼りにしております、アウグスタ」


 それは絶対の信頼だ。アウグスタとの付き合いは、それこそ生まれてからずっと続いたものだ。

父母の居ない彼女にとって、アウグスタやマリーエは兄姉のようなものであった。


 すがるようにアウグスタを見つめる瞳に、彼はただ、


「御意に」


 そう答えるのみであった。

しかしただそれだけで、問題など吹き飛んでしまうかのような想いである。

だが、

「しかし、」


 彼は続ける。


「やはりこの時代は何かがおかしい。穢れがこれほど増えることは何かの前兆としか思えませぬ」


「ですから師匠……モルデへと手紙を送ったのもあるのでしょう?」


「ええ。師匠ならば何らかの答えを出してくれることでしょう」


 そう、恐らくはこれから始まるのだ。伝承にあったような激動の時が。

そしてその要となるのはアナスタシアであり、そして勇者だ。

彼女の胸が強く締め付けられる。

この想いを何と名付けるべきかはわからないが、アナスタシアはただ、忠正の旅路の無事を祈った。

次回より新章突入、というところでしょうか。

これからもよろしくお願い致します。

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