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第一話 『鹿野四郎忠正』

 少年、鹿野四郎忠正(かのしろうただまさ)は目を覚ました。眼の前に飛び込んできたのは星空だ。

遮る雲も少なく爛々と輝く星々は、見るものが見れば風流だと酒でも進むであろう。

だがそういった風流を解さぬ彼は、弾けた撥条のように身を起こして腰元へと手を伸ばした。


 かつり、と乾いた音を立てて彼の手に感触が返る。

それは刃渡り二尺五寸(75センチ)の打刀に一尺七寸(51センチ)の脇差しだった。

長らく愛用している相棒(、、)の感触に彼はわずかながらに安堵する。


 次いで彼が認識したのは自分の置かれた状況であった。

夏にしては肌寒いほどの涼やかな風が吹き抜け、噎せ返るような草の薫りが彼の鼻腔を突く。

辺りは見渡す限りの草原で遠くに森が見える程度。

彼は速やかに左右に視線を動かして鼻をすん(、、)と鳴らした。

それから息を止めて、


 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。

己の心の臓が十度、鐘を打つのを待った。


「火薬の臭いも無し。……周囲三十三間(60メートル)、虫以外の気配は無し、か」


 ほう、とゆっくり息を吐いて僅かながらに警戒を緩める。驚嘆すべきは彼のこの一連の所作である。

彼はこの場所、この状況に一切の心当たりがない。

であるにも関わらず彼は立ち上がり、状況を確認し、周囲を警戒した。

この間に一切の淀みはない。ただただ手慣れた様子で全てを見切った。


 周囲三十三間に気配無し。これは彼が感じ取る限りで、自身に害を及ぼす存在がいないことを意味している。


 三十三間も離れていれば火縄銃はその打撃力を大きく減ずる。

これより遠くから仕掛けるならば投石か弓矢だが、そのどちらにも対処できる自信が彼にはあった。

大砲でもあれば話は別だろうが、個人を相手に大砲を持ち出すものはそうは居まい。


 とかくこれで彼は落ち着いて物事を考えられるようになった。


「俺は鹿野四郎忠正、歳は数えで十六。鹿野家四男、鹿野無心流かのむしんりゅう大目録。

父親は鹿野(かの)竜之進(りゅうのしん)忠徳(ただのり)


 自身の記憶に混乱はない。次いで彼は己の着流しに触れる。


「まだ湿っている。……子の刻、(おれ)は仕事を終えて帰る途中だった。

 雨に降られて着物が濡れた。しかし覚えている限り最終的に雨は止んでいたはずだ。つまり……」


 着物の濡れ方から判断するに眠っていたのは半刻(一時間)ほどだ。

しかし、彼の住む島木という町の周囲にこのような草原があったかといえば……覚えはない。


「ならばここはどこだ」


 と自問する。拐かされる理由はある。そうされるだけの敵を作ってきたと彼は判断する。

だが何もせず、ただ草原に放置するというのは理解ができない。


「普通ならば首を断つか、或いは甚振るかだが」


 物騒な物言いだが、恨みを持つ者なら彼に危害を加えるはずだ。

実家の道場を揺するつもりの人攫いであるなら見張りぐらいつけるものだ。

それに何よりこの腰の物が奪われていないことこそが最大の違和感だ。


 意図が読めない、と彼は眉根を寄せた。理解できない行動。気狂いの仕業か或いは、


「神隠しにあったか」


 と失笑した。冗談をあまり言わない彼もあまりに荒唐無稽な考えにこらえきれなかった。

だが、何にせよ今までに遭遇したことのない類の事象であるのは確かだろう。


 これからどうするにせよ、最終的には道場に帰り着かなければならない。

今は動く時だ、と彼は神経を研ぎ澄ました。


「…………」


 今は夜だ。星々の光が明るくはあるものの、昼間に比べれば視界は暗い。

灯りもなしに今この時間、辺りを多少は見渡すほどに明るいことに彼は違和感を覚える。

しかし今はそれどころではないと、彼は更に意識を深めていった。


 すると彼の耳に音が届いた。甲高い剣戟の音、それに足音。更に言えば少女の悲鳴に、男たちの怒号。

距離は遠い。おそらくは遠間に見える森から聞こえてくるものだ、と彼は判断した。


 ざり、と土を踏む音が一度。彼は一度足を動かして、そのまま動かない。

行くか否か、彼は刀の柄を撫でながら逡巡した。瞼を閉じる。彼が思い返すのは一面の赤色だ。

しかし彼はそれを振り払うようにして目を開き、


「善し。征こう」


 身体を倒し足を撓ませ、疾風のように駆けて行った。


  ● ● ● ●


 森を駆けていると、彼の耳に届く音は徐々に大きく、多くなっていく。

金属のこすれる音、ぶつかり合う音。聞こえてくる限りはまるで戦のようだ。


 だが、


「一対多だと?」


 と彼は疑問を懐いた。聞こえてくる限りで判断するならば徒党を組んだ兵士が誰かを襲っている。

であるにも関わらず、不利に陥っているのは集団側だ。統率は取れている。

足音の乱れ方からして軽い恐慌状態ではあるだろうが、訓練された兵士であるように感じ取れる。


 そしてその対手側といえば、


 荒い息。ずしりと響く足音。そこから導かれる歩幅。


「獣……熊か?」


 ただの熊ではない。非常に図体の大きな熊だ。

しかし徒党を組んだ兵士が苦戦しているとなればそうに違いあるまい。

だが、熊ならば何故これほどに剣戟の音が響くのか。


 その理由は彼がその戦いの光景をその目に収めて、ようやく分かった。


「……なんだ」


 それは六尺五寸(2メートル)を越える巨体の獣だった。

まるで小山のようなその様は、おそらく重さにして六十貫(225キロ)はくだるまい。

その頭部はむしろ熊というよりは蜥蜴のそれだ。全身を豪猪(やまあらし)のような鋭い針で包み込み、

そうでない場所には亀甲を思わせるような硬質的な鱗がびっしりと生えている。

腕には鉈を思わせる鋭い爪が、ぬめりてかるようにして三本伸びている。


 つまり要約するならば。この世のものとは思えぬ化物がそこにいた。


なんだあれは(、、、、、、)!」


 忠正の目が見開かれる。おおよそ今まで見たこともない、常軌を逸した異形の怪物。

どのような生態でそこに存在しているのか想像もつかぬ理外の存在がそこに居た。


 その化物と、身体中を鎧に身を包んだ兵士が戦っていた。

おそらくは南蛮人。異国の甲冑に身を包んだ集団が争っていた。

彼らは健闘した。化物の爪に恐れもせず、まるで何かを守るように前に出て。

長大な剣を叩きつけるように振り下ろし、或いは鉄槍を果敢に突き出していた。


 しかし。


 その化物の爪によって兵士たちの甲冑は容易く切り裂かれ、たった今、最後の兵士が倒れた。


「あ、ああ……」


 残されたのは異装の少女。金糸を思わせるような美しい長髪。上等な天鵞絨(びろうど)で織られた黒の礼装(ドレス)。ただひたすらに、


「――――」


 日の本に生まれた忠正ですら絶句するような美しい少女がそこに居た。


 二つの衝撃を同時に受けた忠正は、しかし、それでも止まることはなかった。

身体に刻み込まれた反復動作はいとも容易く腰の打刀を抜き払う。

目の前の化物は異様だが、頭があり、腕があり、足がある以上は生物に相違あるまい。であるならば、


()れる」


 と彼は判断したのであった。構えは下段、切っ先を垂らすようにして構えると、そのまま稲妻のように踏み込んだ。




  ● ● ● ●




 化物の動きは俊敏だ。こちらの動きに即応するように素早く身体を向けてくる。

忠正はそう分析しながら、本能と思考の狭間に身をおいて疾駆する。

そう、獣の動きは俊敏だ。だが、柔軟ではない。


 訓練を積んだ兵士たちが敗北を喫したのはおそらくその外皮の硬さゆえだ。

針山も亀甲も、騎士の持つ長剣、長槍の類で傷つけることができなかったのだろう。

だが、それほどの硬さを持つがゆえに、おおよそ熊ほどの動きは取れないと判断した。


 故に彼は疾駆する。身体を大きく前に倒し、まるで地面と平行になるかのような疾走だ。

相手は強力な爪を持っている。しかし、爪であるからこその欠点はある。

下方の相手を狙うにあたり、鉈のような爪では上から振り下ろすしかないのだ。

鉈のような形状では突くに不向きであるし、全身の棘を逆立てているのではあまり大きく肩は開けまい。


 だから飛び込む。強引とも思える疾走で化物の懐まで。

懐に入ってしまえばもうその爪すらも振り下ろせまい。

後はこちらに食らいつくか、文字通りに抱き締めるか。獣に出来ることはその程度だろう。


 ――かくして彼の目論見は成功する。


 彼の渾身の疾走はその身を見事に化物の懐へとを導いた。


 だが。そこからどうしようと言うのか。化物の腹も喉も堅牢な鱗で守られている。

懐に飛び込んだ以上彼もまた斬撃、刺突で力を込める余裕はない。万事休す。

おそらくは、突然の闖入者に驚きで目を見開かせた少女すらもそう思ったに違いない。


 だが(、、)。結果は真逆であった。


 彼の握る刃は水平に寝かされ、まるでそそり立つ鍾乳石のように天を仰いでいた。

最後の踏み込みの際、下段構えから体捌きによってするり(、、、)と向いた切っ先は、寸分違わず化物の喉元を指していた。


 結果的に。化物はその鱗の隙間を縫い、己の勢いによってその喉を貫き通されていたのだ。


 化物の名前は大病蜥蜴(グライマン)。本来ならば騎士二十人を相手に大立ち回りを演じることのできる醜悪な獣であることを忠正はまだ知る由もない。


「……化生、物の怪の類であっても血は赤か」


 刃を伝って流れるそれを見つめて、彼はそんな益体もないことを呟いた。


 蜥蜴頭を貫いて天上を指す白銀の刃。それは血に濡れてもなお月の光を受けて明るく光を放っていた。

それは陰惨な光景でありながらも美しく、見るものの目を奪うことだろう。


 そして、その光景を見つめるものがただ一人。

鹿野四郎忠正によって助けられた異国の少女。彼女は彼の姿を見つめて、


「勇者、様……!」


 そう声をあげて涙を流す。


 月明かりを反射して弧を描く彼の剣は、まるで三日月のようであった。



  ● ● ● ●



 ――そして、呆然と彼は空を見上げた。


「なんだ、あれは……」


 少女がこちらに駆け寄ってくることにも気づかず彼は空を注視する。

夜更けであるにも関わらず辺りは明るく照らしだされていた。

それが一体何を意味するのか。


 それは、


月が二つある(、、、、、、)、だと……?」


 そう。ここは彼の知る国ではない。いや、同じ星ですらない。

ルディエンド。それが彼の目覚めた世界の名であった。

初投稿で緊張しておりますが、よろしくお願いします!

追記:2013/11/23 各話のタイトルを統一

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