名前呼ばない
俺の前に白い扉が一つある。
通気用のアルミで出来た小さな通気口が下の方に一つ。上の方には磨りガラスが嵌まっている。
何の変哲もない引き戸の扉だ。そう、どこの病院でも見掛けられると思う何の変哲もない扉。
少しだけ視線を左右に向けてみれば、同じ形の扉が幾つも居並んでいるのが目に入って来る。
改めて、また俺は目の前の白い扉に向きあった。
俺の背中の方は一面の窓になってる。その窓から射す日の光を浴びた白い扉は、無機質な光を放ちながら俺の影も一緒に映してそこに鎮座していた。
誰が見ても何の変哲もない白い扉。でも、俺にしてみれば特別な扉過ぎた。いっそ監獄の扉にさえ思える。何の罪もない女を閉じ込める白い檻。
なんで俺にとってこの白い扉は特別なんだろう? なんで俺はこの白い扉に三年間通い続けているのだろう?
もちろん、この白い扉と顔を突き合わせるためだけに、この三年間通い続けてるわけじゃない。この白い扉自体に思い入れがあるわけじゃないんだ。
なら、なんで特別なのか……答えは簡単だ。
俺はその答えに会うために、目の前の扉に手を掛けた。
……ああ、居るな……
白い扉を開けた先に俺は声を掛ける。いつも通りだ。
物が殆どない部屋を一直線に進む。目的の所に来た俺はいつも通り古臭い紺色のスポーツバックを、ベットでトグロを巻いている部屋の主に投げる。バックはぱすんっと軽い音を立てて部屋の主の直ぐ隣に転がった。
部屋の主は俺が来たことにちっとも気に掛けない。違うか……わざとらしく無視を決め込みやがる。
一向に返事を寄越さない部屋の主に俺は苛ついた。感情のままに手の平のゲーム機とにらめっこしてる女の手から、ゲーム機を問答無用で取り上げてやった。途端に部屋の主である女は前髪を掻き上げて、充血した眼で俺を睨んで来る。
「ちょっとっ! なにすんのっ返しなよっ!」
「返事ぐらい返せバカ。それとお前はゲームのやり過ぎだバカ」
女は俺の話にちっとも耳を貸さない。骨と皮だけで出来た白い手を俺に突き出してきた。
「バカって二回も言ったなっ! バカって言う奴がバカなんだぞ! それにあんた、私の方が勉強は出来てたんだぞっ!」
返しなよっと続けた女の言葉に俺は顔を顰めて返した。
全く以て気に食わないくらいこの女は頑固者だ。小学校からの付き合いでよく知ってる。人の話なんて最初から聞くつもりないんだ。この女は。
俺はそうそうに諦めて、女の手にゲーム機を返した。ただ、そのまま返したんじゃ気に食わない。お小言の一つもくれてやる。
「たくっ……お前はなあ、希恵。一応は高校生なんだぞ。昼間の間十ゲームしてていい身分じゃないだろ?」
「大丈夫。まだ一時間もプレイしてないから」
訳の分からない返事を返してきた希恵は、のび気味の前髪で目許を隠しながら、またゲーム機とにらめっこし始めた。
ああ、やっぱり気に食わない。
俺が白い扉に通い続けて来た理由。それはこのベットで女王様よろしく、トグロを巻いて居る希恵に会いに来るためだ。
白い扉を開く度に、この腹立たしい女の姿が見える。だから、俺にとってさっきの白い扉は特別なんだ。
はっきり言って、俺はこのベットの上でトグロを巻いている女が大っ嫌いだ。ゲーム機とにらめっこして顔を上げない、意地っ張りなところが特に嫌いだった。
希恵は俺の小学校からの知り合いだ。小学校で同じクラスになった時、お互いの気の強さが元になって何度も喧嘩をした間柄。クラスの中で『犬と猿』『水と油』とか呼ばれて、いざ喧嘩が始まれば、夫婦喧嘩がまた始まったとよく囁かれた。うんざりするぐらい。
そんなこんなで始まった俺と希恵の繋がり。腐れ縁ってやつで、小学校、中学校と同じクラスになり続け、果ては同じ県内の高校に入学すると分かった日には心底げんなりした。それどころか「なんでアンタも付いて来るのっ! ストーカーッ!」とか罵られた日には呪われてるんじゃないかと思った。誰が好き好んでお前のストーカーなんてやってやるかっとあの頃は思った。
負けん気の塊で、周りの勉強だとかスポーツだとかのライバルにまるで猫が毛を逆立てるみたいに威嚇しまくる女。でも、何故だか毛を逆立てた相手に希恵は嫌われたことがない。気が付くと味方に付けてやがる不思議な女。
中学時代は自分が副部長を努める文化部で創設以来の成果を発表すれば、ことあれば運動部の助っ人に呼ばれるほどの運動神経も持ち合わせてる。
中学で希恵の名前を知らない奴は居ないと断言出来るぐらい、輝いていた女。
影で天才の名を欲しいがままにしてる女。
もう一度繰り返す。俺は希恵が大っ嫌いだ。現在進行形で。
俺の大っ嫌いな希恵に転機が訪れたのは高校に入学して一学期も終わる頃だった。
高校に入学してからも、その天才肌でもう学校中に名前を轟かせつつあった希恵。その日は入学してすぐに作った女友達と、一緒に学校帰りに遊びに行く様子で学校の昇降口に現れた。そんな希恵に、丁度バイトの面接のために部活を抜け出した俺は鉢合わせになったんだ。
『ちょっと! アンタ部活はどうしたの? まさかとは思うけど、サボりなの?』
希恵の後ろで、希恵と一緒に昇降口に来てた女のグループが特有のこそこそ話をしてる。『誰あれ?』『希恵いわくストーカーだってさ~』っとか勝手なことを言いながら騒いでる。俺は希恵も含めてムカつく奴らだと思った。希恵には『なんだっていいだろう』ってぶっきらぼうに返した俺は靴を引っかけて逃げようとした。でも、希恵は俺の返事が気に入らなかったらしい。
俺の腕を掴んだ希恵は、したり顔で眼を半眼にすると、ますますムカつくことを言ってきた。
『そうか、そうか~、アンタは前のバイトを切られちゃったもんだから、これから新しいバイト先に面接にでもいくのかな~』
『…………なんて希恵が知ってんだよ』
ついでになんで棒読みなんだよっと俺は続けて言う。すると希恵はふふんっと鼻に付く笑い方をして『私の情報網は髪の毛も通さない位細かい』とのたまりやがった。
ああ、さては希恵と仲がいい奴らが俺のことたれ込みやがったなっと俺は思った。頭のなかで裏切り者の顔をリストアップした俺は、そのメンツの多さにげんなりする。今まで希恵にだけはバレないようにしようと思ってた自分がバカバカしい。俺が必死に隠そうとしても希恵は何時でもお見通しだ。
俺は苛々して強引に希恵の手を振り解いた。
鬱陶しい女……そう思いながら希恵から離れようとした俺の腕を希恵はまた掴もうと手を伸ばしてきた。俺は咄嗟に体を引いてその手を避ける。外履きに履き替えた俺はさっさと希恵に背中を見せて逃げ出すことにした。
『ちょっと! まだ話しは終わってないの! そこになおるっ!』
俺の腕を掴み損なった希恵。まだ靴を履き替えていない希恵は、俺に届かない手をばたつかせて俺を引き留めようとした。でも、俺はこれ以上希恵と話しをするつもりは端からなかった。さっさと希恵から逃げようと思った。希恵の声を背中に聞くまでは……
『なんで……私のこと避けるの?』
希恵に背中を向けていた俺は、一瞬希恵の声が震えてる気がした。なんでだよと思いながら振り返って希恵と向き直る。
もちろん、俺の考えは杞憂だった。気が強くて負けん気の塊の希恵は平然と仁王立ちして俺からの返事を待っていた。俺は誤魔化すように投げやりに言葉を投げる。
『なに言ってんだよ……』
『最近私のこと、避けてる。なんで?』
打てば鳴るように直ぐさま返って来た希恵の声。俺はちっとも悪くないのに、決まりが悪い気がして希恵から視線を逸らした。
『……別に、避けてなんていねえよ』
『嘘吐き』
取り付く島もなかった。俺のことを嘘吐き呼ばわりした希恵は、もうアンタのことなんて知らないって一方的に言葉を投げつけてくる。さっさと回れ右して、後ろで希恵のことを待ってた女友達と一緒に自分の下駄箱に行ってしまった。
去り際、希恵の隣に並んだ希恵の友達が『アレ、希恵のカレシ?』と囁きになってない声で希恵に尋ねたのが聞こえた。希恵はうんざりしたような声で『まさか、冗談っ』と返したのが俺の耳に届く。
結局、返事に詰まったまま立ち止まっていた俺の横を通って希恵は女友達と一緒に帰って行った。
希恵の後ろ姿を見送る形になった俺。希恵の背中を見ているとすげえ苛立った。ムカついた。もう顔も見たくないと本気で思った。
この日の数日後、希恵は出掛けた先の本屋で倒れた。
希恵が患った病はかなり重い病だそうだ。
重篤になると死亡率が高い病。幸い、希恵の場合は患って間もなかったから助かったらしい。それでも、倒れてから二月の間は危険な状態が続いた。
一応、近頃は状態が安定している。最近編入したばかりの通信制の高校に顔を見せるぐらいのことは出来るようになった。
ベットの上でトグロを巻きながらゲーム機とにらめっこして過ごす姿。仮病なんじゃないかと疑ってしまう。でも、希恵の患った病がそう簡単に治らないことを俺は知っていた。
希恵の親御さん曰く、希恵の病は今までの医術では症状を軽くするしか出来ないそうだ。完治させるこは出来ない。
運動部の助っ人をしていた位の運動神経の持ち主だった希恵。でも、今じゃ激しい運度は厳禁だった。
ぼうっと希恵の今までを考えて居た俺は、思い出して持って来たバックの中をまさぐった。バックの中からお目当ての物を取り出して、希恵の前に放り出してやる。
希恵は一瞬驚いたみたいだった。でも、すぐに充血した眼で俺を睨んでくる。
「何のつもりなのかコレ?」
希恵はまるで怪しい物を見るような眼で、目の前の物と俺を交互に見る。俺はワザとらしく棒読みするように答えた。
「テンガロンハットでございます」
「そんなこと聞いてないよ。なんでこんな物持って来たの?」
ますます細くなっていく希恵の眼を見ながら俺はまた答えた。
「じゃじゃ馬にはお似合いと思いましてて~」
棒読みしながら、俺はテンガロンハットを拾い上げる。艶やかな髪のじゃじゃ馬娘の頭に被せてやった。
別段、テンガロンハットを選んだの他意はない。本当に希恵に似合うと俺は思ったから選んだだけだ。
俺の中で希恵は元気に走り回ってるイメージがまだ強かったから……でも、それは俺の頭の中のイメージだけで、実際にテンガロンハットを被った希恵は、影を濃くしただけだった。
見てられないと思った。俺は用意してきた台詞を茶化し調子で希恵に投げる。
「部屋に引き籠もってるお嬢様をデートに誘うには日除けの帽子が良いと思いまして」
「…………っえ?」
希恵は俺の言葉に驚いた。ずっと泣き腫らしていた眼を見開いて、高い位置にある俺の顔を見上げる。見上げた拍子に俺が被せたテンガロンハットがズレて、希恵の目許を隠した。
「つきましてはお嬢様。このわたくしとお付き合いして頂けませんか?」
俺の言葉にまるで希恵は声を失ったみたいだった。
テンガロンハットで目許は俺から見えない。けれども、何時も隙無く振る舞ってる希恵の口許が無防備なことに気が付いた俺は、思い付いた。
…………
……
「それじゃあ返事、待ってるから……じゃあ、またな希恵」
帰り際、俺は返事を一つも返して来ない希恵に声を掛けてから、白い扉を閉めた。
途端に俺と希恵の間を断つように鎮座した白い扉。それを見上げた俺は三年間つき続けたため息を今日も吐き出した。
希恵の患った病は今までの医術では完治させることは出来ない。そう、『今までの』っだ。
明日、希恵は手術を受ける。希恵本人は俺に内緒にしようとしていたらしい。でも、親御さんから希恵が今までにない新しい方法の手術を受けると聞いていた。成功する可能性が低いことも……失敗すれば、命がないことも……
希恵はついさっきまで泣き続けてた。死ぬかもしれないと怯えて……
希恵は明日、もう一度人生の転機を迎えるのだろう。いや、生まれ変わると言って良いのかもしれない。
例え成功する可能性が低いと言われてても、必ず手術は成功するに決まってる。今までのベットの上で浪費した青春分、神様は見ていてくれた筈だから。それに、今日俺は希恵に呪いを掛けた。
例え、三途の川の向こうから手招きをされても、希恵は俺に返事を返すためにこっちに返って来る、そして、俺の名前を呼んでくれる筈だから………………
希恵の場合
「うっ……まずいよね、コレは?」
私は慌てて周りに目を走らせる。手鏡の中に見た自分を隠せる物はないかなと目をぐるぐる彷徨わせた。
もうすぐ扉を開けて、私の所に来てくれる人にこんな惨めな顔、見せたくないもん。
でも、右を見ても左を見てもめぼしい物は一つも見付からなかった。それもそうだよ。私が明日に備えて病室から私物の殆どを捨ててしまったんだから。
私の持ち物と今言える物はこの手にしてる手鏡ぐらいじゃないだろうか?
私はうっと眉間にしわを寄せて手鏡の向こうの私を睨み付けた。
ああ、なんて私はバカなんだろう?
なんで今更になって泣いてしまんだろう? 明日のことはもう半年も前から決まっていたことだったのに……
こんな腫れぼったい顔、誰が見ても泣いてたのすぐに分かちゃうよ。
なんのために手鏡だけ手許に残したの私。アイツにみっともない顔だけは見せないようにこの三年間頑張って来た筈なのに……
項垂れる私の頭にちらついてくれる物があった。
「あっ……そうだっ! 先月買って貰ったゲームがまだ有ったはずっ……っ!」
そうだよ私! 親戚のおじさんが気晴らしにって先月買って来てくれたゲームがテレビ台の引き出しの中に入ってる筈! やる気なんてさっぱり起きなかったから、ほったらかしてたんだった!
さすがに買って貰って間もなかったから捨てるに忍びなかったんだよね……。私はゲームをテレビ台の引き出しから取り出す。口の中で小さく「ありがとう、おじさん!」っと呟きながら、ゲームのスイッチを入れた。
ゲームのタイトル画面が出てきたら、タイミングよく病室の扉が開く音が聞こえた。私を呼ぶ声も聞こえて、びっくっとする。私はゲームの画面に穴が開いてしまうんじゃないかと思うぐらい、睨み付けた。
ごめんよう、ゲームくん。君に恨みは無いけれども、顔を今上げてしまったら、ゲームのやり過ぎで目が充血しちゃった。てへへってシナリオがちぐはぐしちゃうから……
ぱすんって音と共に目の端に、この三年間で見慣れた紺色のスポーツバックが見えた。私は気付かれないように、いつの間にか止めていた息を吐いて臨戦態勢に入る。
手鏡は掛け布団の中に隠した。ゲームもコンテニュー画面までは進んでる。わざと前髪も垂らしたし、ぴんぴん跳ねてる髪の毛もこの際ゲームやり込んでます! ぽいから問題ないよね?
すっと立派な手が私の持つゲームに伸びて来る。
さあっ! 私の意地っ! ワンマンショーをとくとご覧あれっ!
…………
……
ちらっちらっとゲームをしているフリをしながら、私はぼうっと椅子に腰掛けている君の様子を覗う。
うむ、考え事に耽る姿も決まってるね。今日もなかなか格好いいぞ。
何時もいつも私に会いに来てくれる君。この三年間、私は君の顔を拝むことが一番の楽しみなんだよ? 知らなかったでしょう?
少し難しいことを考えてる、悩ましげな顔も私の大好物なんだ。
そうです。私は君のことが大好きなのです。
小学校で初めて君とケンカした時のこと、君は憶えて居るかな? いえいえ、ロマンティストなんて全然似合わない君のこと、きっとケンカしたことさえ憶えていないでしょうね?
そう、君と初めてケンカした原因。それは私と君とで手を繋いでいたことだったんだよ? 私と手を繋いだところを友達に冷やかされた君は、途端に私の手を振り払って『おまえなんてきらい!』って口走ったんだ。
私は悲しくて、悲しくて、カチンっと来ちゃたんだ。
気が付いたら取っ組み合いのケンカをして居た。今思えば、可愛い女の子とは言えなかったね? 反省してます。
でも、あの時、クラスのみんなから『犬と猿』とか『水と油』とか揶揄されたけど、『カップル』とも呼ばれたのは怪我の功名だったと思うんだよ。
小学校の時から既成事実だっだのさ。そうです。私は君のことが昔から大好きなのです。
そんな昔から君のことが大好きだった私。だから、君と同じ高校に入学が決まった日。私は自分のベットの上で、君と一緒の高校生活を妄想……違った。思い描いたものなのです。
ただ、君は私がこんなことを考えているなんて全然思ってもいないだろうし、私も君にこんな恥ずかしいこと、絶対に知られたくなかった。だから、私は君をストーカー呼ばわりして、私は狂喜乱舞していることを隠したのです。
ごめんなさい。反省してます。
でもっでも、私をこんな女の子にした一番の原因は君にあると思うんだ。
周りから冴えない冴えないと言われ続けていた君。でも、私は知っているよ。君が実はとっても勉強熱心で本当は他の人を寄せ付けないぐらい切れ切れだってこと。おかげで私は君と同じ高校に進学するために猛勉強するはめになちゃった。
先生から希恵の志望高校は無理だって最初は言われてたんだぞ。どうだ、すごいだろう~
そうそう、スポーツの方面だって君はすごい。
一見やる気なんて一欠片も見せないクセに、いざ本番になると周りをグイグイ引っ張って行くぐらいパワフルな君。中学の部活は県大会に君一人で連れて行ったものじゃないか。
頭脳明晰、スポーツ万能。顔もだらしがない髪の毛を整えるとモデル並だと思う。
そんな反則な君に私の心はもう夢中。そして、他の女の子たちも夢中さ。そう、同年代の女の子の敏感なレーダーにも君はバッチリ映っているのです。
これは本当に困った。悩んで悩んで、悩み続けましたとも。そうです。君は魅力的過ぎるのです。
お陰で私の周りにはライバルの女の子だらけになっちゃた。それも、私よりも魅力的に見える女の子が君に眼を付けたと分かった時には、平凡な自分を恨みましたよ……
なんとかして君を私だけのものにしたい。そう考えた私は、自分を魅力的にしようと躍起になったんだよ。
得意と言えなかった物も頑張って克服したし、色んなことにチャレンジして自分磨きもしてきた。もちろん、周りのライバル達を闇討ち……違った、恋いの駆け引きもして来たんだよ。
そうだよ。私は君に好かれるために、こんな女の子になってしまったのさ。
責任を取って欲しい。責任取れ。
でも、気が付いたら私の気持ちは空回りを初めていた。君は高校に入学する頃から私を避けるようになった……
最初、理由が分からなかった私は周りの友達を固めて君のことを調べ始めた。
部活で早くも頭角を現し始めた君のこと、別のクラス女の子に君が告白されて、ごめんなさいしこと、バイト先が潰れてしまって、バイト先の先輩から新しいバイト先を紹介して貰ったこと……
調べて調べて……でも、君が私のこと避ける理由は結局分からなかった。
私は落胆した。それでね、あの日を迎えたんだ。
一学期ももうすぐ終わろうとしていたあの日。
部活がたまたま休みなった私は、部活の友達と一緒に学校帰りに遊ぶことにしたんだ。君の気持ちが分からないもやもやの憂さも晴らしたいと思ったから……
私は友達と一緒に昇降口に向かった。隣に並んで歩いていた友達の話しに私は適当に相槌を返していたと思う。あの時は本当に君のことで頭が一杯だったから。そんな私の前に君は突然現れたんだよ。うん、反則だ。
昇降口で外履きに履き替えようとしていた君は、私を見た途端に逃げようとした。あの時の君の顔、良く覚えてる。すごく複雑そうな顔してた。
私は咄嗟に君に声を掛けて、足を止めさせようとしたんだ。
『ちょっと! アンタ部活はどうしたの? まさかとは思うけど、サボりなの?』
私の言葉に、今度は露骨に嫌そうな顔を君はしたよね。うん、あの時も今も、あんな言い方したらいけないって分かってたんだ。でも、私は君のことが分からない苛々でおかしかったんだ。君に八つ当たりしたかったんだ……最低だよね……
君は私から逃げようとした。当然だよね。でも、あの時の私はおかしかった。ムキになって君の腕を掴んでものすごく酷い言い方、意地悪をしたんだ。
『そうか、そうか~、アンタは前のバイトを切られちゃったもんだから、これから新しいバイト先に面接にでもいくのかな~』
『…………なんて希恵が知ってんだよ』
君とああやって話しをするのは久しぶりだった。私はつい口が軽くなっちゃて、自分の手の内を明かしてしまったも同然だった。
うん、この女、自分のこと必死になって調べてるなんて知ったらすごく嫌だよね。君が機嫌を悪くするのは当然だと思う。だから、あんなに力任せに私の手を振り払ったんだよね。
私の手を振り解いた君はすぐに私の手の届かない所に逃げてしまった。私は『ちょっと! まだ話しは終わってないの! そこになおるっ!』なんて上から目線で引き止めようとしたけど、君は私に構うことなく行ってしまおうとした。
私は怖くなった。このまま君と離ればなれになってしまう気がした。……今考えれば、この時私は声を掛けるべきじゃなかったのかもしれない。でも、私は気が付いたらありのままに君に疑問をぶつけていたんだ。
『なんで……私のこと避けるの?』
君はぎょっとした顔をして振り返ってくれた。ばつが悪そうな顔で君は私を誤魔化そうとしたよね?
『……別に、避けてなんていねえよ』
私、あの時ものすごく腹が立った。本当は私に腹を立てる権利もないのに腹が立った。ムカッと来た。
私は君に、ものすごく酷い言葉を投げてしまった……
『嘘吐き』
正直、その後のことはよく憶えてないんだ。あの時は本当に頭に血が上っちゃって……
友達から君のこと聞かれた時、カレシなんかじゃないって言ってしまった……うん、事実はそうなんだけど……
結局その日は友達とは遊ばすに真っ直ぐに家に帰った。友達と別れ際、すごく君のことで冷やかされたような気がするけど、私はちっともその冷やかしに反応出来なかったと思う。だって、あの時の私は君にすっごく申し訳なくて、ずっと後悔してたんだから。
あの日からずっと私の胸にはもやもやが出来てしまった。
本当はすぐにでも君と仲直りがしたかったんだ。本当だよ? でも、あの時はなかなか君と話しをする時間が出来なかった。君も私も部活や勉強で掛かり切りだったから……うん、それは違うね。
私は逃げてたんだ。私は臆病で、君と向き合うことが怖かっただけ……私は君に完全に拒絶されるのが怖かっただけなんだ。
そんな臆病者に神さまは怒ったのかもしれない。
君に謝らないといけない。頭ではそう思っているのに、行動出来ないまま、私はあの日を迎えた。
私は勉強で必要な参考書を買いに行き着けの本屋さんに行った。君と釣り合う人間になるために勉強は必要だからね。分厚い参考書を選んだ私はそれを持ってレジに向かったんだ。
ふっと平積みされてた女性向けの雑誌が途中で目に付いた。なんとなく手にとって表紙に視線を落としたんだ。
雑誌の名前は覚えていないけれども、表紙の女の人がとても綺麗に見えたことだけは憶えてる。
私もこの表紙の女の人ぐらい美人さんなら、君に対してもっと積極的になれるのに……こんな胸のもやもや、抱え込まなくてもよかったのに……
そんな分不相応の考えを持った私に天罰が下ったんだと思う。
ふいに目の前が真っ暗になった私は驚いた。
どんどん冷たさが足下から這い上がってくる。私は死ぬんだって咄嗟に思った。悲しくなったよ……
だって、君にごめんなさいも、大好きも言えて居なかったから……
死にたくない。そう思って目覚めたら、私はもう病室だった。檻のなかに居たと言っていいかもしれない。
私は自分が患った病を聞かされて絶望したんだ。だって、俗に言う不治の病だよ。最初の数ヶ月は余命宣告もあり得るかもしれないって言われた。
あの時は毎日泣いた。私は死ぬんだって嘆いてばかりだった。
そんな私にとって、毎日顔を見せに来てくれた君はやっぱり特別だったんだよ。
君が来てくれるからその日が輝いた。君が笑ってくれたから、一時でも現実を忘れることが出来た。君が帰る後ろ姿でさえ、私は明日に希望を見出せた。
私は君のお陰で生きていられたと思う。
そんな君に頼り放しの私。ある時ふと思ったんだ。このままで良いんだろうかって……
私の病状もある程度安定したある日のことだよ。君はその日もいつも通り私に会いに来てくれて、元気になった私を喜んでくれたね。
学校の話しとか他愛の無い話しを何時も通りして、何時も通り君が帰る時間になった。私は何時も通り君を帰したくなくて、このまま私だけのものにしたいと思った。
『ちょっと、明日は来られないと思う』
君のその言葉、私は初め意味が解らなかった。咄嗟に『なんで?』って私は返して、君は神妙そうな顔で明日の予定を教えてくれたんだよ?
うん、実を言うとあんまりよく憶えてないんだ。
だって、私にとって、君は世界のすべてで、君が来ない明日なんて生きてる意味がないと思ってしまったぐらいだから……
次の日、本当に君は来なかった。
怖かったよ。怖ろしかったよ。君と逢えない日があんなに恐ろしいなんて想像も出来なかった。
次の日、君は何時も通りの時間に来なかった。白い扉は開かなかった。
今思うと異常なくらい、私は君が来るまで時計を睨み付けてた。それから、何時もより十分遅れで来た君に私は怒った。
なんで会いに来てくれないの? 私、死んじゃうって君を脅した。泣きついた。
君は何にも言わなかった。ベットの上の私を抱きしめて、それから何にも言わないで帰ってしまった。
私は混乱したよ。なにがいけなかったんだろうって必死に考えた。考えて、考えて、考えて……私は当たり前のことを忘れてたって気付いたんだ。
君は君で、私の所有物なんかじゃないことを……
それまで君は私のために自分を殺してくれて居たんだ。はっとしたよ。私は自分でも気付かない間に君を縛り付けて居たんだ。
次の日、君は何事も無かった風に私に会いに来てくれた。私、すっごく苦しかった。お前なんて嫌いだって言ってくれてもよかったのに、君は私に笑ってくれた。
その日の夜。私は何時もとは違う理由で泣いたよ。君のことが可哀想で、私みたいな女に縛られていることが不憫で仕方が無かった。
泣きながら思った。このままで良いんだろうか?
駄目に決まってるじゃないかっ!!
私は必死に考えた。君を私に縛り付けない方法。でも、妙案は浮かばないんだ。
それはそうだよね? だって、君は私のすべてで、私は臆病者の弱虫だから……
君を解放して死ぬなんて選べなかった。あの時は……
考えた末に私が出した結論は、君を心配させないために、もう二度とみっともない姿を見せないこと……それから、昔聞いた名前は人を縛ると言う話しを信じたことだ。
私はあの話しを信じた。私は君を私に縛り付けないために、君の名前を呼ぶことをやめた。
でも、もう君は私に雁字搦めに縛られていたんだね。
私はまたゲームをしているフリをして、この三年間拝み続けた顔を盗み見る。うむ、やっぱりいい男だ。
三年前はまだお互い幼さが残る顔だったけれども、今の君に幼いって言葉はちっとも似合わない。それに比べて私はどうだろう? 三年前から幼い顔つきで、今では手鏡に映る自分を見ることが苦痛だった。この骨張った手は魅力的じゃない。はっきり言って、今の私は醜い。
そんな醜い私に付き合ってくれる君は、余りのも博愛主義が過ぎると思うぞ。
でも、そろそろその博愛主義も終わらせてあげないといけない……
私は君が大好きです。
だから、これから先も君を私に縛り付けたくないのです。嫌なのです。
私はこの三年間、君が帰るとき『またね』を欠かしたことは一度もありません。どんなにケンカをしても欠かしたことは無かった再会の言葉。今日は絶対に口にしません。ええ、神さまに誓っても、いいえ、誓います。
その代わり、この三年間で初めて『さよなら』をしようと思う。『ありがとう』の意味を込めて……
私が顔を上げるとタイミングよく目の前に飛び込んで来た物があった。帽子、生成り色の角張った印象があるテンガロンハット。落ち着いた赤い色の帯が巻かれて、一見すると無骨な雰囲気を程よく柔らかい物にしていた。
私が驚いて犯人の顔を見上げる。その目が笑っていて、私は感情のままに不審がった。
「何のつもりなのかコレ?」
「テンガロンハットでございます」
棒読みで答えられて、私は怒ったよ。うん、もう君と話せる時間はほんの少ししかないのに……こんな物貰っても返すこと出来ないのに……
私は怒ってる。君にも、自分にも……
「そんなこと聞いてないよ。なんでこんな物持って来たの?」
「じゃじゃ馬にはお似合いと思いまして~」
私をじゃじゃ馬呼ばわりした君はテンガロンハットを拾い上げる。出来ればそのまま持って帰って欲しいという私の思惑なんて君はお構いなしだ。
ぽんっと頭にテンガロンハットを載っけられて、私は苦しくなった。
あ~っ、もう嫌だ。なんでこの人は私の調子をこうも簡単に崩すんだろう。こんなに私は君に心乱されているのに、なんで君は平気なんだいっ!?
君なんてっ大っ大っ大っ嫌いだっ!!
「部屋に引き籠もってるお嬢様をデートに誘うには日除けの帽子が良いと思いまして」
「…………っえ?」
えっ? なに言ってるんですかこの人? 私みたいな醜い女に君は当てられておかしくなっちゃたのかい?
あれ? どうして? なんでだろう? 顔が熱いぞ? 体中熱くなって来ちゃたぞっ? あれっ? 頭がうまく働かない?
ズレたテンガロンハットの所為で、君の顔が見えないよ。
「つきましてはお嬢様。このわたくしとお付き合いして頂けませんか?」
なっなっなんて、言いました今っ!? 私はいま告白さてるの? よりにもよって君にっ!?
カチッーンだよ。カッチカッチだよ。私は君の所為で固まってしまたぞっ! どうしてくれるのさっ!!
混乱する私。固まる私。そんな私の、それまでズレたテンガロンハットの所為で隠れて見えなかった視界の中に、突然君の顔が大写しになる。
私はぎょっとすることも許されなかった。私は君に奪われてしまった……
「それじゃあ返事、待ってるから……じゃあ、またな希恵」
随分勝手なことを言ってくれるね君は……
もとより、私は君のせいでグゥの音も出せないよ。ただ君の背中を見送ることしか出来ないよ……
ああ、どうしよう? 君のせいで私の計画は台無しだよ、ご破算だよ……『またね』は言わなかったけれども『さよなら』も言えなかったぞっ!
君のせいだっ! 君が全部悪いんだっ!!
これから先もずっと私は君を雁字搦めにして離してやるもんかっ!!
責任取ってよっ!! 私の大好きな人。
名前呼ばない 終