第41話 ラダトイムの三十人
レンドルは、冷めかけたスープの椀を強く握り直した。
次に語るべきことは、歴史の闇よりも恐ろしい、近い未来の予言だった。
「……ギスカール。
ラクアは、こうも言っていたんだ」
焚き火の火をじっと見つめたまま、レンドルはあの泥の中で聞いた冷徹な声をなぞる。
「『次は、エルフたちの森だ。
エルフは皆殺しだ』……と」
ギスカールは飲むのを止め、椀を静かに地面へ置いた。
「……み、皆殺しだと? そいつは冗談じゃねえな」
信じられない、といった風にギスカールは首を振る。
「俺にも理由は分からない。
ただ……あいつは何かを企んでいる、そんな気がしてならない」
ギスカールは火を突き、影を揺らした。
しばらくの沈黙ののち、顎に手を当てて低く呟いた。
「エルフたちは魔法戦士だ。
全員と言っても誰も疑いはしない。
人族よりは少ない種族だが、それでも戦いになれば圧倒的だ」
レンドルは頷き、そして思ったことを、そのまま口にした。
「だからこそだ。
エルフを潰すなら、単独じゃ足りない。
ヴォルテニアが援軍なんだと思う」
ギスカールは、スープを抄いレンドルと自分の椀に注いだ。
「……現実味を帯びてきたな」
レンドルはギスカールから椀を受け取り、一口飲んだ。
少し熱い。
背中が冷える感じを拭いたかった。
「明日、バルザードに話をするつもりだ」
「そうだな……今日は色々ありすぎた」
「ギスカール、俺は怪我もしてないし、夜番はするよ」
「……ありがとうな、レンドル」
ギスカールはスープを飲み干すと、荷馬車に入り、やがて寝息が立った。
見回りの兵士が巡回しているはずだ。
レンドルも少し仮眠を取ろうと思った。
どんなに疲れていても、すぐに起きられる。
訓練兵時代に叩き込まれた。
――だが今日は、本当に疲れた。
意識はすぐに落ちた。
******
翌朝。
レンドルとギスカールは、バルザードの天幕に通された。
そこにはカルドラと、もう一人のエルフの女性がいた。
全員が小さな円卓を囲み、向かい合っている。
まず、昨夜の出来事を説明したうえで、レンドルは本題を告げた。
「……ラクアは。
『次はエルフの森だ』
『エルフは皆殺しにする』
と、そう言っていたのを、俺は聞いた」
天幕の空気が張り詰める。
バルザードが低く言った。
「荒唐無稽とは思えん話だな。
……後継者争いをこの地でやっているのか。
群れの長を決める、闇の狼のような修羅だ。
ヴォルテニアは狂国だな」
そのとき――
同席していたエルフの女性が静かに口を開いた。
「ラクロアンはヴォルテニアに攻撃された。
ゆえに森と手を取りたいと望んでいる。
ラクロアンの保護区にいるエルフ――孤児や難民を、戦火に巻き込まれる前に森へ送り届けたいと。
それが友好の証だと、書簡が届いた」
ギスカールが眉をひそめる。
「俺達にそんな情報を話していいのか」
女性は迷わず答えた。
「必要だ。
ことはユグ=シルヴァンに関わる。
いまここで話さねば、同胞が死ぬかもしれない」
バルザードが問う。
「何人だ」
「三百はいると聞く。
一度には動かせぬゆえ、三十人ずつ隊列を組む、と聞いている」
ギスカールは、羽根突き帽子の縁を丁寧に整えた。
「エルフってのは判断が早いな。
俺はギスカール、商人だ。
あんたの名前を教えてくれないか」
「ファルダよ。
あなたの話は聞いた。
目も耳もいいそうね」
若いエルフのようだった。
なんだか、ギスカールの目が、いつもと違う眼差しを向けている。
「三十って数を、どこかで耳にしたんだが、思い出せねぇ」
腕を組む。
「……なんとなく、どこかで聞いたことがある話なんだが」
カルドラが顔を上げた。
「ラダトイムの三十人のこと?」
ギスカールが小さく息をのむ。
「お! たしかそんな呼び方だった」
全員の視線がカルドラへ集まる。
バルザードが問う。
「何かあるのか」
カルドラは、ゆっくりと口を開いた。
「はるか昔の話。
――ラダトイムの三十人。
それはこの大陸でも、ヴォルテニアでもない。
アステ・ガルズで起きた出来事よ」
バルザードが低く続ける。
「ラクロアンの小国の一つが、船団を組み、移民をこの地に送ってきている。
たしか、アステ・ガルズの地からだ」
焚き火が揺れる。
カルドラが語り始めた。
「ラダトイムは、ガルガイムを攻撃し続けていた。
力の差は明らかだった。
追い詰められたガルガイムは、正面からでは勝てない。
だから賭けに出た」
「嵐の夜、使者が来た。
降伏する。
王族を、姫を連れてきた。
だから外門を開けてくれ、と」
レンドルが唾を飲み込む。
「ラダトイムは勝者側だった。
疑わなかった。
縄で繋がれた三十人が城内へ通された。
全員、ボロの下に完全武装。
縄は飾りだった」
ギスカールが低く呟く。
「――油断していた」
誰も息をしない。
「三十人は門を守らなかった。
衛兵や門番を斬り、すぐに王城へ向かった。
小さな城だったけれど、あれが国の心臓だった。
三十人はそこを襲撃した。
一時間も経たず、王城は制圧された」
「その隙に、外で待機していたガルガイムの軍が流れ込んだ。
門は開いている。
翌朝にはすべてが終わった。
ラダトイムの王族と貴族は処刑され、国は滅びた」
カルドラは顔を上げる。
「だから、彼らは“国落としの三十人”と呼ばれている」
天幕の中に、重い沈黙が落ちる。
バルザードは目を細め、ギスカールは腕を組み直し、。
ファルダは静かに視線を落とした。
ファルダが口を開く。
「今の話と違うのは、三十人とは限らないこと……」
レンドルが顔を上げる。
「どういうことだ?」
ファルダが答える。
「三十人を十回よ。
最初は厳しく確認するでしょう。
二度目も。
三度目も。
でも、七度目は? 八度目は?
後になれば確認は形になる。
すぐ次が来るのなら、門は閉めなくなる」
ギスカールが低く言う。
「最後の三十人とは限らない。
途中から、少しずつ混ぜればいいってわけか」
レンドルの喉が鳴った。
「……加護持ちを」
バルザードの視線が鋭くなる。
「ラクアは……俺から加護を奪った。
それに、複数の加護を持っていると、俺はグリフォート団長から聞いた」
レンドルはバルザードに視線を向けた。
加護の話になると、どうしても視線が向く。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「他者にその加護を与えられるなら、いや、出来るだろう。
森の中に、加護を持った戦士が入り込む。
選ばれた精鋭の加護持ちが、一体何人紛れ込む」
レンドルは、視線をファルダに向けた。
「いったい、どれほどの加護を奪ったのか。
三十……いや百も奪っているかもしれない。
――それが森に来るのなら」
ファルダは両手を少し上げ、降参の仕草をした。
「加護持ちが百人もいたら、数時間で我らは終わるでしょうね。
――皆殺し、ね」
重い沈黙。
ファルダが続ける。
「拒否すれば同胞を見捨てる。
受け入れれば森が戦場になる」
そして、もう一度言った。
「本当に保護されたエルフだけなら問題はない。
けれど私には、そのラクアという男が、何の企みもなく、我らに近づくとは思えない」
バルザードが立ち上がる。
「森で判断する」
レンドルは拳を握った。
門を閉じるか。
開けたまま刃を構えるか。
どちらを選んでも、森は血を見る。
戦は、まだ始まっていない。
だが――もう、すぐそこまで来ている。




