第30話 死神のポーカー・ミスリルのブラフ
ワイングラスを傾けながら、死神と呼ばれた男――シャルフは苛立ったように言った。
「話はまとまったか。
ワインがぬるくなってまずくなる」
焚き火のそば。
騎士や貴族、有力商人たちが見守る中、ギスカールは肩をすくめる。
「なら、もっとまずくなるかもしれませんよ」
その軽口に、場の空気が一瞬、張り詰めた。
「……お前がギスカールか」
シャルフは目を細める。
「耳のよい商人だと聞いたが、さて」
隊列にはお抱え商人のダストンがいる。
大隊列の交易商品は、彼が揃えたものが多い。
情報の嗅ぎ分けが利き、長年の付き合いだった。
そのダストンが一泡ふかされた男――
ギスカールはバイコケット――前が尖った羽根付きの帽子を軽く触り、頭を下げた。
そして、一歩踏み出した。
「エルフの“大物”がいるはずです。
ここに呼んでもらえませんかね」
焚き火が爆ぜる。
「断ると言ったら?」
「それは――」
ギスカールは、ちらりとレンドルを見る。
「エルフと手を結ぶ材料はいらない、という話になります」
シャルフは鼻で笑った。
「……はは、俺が求めているのは、こういう勝負だ。
しかしな、それを判断するのは俺だ。
いきなり呼べるとは思うな」
大物のことを知っている。
どの程度までかは分からない。
一部の懇意な商人にしか、この話はしていない。
――この男は、当たりだ。
その時、レンドルが口を開いた。
「……エルフの持つ“加護”と関係があります」
シャルフの目が、一瞬だけ鋭くなる。
「だめだ」
短く、切り捨てる。
その声には、拒絶以上のもの――忌避に近い感情が混じっていた。
「加護はエルフたちが過敏に反応する話題だ。
ここに呼び出したければ、最初にエルフの利益になる話を出せ」
シャルフは、サンガード側の記録を思い返す。
サンガードでは、エルフが樹の魔物を庇ったとされてきた。
それがエルフの森との戦いの発端だった。
少なくとも、サンガード皇国が建国された記録ではそうなっている。
続く争いを終わらせるために、エルフは樹の魔物――聖樹を公にした。
エルフに加護を与える存在だから守護している、と。
そして、和解の交渉中にサンガードはエルフを襲い捕らえた。
関係がさらに悪化したのは言うまでもなかった。
長い沈黙が落ちた。
焚き火の音だけが、やけに大きく聞こえる。
やがて、レンドルの表情が硬くなった。
覚悟を決めたように続ける。
「……エルフの“賢者”の居場所を知っています。
探しているはずです」
手元で、ワイングラスが静かに回る。
シャルフの表情は、変わらなかった。
「エルフにとって有益な話だな。
名前は?」
答えかけたレンドルを、ギスカールが制した。
「……それを言ったら、交渉にならんでしょう?」
シャルフは、視線を据えた。
数秒の沈黙。
やがてシャルフは、短く手を振った。
近くの騎士に低い声で命じる。
「内容は伝えるな。
エルフの賢者について、重要な情報がある。
こちらに来てもらえないか――そうだけ伝えろ」
騎士が一礼し、焚き火の向こうへ消える。
――数分後。
「連れて参りました」
深緑色のマントにフードを被ったエルフが、静かに進み出る。
やがてフードが外され、その姿があらわになった。
プラチナブロンドの長い髪を緩く結い、その下から覗く尖った耳が、現れた。
顔立ちは端正だが、その眼差しは鋭く、見る者を射抜くような威圧感を放っている。
腰には装飾が一切ないロングソード。
革製のベルトとポーチ、そして短剣が備え付けられている。
静かな立ち姿だが、その全身からは隠しきれない歴戦の風格が感じ取れた。
「呼びつけて悪いな。
エルフに関係することだったんでな、協力は必要だろう」
シャルフはそう言って、ワイングラスを傾けた。
その視線は、焚き火の向こうに立つエルフを量るように動く。
敵を見る目ではない。
「勘違いするな、ルベリアの騎士よ」
その声は、視線の意味を理解したうえで、はねつける響きだった。
「我々がここにいるのは、協力ではない。
ユグ=シルヴァンの名を汚したエルフとはいえ、人族の手で晒し者にはさせん。
エルフの不始末はエルフでつける。余計な真似はするなよ」
焚き火が爆ぜる。
その言葉は、拒絶だった。
アドラスの件だ。
「使節団だけの話ではない。
冒険者は腱を切られて戻され、恐怖を運ぶ役にされる。
商人は奪われ、身代金を生む。
それ以外は、街道に死体と空の荷車が残る」
シャルフは、わざと間を置いて答えた。
「我々ルベリアに多くの被害が出ているのは事実だ。
悪党と分かっていながら、随分と放置している。
手が回っていなかったようだな」
同盟交渉の席に座らせてやる。
そういう腹が、はっきりと透けていた。
だからこそ――。
エルフの声は低く、冷えた響きが返ってきた。
「知らんな、人族にも盗賊はいるだろう」
一歩も退かない。
「エルフと手を組みたいと、頭を下げに来た人族の態度とは思えんな」
焚き火の熱が、一瞬、下がったように感じられた。
シャルフは黙っていた。
このエルフが、感情で話していないことを理解したからだ。
恩を売らせない。
主導権を渡さない。
これは協力の話ではない。
誰が、どこに立つかを決める話だった。
「まぁ、アドラスが現れたら、エルフ側で処分するのは構わない。
妥協点が見つかれば、手を組める、そうだろ」
「見つかれば、な」
シャルフは、内心で舌打ちした。
交渉が難航している。
それは、この場にいない王族たちの神経を、確実に逆撫でしていた。
ヴィルテニアの脅威が迫っている。
エルフとの同盟は不可欠だ。
――アドラス。
この存在が現れたからこそ、計画を立て討伐隊を編成した。
今回の大隊列には、理由がある。
表向きは交易と護衛。
だが裏では、アドラス討伐という“恩”をエルフに売る算段だった。
人族が血を流し、その成果を差し出す。
それで交渉の席に着ける。
――そう、踏んでいた。
だが、その目論見すら、今、真正面から拒まれている。
エルフは言った。
不始末は、自分たちで拭う、と。
シャルフは、グラスの中を飲み干した。
グラス越しに、向こうのエルフを見据えた。
――このままでは、詰む。
シャルフの視線は、一瞬だけ、赤髪の若造へと流れた。
恩にも、貸しにもなり得る存在。
偶然生まれたカードが、ここに一枚、転がっている。
エルフの声が低く、よく通る声でシャルフに言った。
「……では、自己紹介は不要だろう」
視線と視線が交差した。
「賢者は、どこにいる?」
シャルフがレンドルを見る。
そして、顎をあげ、答えろと合図を送った。
「サンルードの神殿です。
神官補佐をしていました」
シャルフはエルフを見る。
エルフは無表情のまま、レンドルを見返した。
「なぜ、神殿にいたか分かるか?」
ギスカールの喉が鳴った。
エルフは賢者を探している。
「分かりません。
ただ、俺はそこで……加護を得ました」
「誰からだ」
――空気が変わる。
「神官です。
声は、女の人でした。
……たぶん、エルフ」
「神官補佐の名前は?」
ギスカールが、レンドルを見る。
その視線に気づき、レンドルは一瞬、躊躇した。
「……ここで言って、いいんですか?」
エルフは周囲を見回す。
「……む、そうだな」
エルフは一度だけ頷いた。
だが、シャルフは遮る。
「言ってもらわねば困るな。
俺は勝負卓にいる当事者だ。
ルベリアを外してもらっては困る」
沈黙。
「――ネオネスと名乗っていました」
エルフの眉間に、深い皺が刻まれた。
短い沈黙。
やがてエルフは、シャルフを見て言った。
「……続けて、話すぞ」
シャルフは、ゆっくりと頷く。
「お前の加護はなんだ」
低く、鋼のような声だった。
レンドルは一瞬、言葉に詰まり――静かに答えた。
「……身体強化でした」
一拍。
「……待て。『でした』だと?」
声色が変わる。
「どういう意味だ」
「加護を奪われました。
今の俺には、もうありません」
焚き火の爆ぜる音が、やけに大きく響いた。
シャルフが、新たに注がれたワイングラスを傾けたまま口を開く。
「……加護を奪うことは、可能なのか?」
エルフは沈黙した。
「できるんだな」
だからシャルフは理解した。
それ自体が、答えだった。
続いて、ギスカールが、探るように言った。
「エルフの秘儀ってことですかい」
冷えた声が返る。
「答える必要はない」
シャルフは、わずかに口角を上げた。
「……それも、答えだと言っているようなものだな」
「ルベリアの騎士よ。
……ここでは話の続きはできんな」
エルフの視線が、シャルフに向けられる。
「だめだ。
話を聞きたいなら、この場だけだ」
「同盟の話、どうなってもいいのか」
「かまわん、エルフの秘儀で加護が奪える。
賢者ネオネスに関係している。
違うか?遠からず、だろ」
「貴様……」
「俺は今、この男と勝負をしている。
賭け金は、こいつの命だ。
――お前も、勝負卓に座っていろ」
「勝手なことを」
「では、降りろ。
――ネオネスに聞きに行ってもいいんだ」
「ルベリアの小僧が俺を脅す気か!」
「お前が教えてくれないなら、知っている奴に聞きに行く。
何もおかしなことじゃない。
降りるなら、天幕まで案内させよう。
俺はこの男と、じっくりと会話を楽しむつもりだ」
エルフの視線が、レンドルに向けられ、小さく息を吐いた。
「……ふぅ、誰に奪われたのか教えてくれ」
「ラクアです。
ラクロアンの」
短い沈黙。
「……どう奪われた」
レンドルは一瞬、言葉を選んだ。
「……あなただけに伝えたい」
「それはだめだ。言え」
シャルフが言い切る。
だが、エルフは一歩前に出た。
「ルベリアの騎士よ。
もし、この若者の言うことが真実なら――
同盟の件、前向きに考えよう」
その言葉に、場がざわつく。
「だから、私だけに話してもらいたい」
「真実じゃない、そう言ったら――
全部話す。そうだろ、レンドル」
ギスカールが、さりげなく言葉を添えた。
エルフは、その場で歯を、ぎり、と噛みしめた。
シャルフは、その微細なやり取りを見逃さなかった。
――間違いない。
加護を奪うことは、本当にできる。
「……それほどの内容なのか」
シャルフは唸り、やがて吐き捨てるように言った。
「いいだろう。
だが、その言葉、違えるなよ」
ギスカールが、震える手で紙とペンを差し出した。
「こういうのは、書いて渡したほうがいい。
万が一、聞こえたらまずい話なんだろ?
……お互いのためだ」
エルフとレンドルは頷いた。
レンドルは、誰にも見えないよう紙に書き記す。
そして、差し出そうとした、その時――
手を胸に引っ込めた。
「これを受け取るなら――
俺を、エルフの森へ連れて行ってほしい」
「……真実ならば、いいだろう」
シャルフが、噛みつくように言った。
「おい、勝手に決めるな!
そいつをどうするかは俺が決める!」
「同盟の件を前向きに、と言っただろう。
すべての話は無しになる」
エルフは静かに返す。
シャルフは、しばらく黙り込み――やがて笑った。
「……レンドル。
いい札の出し方だ」
紙を受け取ったエルフが、目を見開く。
「――なんてことだ」
「どうなんだ!」
シャルフは思わず声を上げてしまった。
「……真実だ。
この男の言っていることは」
場がどよめく。
「探し求めていたものだ」
エルフは紙を焚き火に投げ入れ、
完全に燃え尽きるまで、目を離さなかった。
そして、レンドルに向き直る。
「先ほどは、無礼なことをした。
レンドル、といったな。
私は――ナブラの息子、
バルザード・アズ=シルヴァン」
胸に手を当て、数秒、頭を下げた。
「ダルトハットにて、ミスリル級冒険者をしている。
……レンドル。感謝する」
エルフが自ら、名をすべて名乗る。
頭までも下げた。
それは最大限の敬意だった。
それは、この場の交渉そのものが、彼の意思一つで動き得ることを意味していた。
騎士も商人も、息を呑む。
しかし、それだけじゃない。
レンドルも、ルベリアの騎士も、商人も、その名乗りを聴いて、思い出した。
「……まさか」
「始まりの開拓団……?」
「剣聖、だと……」
「伝説のエルフだ」
囁きが、焚き火の周囲を這う。
古い年代の騎士は、息を呑んだまま動かない。
若い商人は、思わず口元を押さえた。
絵本や吟遊詩人の語りでしか知らない名。
それが、今、目の前で赤髪に頭を下げた。
ギスカールは、呆然と呟いた。
「……黄金どころじゃねぇ。
――ミスリルだ」
だが――
シャルフだけは、表情を変えなかった。
ただ、グラスを傾け、
エルフを、静かに見据えている。
バルザードは、視線を伏せ、続けた。
「……だが、すまない。
君を、エルフの森には連れて行けなくなった」
それは拒絶だったが、敵意は感じられなかった。
レンドルの胸が、静かに沈む。
死神は、命を天秤に乗せ始めた。




