第29話 死神のポーカー・三つの手札
シャルフ隊長、騎士、貴族や有力商人たちの集まっている焚き火から、少し離れた場所に、ギスカールはいた。
兵士に連れられて、ギスカールは小さな焚き火に揺られながら、レンドルがこちらに来るのを見ていた。
兵士は、レンドルがギスカールのもとに来るのを確認すると、無言のまま距離を取った。
炎が爆ぜる音に紛れるほど、残った二人の声は抑えられている。
この焚き火の周囲には人の輪ができている。
だが、その中心だけが、奇妙に空いていた。
レンドルの顔を見るなり、ギスカールは短く息を吐く。
はっきりとは見えないが、その表情は、商人ギルドへ向かう直前のそれによく似ていた。
損得を数え直す前の、あの顔だ。
「すまない、ギスカール。
巻き込ませてもらった」
レンドルが、ルベリア騎士の剣の輪から抜け出せたのは、目の前の男のおかげだ。
ほんの少しでも判断が違っていたら、ここには立っていない。
短く頭を下げる。
その拍子に水袋が腰に当たった。
口をつけたいが、満杯だったはずの中身は、ほとんど残っていない。
「俺も、まだまだだったってことだな。
商人ギルドで黄金騎士が倒されたことは聞いていたが、
レンドルの名前までは、確認してなかった」
「英雄殺し……加護持ちだったんだな?
そんな風には見えなかったぜ」
ギスカールは焚き火を横目にしたまま答える。
「あぁ、だけど加護は奪われて、今は加護なしだ。
そのおかげで、まだ生きている。
ギスカールを呼び出したのは、俺が生き残るために協力してほしいからだ。
勝手なことを言っている」
「来る途中で兵士に探りをいれてみたが、無口な奴でな。
ただ時間がないってのは、分かった。
五分しかないんだろ、まずは話してくれ」
本当は聞きたいことが山ほどある――
だが、今はそれを抑えている。
商人としての直感が、順番を間違えるなと告げていた。
その時、遠くにいたルテウスが距離を詰めかけた。
すぐ横にいた兵士が、無言で半歩前に出る。
槍をルテウスの前に差し出し、ゆっくりと首を横に振った。
――ここまでだ。
言葉はない。
だが、それで十分だった。
ルテウスは両手を軽く上げ、素直に一歩下がる。
それ以上、前に出ようとはしなかった。
会話の内容は聞こえない。
だが、踏み込んではいけない話だということだけは、周囲の誰もが理解している。
兵士がルテウスを制止した、その瞬間に。
今の二人に近づけば、騎士や兵士に斬られる。
それが、この隊列での暗黙の了解となった。
レンドルは一度、息を整えた。
喉がひりつく。
焚き火の熱と緊張が、じわじわと体力を削っている。
「俺は――」
一瞬、言葉を探す。
「ラクアに殺される、その瞬間に……
サンルードで授かった加護が、抜けていった」
身体強化の魔法を使う感覚だけが、奇妙に残っている。
だが、あの確かな“後ろ盾”は、もうない。
「エルフに、奪われた」
焚き火の向こうで、誰かが薪を足す。
ぱちり、と乾いた音がして、火の粉が舞った。
「そして、その加護は……
ラクアに渡された。
その話にシャルフ隊長が食いついたんだ」
ギスカールは、すぐには反応しなかった。
目を細め、指先で顎をなぞる。
「どうやって奪われた」
「やり方は知らない。
俺とエルフ、ラクアが、光の糸で結ばれた」
ギスカールは小さく息を吐き、手のひらを上げる。
商人としては珍しい、純粋な驚きの仕草だった。
「エルフの秘儀か……
もしくは、そのエルフが特別だな」
レンドルが続きを待つ。
「今の話、その札が使えなかったら終わりだ。
一つを掘り下げるより、並べろ。
使えるかどうか、組み合わせられるか――
そこを見る」
レンドルは、小さく頷いた。
「正直に言う。
加護については、俺も詳しく知らねぇ。
調べたこともないし、商品として扱ったこともない。
高位の神官か、国や軍が隠す類だ。
だが、シャルフ隊長が食いついた。
――その加護の簒奪が事実なら、札になるかもしれねぇ」
間を切る。
「よし、次だ。
なんで、ルベリアとの戦争に“ラクロアンのラクア”がいた」
「ルベリアとの戦争のあと、ラクロアンと同盟を結ぶことになっていた。
ただ、指揮を執っていたグリフォート団長が、急遽ラクアの暗殺を仕掛けて失敗した。
……みんな死んだ」
一瞬の出来事だった。
何が起きているのか理解する前に、周囲の騎士が踏み込もうとし、
氷の魔法に阻まれた。
「続けてくれ」
「その場にいたサンガードの騎士と共に、一斉に仕掛ける作戦だった。
でも、俺はできなかった」
「なぜだ」
一瞬、喉が鳴った。
「暗殺の直前に、俺とラクア、エルフとで銀狼と戦ったんだ。
そのエルフが暗殺の場に居て、手も体も動かなくて……」
「じゃぁ、暗殺に加担してないのか」
「してない。
でもラクアと一騎打ちになって、殺された」
「死にかけのところを、エルフが加護を奪い、ラクアに渡した、ってことか」
「そう、そうなんだ」
「そのエルフは何者だ?
黄金騎士を斬った、お前の体が止まるほど強いのか」
一瞬の間。
「え、少女のエルフなんだ。初めて会った」
ギスカールの顎を触っていた指が止まる。
目が、ほんの一瞬だけ細くなった。
「……つまり、そのエルフに目を持っていかれた」
「あ、その……気になってしまって」
――惚れてんじゃねーか。
「一緒に戦ったから、気になっただけだ」
「お前、よく生き残ったな……」
「……ともかく、そういうことなんだ。
加護を奪われた、その話にルベリアの隊長が食いついた」
「だから、情報に値段を付けてもらって、見逃してもらえないか、って」
「値段を付けても、お前は死ぬか牢獄行きだろ」
「……なんで?」
胸の奥が冷えた。
剣で死ぬことなら、分かる。
痛みも、血も、終わりも――知っている。
だが、今言われたそれは、
レンドルの中に、なかった。
はっきりと言葉にされた。
「ルベリアが、お前を生かす理由がない。
惨い尋問を受けて、吐いたら
“とんでもない情報だった”で終わりだ」
「でも俺は今、監禁されてない……」
それが、何を意味するのか。
レンドル自身、まだはっきり分かっていなかった。
「この大隊列の隊長は変わり者だからだ。
賭け事が好きな有名人だ。
お前が吹っ掛けた勝負が、面白いってだけで遊ばれてる」
命を、だ。
遊ばれている。
「レンドル、おまえ死を体験したせいで、
自分が死なないとでも思ってるんじゃないか?」
「……なにも……分かっていなかった」
俯いた横顔に焚き火の揺らめきは届かず、
影だけが、顔の輪郭をかたどっていた。
「――だが、大勝負になったじゃないか」
言葉は出た。
だが、声に力はなく、内心は揺れていた。
「銀狼か、古の魔物だったな。
なぜ、銀狼が戦争の最中にいたか、わかるか?」
「……そのエルフを狙っていたようだった」
レンドルは、無意識に唇を噛んだ。
否定したいのに、言葉が続かない。
胸の奥に、得体の知れない不安だけが残っていた。
「サンガードでも、銀狼がエルフを殺した話を聞いた。
エルフを狙っている魔物だと。
おまえの加護はラクアに渡った。
加護を奪ったエルフを、銀狼が狙っている。
人族の争いにわざわざ顔を出す理由は――
特別なエルフだから、なのか」
ギスカールは思考を隠さなかった。
ここは、一人で結論を出す場じゃない。
「そんなこと、どうやって見極めるんだ」
「さぁな。
違うかもしれないし、そうかもしれない。
――時間がもったいない、次だ」
「まず一つ。
ラクアは、他にも加護を奪っている。
つまり、複数の加護を持っている可能性がある」
「奪われた事実が広まっていない。
ということは――
奪われた側は、基本的に生き残らない」
「お前は、例外だった。
じゃぁなぜ生き残った」
致命傷だった。
意識を失い、死んだはずだった。
それでも目が覚めた。
「目を開けた時、傷はふさがっていた。
気が付くと青い光が、身体を包んでいた。
それが生き残った理由だと思う」
ギスカールは、わずかに眉を動かす。
「治癒の魔法……いや、違うな」
短く考え込む。
「似た話は一つだけある。
雷の神レイナダの祝福だ」
それ以上は踏み込まない。
確かめる術がない。
「ただ、ルベリアがお前を生かす理由にはならない。
逆に言えば、作る必要がある」
周囲の喧騒は変わらない。
笑い声も、食器の音も、普段通りだ。
だが、この二人の間だけ、時間の流れが違っていた。
「次だ」
「エルフが、加護を奪い、移したという点」
「……はい」
ギスカールは、小さく頷く。
「世に出ていない。
なら、エルフが秘匿している可能性が高い」
「個人技かもしれないし、秘術かもしれない。
どちらにせよ、それをルベリアに聞かせりゃ、エルフの恨みを買う」
「さっきのエルフの少女だ。
なぜラクアと一緒にいる。
分かるのは、エルフの技をラクアが知っているってことだ。
弱みでも握られているのか……」
「あっ」
「ん、なんだ」
「賢者と呼ばれるエルフが、
サンルードに捕らわれています。
その少女の父親です」
ギスカールの眉が、わずかに動いた。
「エルフたちは、探しているはずだ。
賢者なら、大事な存在だと思う」
「そいつだ、それしかねぇ」
「賢者の娘なら、秘儀を知っていてもおかしくない」
「クソッ、交渉相手が違ったんだ」
「どういうことだ」
「お前の相手はルベリアじゃない。
エルフだ」
「加護の秘儀をルベリアにばらす。
その代わり、エルフの森に連れていけ、ってな」
しばらく、沈黙が落ちた。
「……それだと、エルフにもルベリアにも、うまみがない。
皆に儲けが回らなきゃ、恨まれる。
そう教えてくれたのは、あんただ」
ギスカールは、はっとした。
「そうだ……焦っちまった。情けねぇ」
吐き捨てるでもなく、笑うでもなく。
商人が数字を引き直す時の顔になった。
「ルベリアじゃなくて――
口封じに、エルフがお前を斬って終わるだけだ」
焚き火の向こうを一瞥する。
「商人ギルドで古い知り合いがいてな。
高かったが仕入れた情報がある。
ルベリアに来ている使節団の中に、大物のエルフがいるって話だ」
「そいつを引きずり出せば、交渉になるかと思ったが……
情報が足りねぇ」
「おい、時間だ!」
遠くから声が飛んだ。
先ほどギスカールを連れてきた兵士が、こちらへ歩いてくる。
ギスカールは舌打ちし、指を三本立てた。
「いいか、レンドル。
手札は三つだ」
一つ目。
「加護を奪った、ラクア」
二つ目。
「捕らわれた、賢者」
三つ目。
「そして――
加護を奪った、そのエルフだ」
じっと、目を見る。
「話が進めば、札は増える。
だが、減ることもある」
胸の奥が、熱くなった。
「おい、早くしろ!」
シャルフ隊長の声に似ていた。
もう戻らなければならない。
「今の札だけじゃ、ルベリアはお前を許さねぇ。
エルフが、お前を助ける理由を作るしか……」
言葉は、途中で途切れた。
兵士が来て、ギスカールを連れて行く。
残されたレンドルは、空を見上げた。
青い月が、静かに浮かんでいる。
さっき話したせいか、
エルフの少女、ジークの顔が浮かんだ。
よく泣いていた。
父親が生きていると知って、泣いていた。
喜びの涙だった。
大切だから、泣いていた。
彼女の父親ネオネスも、きっと同じだ。
そうでなければ、あんな涙を流すはずがない。
――名を交わす前だったな。
もう一度、名を交わすところから始めたい――そう思った。
兵士が戻り、今度はレンドルを勝負卓へ連れて行った。
レンドルには、三つの手札が揃った。
ただ、それが勝ち札かどうかは、まだ分からない。
足取りは重い。
加護を失ってから、身体の感覚がずれたままだ。
それでも今は、腰に剣がないことが、
彼女と話していた時の感覚を、思い出させていた。
あの時、剣を抜く必要はなかった。
ただ、そこに立って、話をしていただけだ。
だからだろうか。
今は剣の重さがないことが、
心まで軽くしている気がした。
勝負卓に死神が腰を下ろし、ポーカーは再開された。




