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第19話 聞こえなくなった、青い月の歌

 激しい雨が続いていたが、雲に切れ間が生まれた。

 その合間を縫うようにして、サンガード皇国とラクロアンは、同盟を結ぶことになった。


 場には、双方から証紋官。

 そして、証紋ギルドから秤紋官(はかりもんかん)

 互いの陣営から、契約代理人である紋章官。


 サンガード側は、グリフォート団長、ブルード、レンドル、護衛数名。

 ラクロアン側からは、ラクアと護衛数名。

 その中に、ジークの姿があった。


 あえてレンドルは、ラクアともジークとも目を合わせなかった。

 護衛の陰に身を寄せ、平静を装う。


 まだ、迷っていた。

 思考が、整理できていなかった。


 だが、一刻一刻と、その時が来ている。


 ――どうしたら。


 加護を得てから、まだ数日しか経っていない。

 傷は癒えたが、心は、ぼろぼろだった。


 訓練生のままでいられたなら、よかったのだろうか。


 再び雨が落ち始め、

 空は、もはや晴れるつもりなどないようだった。


「同盟の内容は、代理人により確認されました」


「それでは互いの証紋にサインを」


「サンガードの契約代理人、サンガード騎士団長グリフォート殿、こちらへ」


 秤紋官(はかりもんかん)の声が、雨音を押しのけて響いた。


 もう、時間がなかった。


 ――なぜおれは、ここにいるんだ。


「ラクロアンの契約代理人、代表、ラクア。こちらへ」


 ――理由は、なんだったのか。


 その瞬間、レンドルはジークの顔を見てしまった。

 そして、ジークもまた、レンドルを見ていた。


 視線が、ほんの一瞬、絡む。


 ラクアが、右手で羽ペンを取った、その瞬間――。


 合図はなかった。

 号令もなかった。


 それでも、全員が同時に動いた。


 ブルードが踏み込み、

 団長が剣を抜き、

 護衛たちが一斉に距離を詰める。


 ――そして。


 レンドルは、剣を抜けなかった。


 視界の端で、ジークの姿を捉えてしまったからだ。


 その一瞬で、身体が止まった。


 考えではない。

 反射でもない。


 ただ、手が動かなかった。


 刃が空気を切る音が重なり、

 殺意が、同盟の場を塗り潰していく。


 レンドルだけが、その流れから取り残された。


 次の瞬間。


 地鳴りとともに、無数の氷柱が地面から突き上がった。

 同盟の場は、一瞬で氷の森と化す。


 剣も、叫びも、動きも――

 すべてが凍りついた。


「これは、どういうことかな」


 ラクアの声だけが、静かに響いた。


 氷に閉じ込められたサンガードの騎士たちを見回し、

 肩をすくめる。


「なるほど。

 最初から、全員で殺しに来たわけだ」


 氷の柱が林立する中、ラクアは笑った。

 その笑みは、楽しげというより、どこか冷めている。


 氷の奥で、誰かが崩れ落ちた。

 音は、もう聞こえなかった。


「せっかく生き残ったんだ。

 剣をしまえよ、グリフォート」


 氷の魔法の影響を受けながらも、

 グリフォートは辛うじて剣を構えていた。


 その身体は、すでに深い傷を負っている。


「私は対話をしに来た。

 そして、同盟を結びに来たんだが、な」


「サンガードを蝕む悪鬼め」


 その言葉に、ラクアの表情がわずかに歪んだ。


 口元を押さえ、笑いを堪えるような仕草。


「陛下を暗殺した貴様が、何をどの口で言うのだ」


「なるほど」


 ラクアは、ゆっくりと息を吐いた。


「私がそのようなことに加担していた、というシナリオか」


「フィリネアリと恋仲だった貴様が、共謀してやったのだろう!」


「仮に――いや、そうだったとしても」


 ラクアは、首をわずかに傾ける。


「この場で亡き者にしようというのは、浅慮というものだ」


 静かに、剣が抜かれた。


「剣をしまわぬというのなら、仕方あるまい」


 グリフォートが踏み込もうとした、その瞬間。


 ラクアの剣が閃き、容易くいなされる。


 次の刹那、

 グリフォートの首元に、赤い線が走った。


「ジーク」


「証紋官たちと紋章官は、氷の拘束を解け。

 証人になってもらわねばならんからな」


 ジークが手を振ると、

 氷の拘束が次々と解かれていく。


「証人になっていただけます、かな?」


「もちろんだ。

 サンガードは、契約をないがしろにした」


「かの雷神レイナダの怒り――

 雷裁事件となっても、おかしくはない」


「では、私たちの天幕のほうに案内しましょう」


 合図を受けた護衛たちが、証人を連れ、この場を離れていく。


 秤紋官(はかりもんかん)が振り返り、ラクアに問いかけた。


「この氷の牢獄の者たちは?」


「拘束してラクロアンへ連れて行くまでもない。

 このまま処刑する」


 秤紋官(はかりもんかん)は何も言わず、背を向けた。


 足音が遠ざかった、その時。


「……レンドルは、どうするの」


 ジークの声は、かすれていた。


 レンドルの身体は拘束されていたが、胸から上は凍っていない。


 それが偶然ではないことを、ラクアは理解していた。


「敵だ」


「……だめ!」


「ふぅ――レンドル、続きだ。

 一騎打ちの途中だったからな」


 ラクアはジークを見た。

 青い目からは、レンドルの命は助からない。

 そういう目だった。


「それと、ジーク。

 氷を解かないのなら、そのまま首を落とす」


 ジークの瞳が見開かれる。


 ラクアの目は、冷たく、何の興味も映していなかった。


 氷が溶け、剣が抜かれる。


 レンドルは剣を抜いた。


 言葉は、もう交わせない。

 ラクアは、止まらない。


 身体は覚えている。

 だが、心が追いつかない。


「一騎打ちの続きだ。礼法はいらん」


 刃が交わった。


 重い衝撃が、腕に走る。


 反射的に踏み込み、受け、流す。


「……銀狼とやり合っていた昨日のほうが、楽しかったな」


 ラクアの声には、苛立ちが混じっていた。


 怒りではない。

 失望だった。


 ラクアの体が、淡く銀色に揺らぐ。


 踏み込み。


 閃光。


 レンドルの瞳は、

 ラクアの剣が放つ異常なまでの「光の筋」を捉えた。


 心に迷いを抱えたレンドル。

 ロングソードで受けた――。


 合わせたはずの刃は、抵抗もなく虚空を切り裂いた。


 ――なぜ!?


 驚愕に目を見開いた、その一刹那。


 鋼を弾く金属音すら置き去りにして、

 刃が“そこに”走った。


 肩口から腰まで、

 何事もなかったように、それは抜けていった。


 遅れて、熱が走る。


 次の瞬間、痛みが来た。


 膝が崩れ、剣が地に落ちる。


「……ああ。つまらん」


 見下ろすラクアの声は、冷たかった。


「ジーク。終わった」


「お前のわがままも、ここまでだ」


 剣を収め、ラクアはジークを見た。


 だが、ジークは彼を見ていない。


「……加護を、移せ」


 ジークは、動けなかった。


 目の前には、血に染まったレンドル。


 もう何も求めていない、その瞳。


「……どうして……」


「二度は言わん」


「殺さないように、手加減した」

「生きている今しか、できんのだろう?」


 ラクアの声は、先ほどよりも強かった。


 命令だった。


 ラクアを見ず、レンドルを見つめるジークの目から、涙があふれ落ちる。


「……ジーク。早く、やれ」


 その声には、逆らえない重みがあった。


 一騎打ちの時も、そうだった。


 拒めばいい。

 ただ、それだけのはずだった。


 だが、喉が動かない。


 足先に力を込めても、身体が前に出ない。


 頭では分かっているのに、

 思考が、強制的に「命令の形」に書き換えられていく。


(……違う)

(こんなこと、したくない)


 そう思うたびに、意志は霧散し、心が遠ざかっていく。


 ラクアの声が、

 “そうあるべきもの”として、彼女の魂に沈み込んでいった。


 逆らう、という選択肢が、

 この世界の理から、最初から削除されていたかのように。


 ジークは、ゆっくりと、

 自分の意思とは無関係に、手を上げた。


 ラクアの声には、魔力どころか、

 この世界そのものの理が、乗っているようだった。


「……レンドル……ごめんなさい」


 震える声。


 とても小さな声だったが、レンドルには聞こえていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 光が、走った。


 細い、細い光の糸。


 レンドルとジークを繋ぎ、

 そして、ラクアへと伸びていく。


 その瞬間、レンドルは、

 自分の中心部から、熱い塊が抜き取られるのを感じた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 意識が、ゆっくりと泥の中に沈むように遠ざかっていった。


 また、雨が降り出したのが分かった。


 ほんの少し、雲が切れただけだった。


 あのまま、雨が降り続いていたなら。


 あの日、月を見にいかなければ。


 何かが、違っていたのだろうか。


 ――ああ。


 もう一度、あの歌を聴きたい。


 青い月の下で、

 母が歌ってくれた、あの歌を。


 そう思いながら、レンドルは、静かに目を閉じた。

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