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プロローグ 復讐のエンジニア

 (いにしえ)おおかみを殺す


 その言葉は、深い呼吸と一緒に夜を吐き出す。

 目覚めと同時に、心に刻んだ誓いを確認する儀式だ。


 悪夢のような光景が、瞼の裏に浮かび、残酷な音が耳の奥底から聞こえる。

 夜の神モルナダが支配する、深い眠りの世界から引き戻される。


 噛み砕かれた骨の音。

 引き裂かれ、崩れていく身体。

 血飛沫に濡れた琥珀色の髪。


 私の愛したエルフは、目の前で食いちぎられて死んだ。

 この大陸に住む、(いにしえ)おおかみによって。


 襲来した竜との戦いの最中だった。

 青き月の光すら届かない夜の森に、銀色の閃光が走った。


 彼女が死する瞬間、撃ち込んだ氷槍は、今も狼の体にとどまっている。

 永遠ともいえる時間の彼方、溶けることのない氷は、命を削り取る呪いとなった。


 私の瞳に映し出されるものは、万能ではない。

 だが、確かなことを教えてくれる。

 『銀氷ぎんひょう烙印らくいん』は、百年にわたり、狼を蝕み続けている。

 彼女が強く願った最後の魔法だ。


 ――だが、エルフは殺され続けていた。


 エルフ殺害事件の調査から帰還した神殿騎士が、乾いた声で告げる。


「またエルフがやられた」


 また、か。

 偶然ではない。

 定期的にエルフが殺されている。


 調査に同行した狩人が、集まった騎士たちに言い放つ。

 

「真っ二つで上半身だけない。死後かなり経っていたが、狩られたようだ」


 狩り。

 この言葉が、胸の奥で引っかかる。


「どうせ銀狼(ぎんろう)だろう。どれだけエルフを食う気だよ」

 サンガード皇国の中でも指折りの剣技を持つ騎士が、

 うんざりした様子で吐き捨てた。


 そうだ、銀狼(ぎんろう)だ。


 私に気づいた騎士が、振り向きざまに言った。

 

「おーい、あんたのお仲間、殺されたぜ」


 一体どれだけの同胞が奪われたのだろう。

 今耳にした言葉が、かつての悪夢を正確になぞった。

 怒りが、深く沈み、やがて熱を帯びていく。


「……聞こえていたよ。悲しいことだ」


 悲しい、その言葉だけが口から出ていく。

 どう答えていいのか分からず、そして私はいつもの答えを返した。


(いにしえ)おおかみは神出鬼没で厄介なんだ。だが必ず報いは受けさせる」


「それ、何年も前から聞いてるな」


 何年経っても、答えが正しく導き出せないことがある。


「あと七百年あるんだ。何とかするさ」


「ふっ、エルフは寿命が長くていいねぇ」


 気の長い話だから、少し鼻で笑ったのだろう。

 あの(いにしえ)おおかみは高い知性を持ち、あまりにも狡猾だ。

 巧みに姿を隠し続けている。


「約束したんだ……時間はかかるだろうけど、ようやくその方法が見えてきた」


 気のない返事をした騎士は、

「ま、銀狼(ぎんろう)はエルフしか狙わないから、あんたのとこにもいずれ来るさ」

 そう言うと、戦いの準備の喧騒の中に消えていった。


 ここサンガード皇国は、若き皇帝サンブラントが建国した人族の国だ。


 この国で最も神聖とされる場所がある。

 サンルードの神殿で祈祷をすれば、加護を授かることができる。


 誰でも、ではない。

 選ばれた者だけだ。


 その身に宿すことができる凄まじい力。

 溢れ出る生命力。

 膨大な魔力。

 魔物に対抗できるほどの身体の強化――。


 この力を求めたサンブラントは選ばれ、国を興した。

 エルフ達を裏切り、この地を我がものとして治め始めたのだ。


 私は三百年を生きるエルフだが、この地に立っている。


 囚われの身となったが、不自由はない。

 私の務めは、加護を与える神官の補佐だ。

 加護を与えられるのは、銀瞳(ぎんどう)のエルフだけだ。

 その中でも、特別な恩恵を受けた者だけが行える。


「ネオネス様」


 それが、私の名だ。


「巫女様がお呼びです」


 我らにとっての巫女、ここサンガードで最高位に並ぶ神官。


「あぁ、すぐ行こう。私も用があったんだ」


 仲間のエルフにそう告げ、神殿内の小部屋へと足を進めた。


 建国宣言の後、人族の手で作られ始めた神殿だ。

 そこに、積み上げられた歴史はない。

 趣もなく、雅な装飾もなく、芸術と呼べるものもない。


 随所に真新しさが残り、足場もところどころ未完成で、一部は今も建設中だ。


 大広間には、まばらに人族の信徒と、数名のエルフの女性がいた。

 人族の信徒が、加護を得るため祈祷をしている。


 この場所では、エルフに加護は与えられない。

 聖人サンルードの加護は、人族の限られた者にしか与えられないのだ。


 (いにしえ)おおかみは、狩りの対象としてエルフを選ぶ。

 確かにその通りだ。

 その中でも、銀瞳(ぎんどう)のエルフだけを狙う。


 だから、間違いなく私のところにも来るだろう。

 私の妻を殺した時のように。


 (いにしえ)おおかみの体には、氷槍が貫き留まっている。

 氷の魔力で、常に焼け付くような激痛に見舞われている。

 私の銀瞳(ぎんどう)が、それを確認していた。


 狼は氷を無効化するほど強力な抵抗を持っていた。

 それでも、妻は最後の瞬間に氷槍で串刺しにした。


 だが、今も同胞のエルフは殺され続けている。


 そのエルフ殺害事件が、私の思考を加速させていた。


 ――なぜだ。

 どうすれば殺せるのか。

 それだけを、ずっと考えてきた。


 わずかな可能性だが、おそらく成せる。


 この世界は一見すると正しくできている。

 だが、正しく理解すれば、穴だらけだ。


 私の前世は、優秀なエンジニアだった。

 この世界の『雇われ主』にも、そう評価された。


「解析するのは得意さ。仕事だったからな……この世界でもそうだ」


 私は『雇われ主』から与えられた役割を、しっかりと認識している。


 妻ゼイナは、とても美しく、そして強かった。

 彼女は林檎が好きだった。

 私もだ。


 よく笑う彼女は、私が愛した……エルフだった。


「レンドル。君のおかげで分かった。(いにしえ)おおかみは殺せる」


 私は一度、すべてを失った。

 それでも、この世界で生きている。


 そして契約した。

 残りの七百年間を、生きねばならない。

 妻と娘に、もう一度会うために。


 そして――


 貴様の踏みにじるその蛮行を、許すことはない。


「偽りの銀狼(ぎんろう)。おまえもだ」


 誰に聞かせるでもなく、静かに、呟いた。

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