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茉莉花トニック  作者: 耀羽 絵空


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第4章「最初の違和感」

 12月に入ると、茉莉の周りで奇妙なことが起こり始めた。


 最初に気づいたのは、佐藤さんの件だった。


 あれほど喜んでいた佐藤さんが、最近元気がないのだ。授業で見かけても、以前のような輝きがなかった。


 心配になった茉莉は、佐藤さんに声をかけてみた。


「佐藤さん、最近お疲れのようですが、大丈夫ですか?」


「あ、茉莉さん」


 佐藤さんは困ったような表情を見せた。


「実は、彼とのことが...」


 佐藤さんの話によると、恋人関係は順調だったが、何か違和感があるという。


「彼が私を好きになってくれたのは嬉しいんです。でも、なんだか不自然な感じがして」


「不自然?」


「急に態度が変わったんです。まるで、別人みたいに。それまで私にはまったく興味がなかったのに、突然積極的になって」


 佐藤さんは不安そうだった。


「私のことを本当に好きになってくれたのか、それとも何かに操られているような気がして」


 茉莉の胸に、冷たいものが走った。


「そんなことないですよ。きっと、佐藤さんの魅力に気づいてくれたんです」


 茉莉は慰めたが、内心では動揺していた。


 トニックが相手の気持ちをコントロールしているのだろうか。それは、茉莉が意図していたことではなかった。


 その日の夜、茉莉は改めてレシピノートを読み返した。


『真の力は、その人の内にある。トニックは、それに気づくためのきっかけに過ぎない』


 この言葉を何度も読み返した。でも、佐藤さんの彼の変化は、「きっかけ」を超えているような気がした。


 数日後、さらに問題が発覚した。


 就職活動で内定をもらった学生が、今度は仕事についていけなくて悩んでいるという話を聞いた。


「実力以上の評価をもらってしまったみたいで、プレッシャーがすごいんです」


 その学生は、茉莉に新しいトニックを求めてきた。


「仕事ができるようになるお茶を作ってもらえませんか?」


 茉莉は困惑した。トニックは本来、その人の力を引き出すものだと思っていた。でも、実力以上の結果をもたらしているとしたら、それは正しくない。


 また別の日には、恋人と仲直りした友人から、不安な報告を受けた。


「仲直りはできたんだけど、なんだか彼が私に執着しすぎてて、怖いくらいなの」


 友人の恋人は、以前とは別人のように彼女にべったりで、束縛が激しくなっているという。


 茉莉は震えた。これらは全て、自分が作ったトニックの結果なのだろうか。




 茉莉は混乱していた。


 トニックを飲んだ人たちは確かに望んだ結果を得ていた。でも、その結果が必ずしも幸せにつながっていないことが多かった。


 恋愛が成就しても、不自然な関係になってしまう。就職が決まっても、実力が伴わない。願いは叶うが、その後の問題が生じる。


「私、間違ったことをしているのかな」


 茉莉は不安になった。


 そんな時、心理学科の教授から再び声をかけられた。


「茉莉さん、少し話せるかな?」


 教授は研究室に茉莉を呼んだ。


「最近、君のお茶について、いくつか気になる報告を受けているんだ」


「気になる報告?」


「効果が強すぎるという話だ。本来の実力を超えた結果が出ているケースがある」


 教授は心配そうな表情だった。


「暗示や心理的効果にしては、少し異常な気がする。何か特別な成分が入っているのか?」


「いえ、普通のお茶と蜂蜜と水だけです」


「それなら、なぜこれほど劇的な効果が?」


 教授の質問に、茉莉は答えられなかった。自分でも分からなかったから。


「茉莉さん、もし君のお茶に本当に特別な力があるとしたら、それは危険かもしれない」


「危険?」


「人の心や運命をコントロールするような力は、使い方を間違えると、相手にも自分にも害をもたらす可能性がある」


 教授の言葉は、茉莉の不安を的確に表現していた。


「少し、お茶作りを休んでみてはどうだろう?」


「でも、困っている人たちが...」


「茉莉さんの優しさは分かる。でも、本当に相手のためになっているのか、一度立ち止まって考えてみる必要があるんじゃないかな」


 茉莉は教授の言葉を重く受け止めた。


 その日の夜、茉莉は古道具屋の「花想庵」を訪ねた。


 店主なら、何かアドバイスをくれるかもしれない。


「いらっしゃいませ。茉莉さんですね」


 店主は茉莉を覚えていた。


「あの、レシピノートのことで相談があるんです」


 茉莉は最近の出来事を説明した。トニックの効果が強すぎること、人々に依存されていること、結果が必ずしも幸せにつながっていないこと。


 店主は静かに聞いていた。


「そうですか。やはり、そうなりましたか」


「やはり?」


「実は、そのノートには大切な部分が欠けているのです」


 店主は申し訳なさそうに言った。


「最後のページに書かれていた注意事項。あれがないと、トニックは本来の力を発揮できません」


「注意事項?」


「はい。『心のコントロールの危険性』『依存症の症状と対処法』『トニックの正しい終了方法』などが書かれていました」


 茉莉は愕然とした。


「それがないと、どうなるんですか?」


「トニックは本来、相手の意志を尊重し、その人の内にある力を引き出すものです。しかし、注意事項を知らずに使うと、相手の心をコントロールしてしまう危険があります」


 店主の説明で、茉莉は自分がしてきたことの意味を理解した。


「私、みんなの心をコントロールしてたんですか?」


「意図的ではないでしょうが、結果的にはそうかもしれません。特に、強い願いを込めれば込めるほど、その危険は高まります」


 茉莉は震えた。自分が良かれと思ってしてきたことが、実は人々を傷つけていたのかもしれない。


「どうしたらいいんですか?」


「まず、トニック作りを一時停止することです。そして、これまでトニックを渡した人たちに、正直に事情を説明することです」


「説明って...」


「あなたがしてきたことは、悪意からではありません。でも、結果的に相手の自由意志を奪ってしまった可能性がある。それを認めて、謝罪することが大切です」


 店主の言葉は厳しかったが、茉莉には必要なことだと分かった。


「分かりました。明日から、みんなに話してみます」


「それから、ノートに勝手に現れている文字についてですが...」


「あ、はい。『強化レシピ』というのが...」


「それは危険な兆候です。ノートがあなたの願いに反応して、より強力な効果を求めるように変化している」


「ノートが?」


「古いものには、使い手の意識が宿ることがあります。あなたの『もっと人を幸せにしたい』という気持ちが、ノートを変化させているのでしょう」


 茉莉は恐ろしくなった。自分の善意が、ノートを暴走させているのだろうか。


「今すぐ、強化レシピの使用をやめてください。そして、しばらくトニック作りを休むことです」


「分かりました」


 茉莉は深く頭を下げた。




 翌日から、茉莉は辛い作業を始めた。


 これまでトニックを渡した人たち、一人一人に事情を説明し、謝罪することにした。


 最初に訪ねたのは、親友の美咲だった。


「美咲、実は話があるの」


 茉莉は正直に、トニックについて説明した。古道具屋で見つけたレシピノート、不思議な効果、そして最近分かった危険性について。


「つまり、私が先輩と仲直りできたのも、茉莉のお茶のせいってこと?」


「ごめん。結果的に、美咲の自由意志を奪ってしまったかもしれない」


 美咲は少し考えてから、微笑んだ。


「茉莉らしいわね。そんなに深刻に考えなくても良いのに」


「でも...」


「確かに、お茶を飲んだ後に勇気が出たのは事実よ。でも、先輩と話をして、問題を解決したのは私自身。お茶は背中を押してくれただけ」


 美咲の言葉に、茉莉は少し救われた。


「それに、茉莉が私のことを思って作ってくれたお茶でしょ?愛情のこもったものに悪いことなんてないわよ」


 でも、全ての人が美咲のように理解してくれるわけではなかった。


 佐藤さんに事情を説明した時は、激しく動揺された。


「じゃあ、彼が私を好きになったのは、偽物だったってことですか?」


「そういうわけでは...」


「偽物の恋愛だったってことですよね!」


 佐藤さんは泣き出してしまった。


 茉莉は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 山田くんの場合は、別の反応だった。


「なるほど、それで発表がうまくいったのか」


 山田くんは意外にも冷静だった。


「でも、発表の内容は僕が準備したものだし、質疑応答も僕が答えた。お茶は緊張をほぐしてくれただけだと思います」


「本当にそう思ってくれますか?」


「はい。茉莉さんが悪いことをしたとは思いません」


 一人一人に謝罪して回るのは、心身ともに疲れる作業だった。


 中には怒る人もいたし、茉莉を責める人もいた。でも、理解してくれる人も多かった。


 そして、謝罪を続ける中で、茉莉は大切なことに気づいた。


 トニックの効果があったかどうかに関係なく、問題を解決したのは結局、その人自身だったということ。


 美咲は自分で先輩と話をした。山田くんは自分で発表を準備し、実行した。就職が決まった人も、面接で答えたのは自分自身だった。


 トニックは、きっかけを作っただけなのかもしれない。


「でも、それなら最初から、普通のお茶でも良かったのかも」


 茉莉はそう思った。


 大切なのは、トニックそのものではなく、「誰かが自分のことを思ってくれている」という気持ちなのかもしれない。


 謝罪の旅が一段落した頃、茉莉は再び花想庵を訪ねた。


「お疲れさまでした」


 店主は労いの言葉をかけてくれた。


「みなさんの反応はいかがでしたか?」


「思っていたより、理解してくれる人が多かったです」


「それは良かった。あなたの誠実さが伝わったのでしょう」


「あの、これからどうしたらいいでしょうか?」


 茉莉は迷っていた。トニック作りをやめるべきなのか、それとも正しい方法があるのか。


「破られたページの内容を、お教えしましょう」


 店主は奥から、古い紙を取り出した。


「これは、元のページの写しです」


 茉莉は恐る恐るその紙を受け取った。


 そこには、トニックの正しい使い方が書かれていた。


『トニックは、相手の意志を尊重し、その人の選択を支援するためのものである』


『決して、結果をコントロールしようとしてはならない』


『作り手は、結果に執着せず、ただ相手の幸せを願うこと』


『真の奇跡は、相手が自分の力で成し遂げるものである』


 茉莉は深く理解した。


 自分は結果を求めすぎていたのだ。「この人を幸せにしたい」という気持ちが強すぎて、相手の自由な選択を奪ってしまっていた。


「私、もう一度やり直してみたいです」


「良い心がけですね。でも、急がないことです。まずは、トニックに頼らない人助けから始めてみてはいかがでしょうか」


 店主のアドバイスに、茉莉は頷いた。


 その日の夜、茉莉は一人でアパートにいた。


 レシピノートを開くと、勝手に現れていた「強化レシピ」の文字が、薄くなっているのに気づいた。まるで、茉莉の気持ちの変化に合わせて、ノートも変化しているようだった。


「ありがとう」


 茉莉はノートに向かって、小さく呟いた。


「あなたも、私を幸せにしようとしてくれていたのね」


 そして、窓の外を見上げた。


 夜空に、美しい月が浮かんでいた。


 その時、一瞬だけ、不思議な感覚があった。


 まるで、遠くから誰かが自分を見守ってくれているような。そして、その人は自分とよく似ているような。


「誰だろう」


 茉莉は疑問に思った。でも、その感覚は温かくて、安心できるものだった。


「きっと、どこかで頑張ってる人がいるのね」


 茉莉は微笑んだ。


 明日からは、新しいスタートだ。トニックに頼らず、自分自身の力で、人の役に立つ方法を見つけていこう。


 茉莉は希望を抱いて、眠りについた。

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