第3章「広がる奇跡」
大学祭での山田くんの発表以来、茉莉の「元気になるお茶」の評判は、さらに広まっていった。
心理学科の教授が興味を示したという話も相まって、学内では「茉莉さんのお茶」として知られるようになった。もちろん、大げさな話ではなく、「疲れた時に飲むと良いお茶」「リラックス効果のあるお茶」程度の認識だったが。
でも、茉莉のもとには連日のように依頼が来るようになった。
「今度の試験前に、集中力が上がるお茶を」
「就職面接があるので、緊張をほぐすお茶を」
「恋人と喧嘩してしまったので、関係修復に良いお茶を」
様々な依頼があった。
茉莉は一つ一つ丁寧に対応した。依頼者の話をよく聞き、その人のことを思いながらトニックを作った。
そして、不思議なことに、効果は確実に現れた。
試験勉強で悩んでいた後輩は、集中力が驚くほど上がり、過去最高の成績を取った。就職面接を控えた先輩は、面接で緊張することなく、希望していた会社から内定をもらった。恋人と喧嘩した友人は、偶然街で恋人と出会い、仲直りすることができた。
どれも小さな奇跡だったが、確実に起こっていた。
茉莉自身も、これまでとは違う人になっていた。
以前は図書館の隅で一人で勉強していることが多かったが、今では学内で声をかけられることが日常茶飯事になった。相談を受ける機会も増え、人との会話に自信を持てるようになった。
「茉莉ちゃん、すっかり有名人ね」
親友の美咲が笑いながら言った。
「そんなことないよ」
「でも、最近の茉莉は違うわ。前よりずっと堂々としてる」
確かに、茉莉は以前より積極的になっていた。人の役に立てるという実感が、自信をくれていた。
でも同時に、少しずつ違和感も感じるようになっていた。
トニックを求める人の中に、時々、依存的な態度を見せる人がいることに気づいたのだ。
「茉莉さんのお茶がないと、何もできない気がして」
そう言って、頻繁にトニックを求めてくる人がいた。
「今度の発表も、お茶を飲まないと不安で」
毎週のようにトニックを求めてくる人もいた。
茉莉は困惑した。トニックは人の力を引き出すお手伝いをするものだと思っていた。でも、それに頼りすぎてしまうのは、本来の目的とは違う気がした。
レシピノートを読み返すと、こんな言葉があった。
『真の力は、その人の内にある。トニックは、それに気づくためのきっかけに過ぎない』
茉莉は考えた。もしかすると、自分のやり方に問題があるのかもしれない。
そんな時、茉莉はより深刻な問題に直面した。
経済学部の佐藤さんという女性から、恋愛相談を受けたのだ。佐藤さんは同じ学部の男性に恋をしていたが、相手に振り向いてもらえずに悩んでいた。
「茉莉さんのお茶を飲めば、きっと彼も私を好きになってくれますよね」
佐藤さんの期待は、茉莉が想定していたものとは違っていた。
「あの、トニックは恋愛を成就させる薬ではないんです」
茉莉は説明しようとした。
「でも、田村さんは恋人と仲直りできたって聞きました。私にも効果があるはずです」
佐藤さんは聞く耳を持たなかった。
茉莉は迷ったが、最終的にトニックを作ることにした。ただし、「佐藤さんが自分に自信を持てるように」という願いを込めて。
数日後、佐藤さんから連絡があった。
「茉莉さん、ありがとうございます!彼から食事に誘われました!」
佐藤さんは興奮していた。
茉莉は安堵した。良い方向に向かったようだ。
しかし、数週間後、予想外の展開があった。
佐藤さんが追い詰められた表情で茉莉のところにやってきたのだ。
「茉莉さん、お茶の効果が切れちゃったみたいです」
「効果が切れた?」
「彼と食事に行けたのは良かったんですが、それ以降は普通の関係に戻ってしまって。もっと強いお茶を作ってもらえませんか?」
茉莉は困惑した。佐藤さんは、トニックを恋愛成就の薬だと完全に誤解していた。
「佐藤さん、トニックは...」
「お願いします。彼のことが諦められないんです」
佐藤さんは必死だった。
茉莉は断ろうと思ったが、佐藤さんの真剣な表情を見ると、断れなかった。
しかし、その時、レシピノートに不思議な現象が起こった。
茉莉が家に帰ってノートを開くと、見慣れない文字が書かれていたのだ。
『強化レシピ』
そんなタイトルで、より効果の高いトニックの作り方が書かれていた。
茉莉は驚いた。昨日まで、そんなページはなかった。しかも、文字は茉莉の字にそっくりだった。
でも、茉莉にはそんなことを書いた覚えがなかった。
「誰が書いたの?」
茉莉は混乱した。
でも、佐藤さんのことを思うと、試してみたくなった。もしかすると、このレシピなら佐藤さんを本当に幸せにできるかもしれない。
茉莉は強化レシピに従って、新しいトニックを作った。
材料は基本的に同じだったが、調合方法が少し違っていた。より長時間かけて、より強い願いを込めるように書かれていた。
完成したトニックは、以前のものより濃い色をしていた。香りも強く、なんだか力強い感じがした。
翌日、茉莉は佐藤さんに新しいトニックを渡した。
「これは、前のものより効果が高いかもしれません」
「ありがとうございます!」
佐藤さんは喜んで受け取った。
その日の夜、佐藤さんから興奮したメールが来た。
「茉莉さん、すごいです!彼から告白されました!今度、正式に付き合うことになりました!」
茉莉は複雑な気持ちだった。佐藤さんが幸せになったのは良いことだ。でも、それが本当にトニックの効果なのか、疑問に思った。
そして何より、ノートに勝手に現れた「強化レシピ」のことが気になっていた。
佐藤さんの件以降、「強化版トニック」の噂が広まった。
「普通のトニックより効果が高い」
「本当に願いが叶う」
そんな話が、学内で囁かれるようになった。
茉莉のもとには、さらに多くの依頼が来るようになった。そして、多くの人が「強化版」を求めるようになった。
茉莉は迷ったが、困っている人を見ると断れなかった。レシピノートには、次々と新しい「強化レシピ」が現れた。どれも茉莉の文字で書かれていたが、茉莉には書いた覚えがなかった。
そして、確かに効果は劇的だった。
就職活動で悩んでいた学生は、第一志望の会社から内定をもらった。経済的に困っていた学生は、思いがけない奨学金の話が舞い込んだ。家族関係で悩んでいた学生は、長年絶縁状態だった父親から連絡があった。
どれも、以前の「小さな奇跡」とは比べものにならないほど、劇的な変化だった。
茉莉は嬉しかった。より多くの人を、より深く幸せにできているという実感があった。
人々は茉莉を「奇跡を起こす人」と呼ぶようになった。もちろん、大学内でのことだったが、茉莉は初めて「特別な存在」として認められているような気がした。
「茉莉ちゃん、最近すごいのね」
美咲が言った。
「みんなが茉莉ちゃんの話をしてるわ。『茉莉さんにお願いすれば、どんな願いも叶う』って」
「そんな大げさなことじゃないよ」
茉莉は謙遜したが、内心では嬉しかった。
でも同時に、少しずつ違和感も大きくなっていた。
トニックを求める人々の態度が、以前とは違ってきていた。
「茉莉さん、今度の試験で絶対に良い成績を取りたいんです。一番強いお茶をください」
「失恋した元カレと復縁したいんです。どんなに強いお茶でもいいから、お願いします」
「宝くじを当てたいんです。金運が上がるお茶はありませんか?」
依頼の内容も、次第に茉莉が想定していたものとかけ離れていった。
そして何より、人々は茉莉に依存するようになっていた。
「茉莉さんのお茶がないと、何もできない」
「茉莉さんにお願いすれば、何でも解決する」
そんな風に思われるのは、茉莉が本来望んでいたことではなかった。
でも、困っている人を見ると、断ることができなかった。そして、レシピノートには相変わらず新しいレシピが現れ続けた。
ある夜、茉莉は一人でアパートにいた時、ふと不安になった。
「私、本当に正しいことをしているのかな」
トニックの効果は確実にあった。多くの人が喜んでいた。でも、それが本当に相手のためになっているのか、分からなくなってきた。
レシピノートを開くと、最初のページの言葉が目に入った。
『真の幸せとは、与えることから始まる』
茉莉は考えた。自分は確かに与えている。でも、それが真の幸せにつながっているのだろうか。
そして、もう一つ気になることがあった。
最近、夢の中で不思議な光景を見ることがあった。自分とよく似た人影が、遠くから自分を見ているような。そして、その人影はいつも心配そうな表情をしていた。
「誰なんだろう」
茉莉は疑問に思った。
でも、あまり深く考える時間はなかった。明日も、トニックを求める人が来る予定だったから。
茉莉は不安を抱えながらも、トニック作りを続けた。多くの人が喜んでくれている。それだけは確かなことだった。
でも、心の奥で小さな声が囁いていた。
「これで、本当に良いの?」




