【エピローグ】
それから5年が経った。
茉莉は臨床心理士として、総合病院で働いていた。
患者さんやその家族の心理的支援を行うのが主な仕事だった。
大学院で学んだ理論と、これまでの実践経験を活かして、多くの人の支援を行っていた。
「茉莉先生の面談を受けると、心が軽くなります」
そう言ってくれる患者さんが多かった。
茉莉のアプローチは変わらなかった。
相手の話を丁寧に聞き、すべてを受け入れ、相手の力を信じる。
専門的な技法も使うが、最も大切にしているのは、人と人とのつながりだった。
病院では、茉莉の提案で「患者さん同士の支え合いグループ」も始まっていた。
同じような悩みを持つ患者さんたちが、お互いを支援し合うシステム。
茉莉はファシリテーターとして、グループの運営をサポートしていた。
「一人で抱え込まないで、みんなで支え合いましょう」
茉莉はいつもそう話していた。
プライベートでは、茉莉は以前のピア・サポート・サークルのメンバーたちとの交流を続けていた。
月に1回の同窓会では、それぞれの近況を報告し合った。
「茉莉さんのおかげで、私もカウンセラーになれました」
「私は教師になって、子どもたちの相談に乗っています」
「僕は企業で、従業員のメンタルヘルスサポートをしています」
みんな、それぞれの場所で、人を支える仕事に就いていた。
茉莉が蒔いた種が、大きく育って、多くの人に影響を与えている。
翔太くんも、立派なイラストレーターになっていた。
引きこもりの経験を活かした、心に響く作品を描いて、多くの人に勇気を与えていた。
「茉莉さんは、僕の人生を変えてくれた恩人です」
翔太くんはいつもそう言ってくれた。
でも、茉莉は知っていた。
翔太くんを変えたのは、翔太くん自身の力だということを。
自分は、ただそのお手伝いをしただけ。
ある秋の夕方、茉莉は久しぶりに商店街を歩いていた。
懐かしい「花想庵」の前を通りかかると、店主が外に出て来た。
「茉莉さん、お久しぶりです」
「こんにちは。お元気でしたか?」
店主は相変わらず、温和な笑顔を浮かべていた。
「お忙しそうですね。素晴らしい活動をされているとお聞きしています」
「おかげさまで、充実した日々を送っています」
茉莉は近況を報告した。
「そうですか。茉莉さんのような人がいてくれて、本当に良かった」
「私こそ、あの時ノートと出会えて良かったです」
茉莉は心から感謝していた。
「あのノートは、今でも大切にしています」
「そうですね。でも、もうノートに頼る必要はないでしょう?」
店主の言葉に、茉莉は頷いた。
確かに、最近はノートを開くことも少なくなっていた。
トニックも、特別なレシピがなくても作れるようになっていた。
というより、普通のお茶でも、心を込めて淹れれば、十分に人を支えることができることを知っていた。
「大切なのは、技法ではなく心ですから」
「その通りです」
店主は微笑んだ。
「茉莉さんは、本当の意味で成長されました」
茉莉は店主に別れを告げて、夕暮れの商店街を歩いた。
空には、美しい夕焼けが広がっていた。
茉莉は満足感に満たされていた。
長い旅だった。
トニックとの出会いから始まり、失敗と学習を繰り返し、統合を経て、今に至る。
一人ではできなかった。
多くの人に支えられ、多くの人と出会い、そして多くの人を支えることができた。
心の中には、今でも莉花と茉莉花の存在を感じることができる。
三人で一緒に歩んできた道のり。
そして、これからも一緒に歩んでいく未来。
茉莉は空を見上げて、小さく呟いた。
「ありがとう、みんな」
風が頬を撫でていった。
茉莉花の香りがした。
新しい明日に向かって、茉莉は歩き続けた。
一人ではなく、多くの人と一緒に。
希望を胸に、優しさを持って。
そして、すべての人が持っている美しい可能性を信じながら。
【完】




