第11章「真の奇跡」
統合から一週間が経った。
茉莉の日常は、表面的には以前と変わらなかった。大学に通い、授業を受け、アルバイトをする。
でも、内面は大きく変化していた。
以前の茉莉の優しさと慎重さは残っていたが、莉花の行動力と正義感も身についていた。そして、茉莉花の深い洞察力と統合的な視点も持っていた。
三つの個性が調和して、一つの豊かな人格を形成していた。
「茉莉さん、最近なんだか違いますね」
橋本教授が言った。
「どんな風に?」
「以前も素晴らしいカウンセリング能力をお持ちでしたが、今はそれに加えて、的確な行動力と深い洞察力も感じられます」
確かに、茉莉の相談の受け方は変化していた。
相手の話を丁寧に聞くのは以前と同じだったが、必要に応じて積極的な提案もできるようになった。そして、問題の根本原因を見抜く力も向上していた。
「統合の効果ですね」
茉莉は心の中で微笑んだ。
大学内では、以前の「世界の歪み」現象は完全に収まっていた。学生たちも、あれは集団的な錯覚だったのだろうと考えていた。
でも、茉莉には分かっていた。あれは確実に、三つの世界が接触していた証拠だったのだ。
そんな時、茉莉のもとに特別な依頼が来た。
「茉莉さん、ちょっと変わった相談なんですが」
心理学科の後輩、田村ゆり(たむら・ゆり)という女性が、恥ずかしそうに話しかけてきた。
「どんな相談ですか?」
「実は、最近不思議な夢を見るんです」
ゆりの話によると、夢の中で自分とは違う人生を歩んでいる自分を見るという。
「一つの夢では、私は医学部に進学していて、お医者さんになってるんです」
「もう一つの夢では、美術大学に行って、画家になってるんです」
「どちらも、とてもリアルで、まるで本当の記憶のような感じなんです」
茉莉は興味深く聞いていた。
「それで、どちらの夢も魅力的に感じてしまって、今の進路に迷いが生じてしまったんです」
ゆりは心理学を専攻していたが、将来に確信が持てなくなっていた。
「茉莉さんって、いつも的確なアドバイスをくれるので、相談してみたくて」
茉莉は考えた。
ゆりの体験は、茉莉自身がパラレルワールドで体験したことと似ていた。
もしかすると、統合の影響で、他の人にも可能性の世界が見えるようになっているのかもしれない。
「ゆりさん、その夢はとても貴重な体験だと思います」
「貴重?」
「はい。私たちは日常生活の中で、一つの道しか選択できません。でも、心の奥では、様々な可能性を秘めています」
茉莉は自分の経験を踏まえて説明した。
「夢の中で見た人生は、ゆりさんの中にある可能性の表れかもしれません」
「でも、どの道を選べばいいのか分からなくて」
「すべてを選ぶ必要はありません。でも、すべてを活かすことはできます」
茉莉は新しいアプローチを提案した。
「心理学を学びながら、医学や美術の要素も取り入れてみませんか?」
「どういうことですか?」
「例えば、医療心理学や芸術療法という分野があります。心理学を基盤にして、医学や美術の知識も活用する分野です」
ゆりの目が輝いた。
「そんな方法があるんですね」
「はい。一つの道を選ぶことと、他の可能性を諦めることは違います」
茉莉は自分の体験を活かして、ゆりにアドバイスした。
「もしよろしければ、このお茶を」
茉莉は新しいトニックを作った。
統合の経験を活かした、特別なレシピで。
相手の中にある様々な可能性を受け入れ、それらを調和させるためのトニック。
ゆりがトニックを飲むと、表情が穏やかになった。
「不思議です。なんだか、迷いが晴れたような気がします」
「どんな感じですか?」
「医者になりたい気持ちも、画家になりたい気持ちも、心理学を学びたい気持ちも、全部本当の私の一部なんだなって思えて」
「それは素晴らしいですね」
「はい。無理に一つを選ぶ必要はなくて、全部を活かせる道を探せばいいんですね」
ゆりの変化を見て、茉莉は深い満足感を覚えた。
これが、真の統合の力なのだと思った。
その日の午後、茉莉は久しぶりに翔太くんを訪ねた。
統合後、茉莉は翔太くんのことが気になっていた。彼がどうしているか、確認したかった。
田所家を訪ねると、翔太くんは以前とは見違えるほど明るくなっていた。
「茉莉さん!」
翔太くんは嬉しそうに迎えてくれた。
「調子はいかがですか?」
「とてもいいです。通信制高校にも慣れましたし、イラストの勉強も順調です」
翔太くんは茉莉に、最近描いた絵を見せてくれた。
以前より格段に上達していて、何より生き生きとした表現になっていた。
「それに、最近新しい友達もできたんです」
「それは良かったです」
翔太くんの話によると、イラストのオンラインコミュニティで知り合った仲間たちと、定期的に作品を見せ合ったり、一緒に勉強したりしているという。
「みんな、僕と同じように絵が好きで、理解し合えるんです」
翔太くんの成長ぶりに、茉莉は感動した。
引きこもりがちだった少年が、自分の居場所を見つけ、自信を取り戻している。
「茉莉さんのおかげです」
翔太くんが言った。
「いえ、頑張ったのは翔太くんです」
「でも、茉莉さんが僕を信じてくれたから」
翔太くんの言葉に、茉莉は胸が温かくなった。
「実は、最近不思議な体験をしたんです」
翔太くんが続けた。
「夢の中で、違う人生を歩んでいる自分を見たんです」
茉莉は驚いた。
「どんな夢でしたか?」
「一つは、普通に高校に通っていて、友達もたくさんいる自分でした」
「もう一つは、有名なイラストレーターになって、世界中の人に愛される作品を描いている自分でした」
翔太くんの体験も、ゆりと似ていた。
「でも、不思議なことに、どの夢も嫌な感じはしなかったんです」
「どういうことですか?」
「今の自分も、夢の中の自分も、全部本当の自分なんだなって思えて」
翔太くんは微笑んだ。
「引きこもっていた時期も、今頑張っている時期も、将来の成功も、全部含めて僕なんだなって」
茉莉は驚いた。翔太くんが、自然に統合的な視点を身につけている。
「今は、この道を歩んでいるけれど、他の可能性も自分の中にあるって思うと、なんだか安心するんです」
翔太くんの言葉に、茉莉は統合の真の意味を再確認した。
異なる可能性を受け入れることで、現在の自分をより深く受け入れることができる。
完璧である必要はない。でも、すべての可能性を内包している自分を信じることができる。
「翔太くん、とても素晴らしい考え方ですね」
「茉莉さんから教わったことです」
翔太くんが答えた。
「茉莉さんは、いつも僕の全部を受け入れてくれました。だから、僕も自分の全部を受け入れられるようになったんです」
茉莉は涙が出そうになった。
自分が学んだことが、翔太くんにも伝わっている。そして、翔太くんが自分の力でそれを発展させている。
これこそが、真の支援の成果なのだと思った。
田所さんも、息子の変化に感謝していた。
「茉莉さんのおかげで、息子だけでなく、私たち家族も変われました」
「どのように?」
「息子を変えようとするのではなく、息子のありのままを受け入れることの大切さを学びました」
田所さんの言葉に、茉莉は深く頷いた。
人を変えようとするのではなく、相手のすべてを受け入れる。それが、真の愛情なのだ。
その夜、茉莉は一人でアパートにいた。
窓から夜空を見上げると、美しい星々が輝いていた。
茉莉は満足感に満たされていた。
統合を経て、自分はより完全な存在になった。優しさも、強さも、知恵も、すべてを併せ持つことができた。
そして、その力を使って、多くの人を支援できている。
翔太くん、ゆりさん、木村くん、みなみさん。
一人一人が、自分の力で成長している。
茉莉は、そのお手伝いをしただけ。
でも、それが何より嬉しかった。
レシピノートを開くと、最初のページの言葉が目に入った。
『真の幸せとは、与えることから始まる』
茉莉は深く理解していた。
人に与えることで、自分も豊かになる。
相手を受け入れることで、自分も受け入れられる。
支援することで、自分も支えられる。
そして、最後のページには、新しい文字があった。
『統合完了。新しい旅の始まり』
茉莉は微笑んだ。
確かに、これは終わりではなく、始まりなのだ。
新しい自分として、新しい可能性に向かって歩んでいく。
一人ではなく、心の中に莉花と茉莉花を感じながら。
そして、多くの人と一緒に。
茉莉は窓を開けて、夜風を感じた。
茉莉花の香りがした。
「ありがとう」
茉莉は空に向かって呟いた。
莉花に、茉莉花に、そして自分自身に。
明日からも、新しい出会いが待っている。
新しい挑戦が待っている。
茉莉は希望に満ちて、明日を迎える準備をした。




