韮沢隆治の話⑥
高校生になり、やはり野球部に入った隆治は、今度こそはピッチャーを絶対にやると決めていた。どんなに怖い先輩にやるなと命令されても、瑛太みたいに何らかの事情でやらないように頼まれたとしても。「我慢はし尽くした。これ以上は勘弁」といった心理状態だったのである。
さすがにもう、中学校のときのようなことは起こらずに、入部してから約一カ月が経過した。
「すっげえ」
「マジー?」
彼の投げるボールを見た、他の部員たちはびっくりし、チームの大きな戦力になると喜んでくれた。
「こりゃあ、すぐにエースだぜ」
「そうなったら、大変でもあるだろうが、頼むぞ、韮沢」
「はい!」
意地悪だったりと、自分の邪魔をする人間は一人もいない。ようやく思いきりピッチャーができる場所を手に入れたのだ。
だというのに、ここでも彼に災難が降りかかってきたのである。
隆治の父親がやっていた会社が倒産したのだ。経営がうまくいっていないことは、なんとなくわかっていた。高校受験の際に、「お願いだから、入学する学校は公立にしてくれ」と、泣きつかんばかりに頼まれたのだ。野球が強い高校となるとほとんどは私立で、彼ももちろんできることなら甲子園での全国大会に出場したいし、充実したプレー環境といった面からも、有力な選択肢として私立を考えており、その進学は諦めざるを得なくなったものの、父を嫌ってなどはいなかったので、「まあ、それは仕方がないか」と受け入れられた。そして、入試は念のために私立も一校受けておいたが、実質公立一本のプレッシャーのなか、どうにか合格したのだった。
しかし、まさかこんなことになるなんて、わずかも思っていなかった。もはや野球に打ち込める状況ではない。詳しくは知らないから正確ではないけれども、瑛太と同じ境遇になったのだ。
自分もこうなるとわかっていたならば、あのときピッチャーを譲ったりなんてしなかったのに——。
このような気持ちがわいたが、それも当然といえた。
兄の響壱は、こういう事態になることを予期していたのか、そうでなくとも一緒だったのか、聞いていないのでわからないけれども、ともかく、高校卒業後は就職して、実家を出ていた。
残りの家族である、隆治と彼の両親は、それまで住んでいたマンションから、見るからに家賃の低いアパートに移り住み、隆治は、高校は卒業したほうがいいという親の判断で中退することはなかったが、野球部は辞めて、学校が終わったらその足でアルバイト先に向かう日々となったのだった。
「ハー」
ある日、アルバイトからの帰り道に、隆治は沈んだ顔つきで、ため息をついた。「同世代のコたちは、遊んだり、好きなことをやるのに何時間も費やしたりしているというのに、自分は、勉強するか、働くかばかりで」と。
ただ、普通に考えれば、野球ができなくなってしまったことを一番嘆いてよさそうだが、それに関してはそこまでの落ち込みはなかった。もちろん野球は好きだし、幼い頃は自覚がなかったけれども、この年齢になればさすがに、自分に人並み以上の野球の能力が備わっていることはわかっていた。しかし、プロの世界で通用するほどとは思っていなかったのである。素朴な外見に見合った、自信やうぬぼれなどは抱かない、謙虚で慎ましやかな性格なのだ。実際はプロで活躍できるだけのレベルに十分達していたので、そう思っていたとしても、過信でもうぬぼれでもまったくないのであるが。
ゆえに、野球ができなくなることは自分の人生の一大事であるというのに、その自覚がないために、「普通に生活するのも大変な状況なのだから、野球なんてしている場合ではない。できなくて当たり前だ」と考えていたのだった。




