韮沢隆治の話④
「お前さ、ピッチャーをやるのは、今の二年生が部を引退するまで封印しろ。その間は、基礎や体力、あとバッティングの技術を、向上させるんだ」
「……」
運動部は特に、先輩による命令は絶対くらいの重みがあるとはいえ、ピッチャーをできない期間があまりに長いゆえに、隆治が返答に詰まると、拓夢は彼の肩に馴れ馴れしく手を置いて、笑顔で続けた。
「お前、ピッチャーの才能あるよな。だから、やるのは俺たちが引退してからでも全然遅くはないし、プレイヤーとしての完成度を高めるために、他のところの力をつけとけってこった」
「……はあ」
隆治の表情が変わらず冴えず、なかなか自分の言うことを受け入れる態度にならないのを見て、拓夢は一転して腹を立てて、声を荒らげた。
「わかったのかよ!」
「わ、わかりました」
後輩で、しかも入部したてである、隆治の立場としては、そう出られては、こう返すしかない。
「ったく。まずは礼儀から勉強しろ。じゃあな」
拓夢は去りかけたが、すぐにストップして、再び隆治に顔を向けた。
「それから、このことは、韮沢先輩には黙ってろよ。俺がお前をいじめてると勘違いされたら困るからよ」
すぐに答えなかったところ、拓夢はにらむ目つきになり、また怒鳴りそうだったので、隆治は焦って返事をした。
「はい、言いません!」
その言葉を聞くと、拓夢はふんぞり返った姿勢でのっしのっしと歩いて離れていき、それを見送った隆治は、茫然と立ち尽くした。
「よお」
直後に、後ろの近くからそう声をかけられ、彼が視線を向けると、一年生によるピッチングの際にキャッチャーをやった、雅彦が立っていた。
「あいつ、自分がピッチャーをやってて、一番上の学年になったらなる気でいる、エースの座をお前に奪われると思って、あんなことを言ったんだ。って、んなことは、教えなくてもわかるか」
「はあ……」
確かに、そんなところだろうなと隆治は察しがついていた。
「バカな奴に見るだろうけど、怒るとけっこうタチが悪いから、言うことを聞いといたほうが身のためだぜ。それに、結果的に、あいつが口にした通り、他の部分の力を向上させれば、プレイヤーとしての完成度が高まるかもしれねえしよ」
「……はい」
隆治は、納得はしていなかったけれども、やはり先輩相手にそう言われたら、このように返すしかなかったのだった。
今、雅彦が隆治に話した内容は、真実ではあるが、一方で、雅彦と拓夢は友人で、エースになりたい拓夢をアシストする目的もあったのだ。
もし隆治が最初にピッチングを披露するのが、指導する大人や三年生、あるいは野球部全員の前であったりしたならば、今の二年生が部を引退するまで投手をやるのを封印させられるなどという事態には至っていなかっただろう。
それに、響壱は部に在籍していたとき後輩に厳しくしておらず、もしも下級生にとって怖い先輩であったなら、いくら拓夢が言わないようにきつく迫っても、隆治は兄に告げ口をするかもしれないので、ピッチャーをやらせないなんてことはできなかった可能性が高い。とはいえ、たとえ怖くなくても、先輩の弟に理不尽な要求をしたことがバレたら、立場を危うくするリスクはある。その点はわかっていたが、隆治にエースのポジションを取られてしまうのと天秤にかけ、拓夢は封印するよう命じる選択したのだった。
ゆえに、拓夢が命令するのはやめておこうと思うくらい響壱が後輩に恐れられていれば、もしくは、響壱と隆治の年の差が一つや二つで同時期に野球部に所属していたら、やはりこんな目には遭わずに済んだはずである。
またしても隆治は不運に見舞われたのであった。