韮沢隆治と杉森圭吾の話⑤
しかし、その宣告にも、圭吾本人に不満はまったくなかった。
過去には調査していて知っていたとしても、プロで長いブランクがある自分は実質的には未知の存在であって、厳しい場所を用意されるのは当然とすら思っていたし、トリプルAであろうがダブルAであろうが、試合で結果を出して、力があるのを認めさせればいいことだからだ。
とはいっても、「マイナーリーグだから、自分なら間違いなく良い成績を残せる」などと軽く考えていたわけでもなかった。それは謙遜ではなく本心で、相対するプレイヤーたちへのリスペクトはもちろん、話に聞いて知っていた、環境の問題もあった。アメリカは広いので、移動にとても時間がかかるうえに、マイナーリーグだと飛行機ではなく、ほとんどがバスを使うために、到着までに七、八時間を要することも珍しくない。さらに、座席が窮屈だったり、車中で睡眠をとらなければならなかったりと、本番の試合にとどまらず体力を消耗する。加えて、球団から提供される食事は栄養の良くないものであることが多いゆえに、体調の管理が非常に大変なのだ。まだ衰えを感じてはいないが、圭吾は三十歳を超えているのである。
また、みんながみんなではもちろんないけれども、メジャーリーグの椅子をつかもうと必死なこともあって、血の気の多い若い選手が少なくない。
「おい、おっさん。邪魔だ」
チームメイトのなかにさえ、圭吾が引退して何年も経っていたというのを耳にして、「日本でどれだけ実績があるかは知らないが、思い出作りのような感覚でここにやってきたんじゃないか?」と、彼にケンカ腰の態度を見せる者たちがいたのだ。
だが、それでもなお、圭吾にマイナーリーグは取るに足りない舞台だった。引退後も激しい運動をし、クラブチームで野球をプレーするようにもなっていた彼には、プロでの七年以上のブランクもさほど足かせとはならなかった。
「何だ? あいつは」
「すげえ」
彼は、試合に出ればヒットやホームランを打ちまくって、好意的ではなかった選手たちを黙らせた。
「スギモリさん、俺のバッティング、どこが悪いですか?」
「普段、どういった練習をしているのか、ぜひ教えてください」
反対に尊敬され、このようにアドバイスを頻繁に求められるようになったのである。アメリカやヨーロッパなどの国では、実力があればきちんと評価される、とよく言われるが、圭吾はそれを実感したのだった。
そして、あっという間にトリプルAに昇格すると、そこでも変わらぬペースでヒットを打ち続けて、シーズン後半に、ついにメジャーリーグのパイオニアーズから上がってくるようにと声がかかった。
「ミスター・スギモリ、グッドラック!」
「スギモリさんの力で、上の奴らをぎゃふんと言わせてやってください」
人柄が良い圭吾は、日本のときと一緒で、チームのみんなから好かれる存在になっており、エールを送られた。
「ありがとう。みんなも頑張ってな。メジャーリーグでまた会おう」
ところが、である。
この年の試合はまだけっこう残っていたけれども、メジャーリーグは全部で三十球団もあるために、同じチームとの対戦は数が少ない。隆治の所属するダイナソーズとは、あと三連戦が一回あるだけだった。隆治の登板のタイミングと合わなければ、この年における圭吾の努力は無駄だったともいえてしまうし、隆治にとっても、またかなりの時間待つことになる。それに、翌年になれば必ず対戦は実現できるという保証があるわけでもない。
しかし、ようやく隆治にもツキが巡ってきたのか、三戦目、つまりはこのカードのラストゲームでの先発となったのだ。
よーし! やっと圭吾さんと勝負ができるんだ。やってやるぞ!
隆治は気合いが入った。
しかし、しかし、メジャーリーグでも昇格してすぐにヒットやホームランを放っていたにもかかわらず、実績としてはまだわずかな圭吾は、レギュラーをつかむまでは至らず、その試合でスタメン落ちとなってしまったのだった。




