韮沢隆治の話⑳
「オー」
「ノー」
観客席のあちこちから、深いため息が漏れた。
ブラウンが隆治から放った大きな打球は、ほんのわずかに切れて、ファウルだったのである。
しかし、アウトローのボール、それも隆治の力のあるストレートを、あの位置まで持っていったパワーは、やはり並の選手ではない証だ。隆治は、たとえ打たれても、ファウルになるコースという意識で投げていたものの、本気でヒヤッとした。
すごい。さすがはメジャーリーグのホームラン王だ——。
彼は、油断はしていなかったが、一層気を引き締めて、次の球は内角に切れ込むシュートを投じた。これも悪い球ではなかったというのに、ブラウンは三塁線への鋭いライナーで打ち返した。けれども、またもフェアまでもう少しのファウルとなった。
続く三球目は、ストライクゾーンからボールになるスライダー。ブラウンは見極めて手を出さず、カウントは、ワンボール、ツーストライク、である。
そして、第四球。隆治が決め球として投じたのは、スプリット、日本で言うところの、フォークボールだった。
日本では多くのピッチャーが使う変化球であるが、メジャーリーグで投げるピッチャーは非常に少ないために、有効であることはよく知られている。隆治も、シーズンが始まる前のキャンプの時期から、味方のキャッチャーや首脳陣たちからそうアドバイスをもらっており、オープン戦で投げて手応えを得ていた。このときも捕手がサインでスプリットを要求して、首を縦に振ったのだ。
ところが、その選択はブラウンの思う壺だった。なにしろ、隆治のボールを打つために分析や練習を散々行ったのだから、彼の最も得意とする球種ではなかったけれども、日本人であり、また、メジャーリーグではほとんど使われないので効果的だと考えて、スプリットを投げてくる確率が高いことは予測済みだったのだ。バッティング練習でも、この変化球を打つことにかなりの時間を割いたのである。
ブラウンは真芯でボールを捕らえた。打球は左中間への大きな当たりで、もうファウルにはなり得ない。
センターとレフトの二人は早々追うのを諦め、今度こそ文句なしのホームランとなったのだった。
「ワーッ!」
スタジアムは観客による大歓声に包まれ、ブラウンは右手を突き上げて、その声援に応えた。
見たか、若造よ!
ブラウンは、心の中で、隆治に向かって叫んだ。
「くっ」
隆治は表情をゆがめた。彼が日本での最後のシーズン、つまりおよそ半年の間に、打たれたホームランはたったの一本だった。それが、この打席だけでほとんど二本放たれた思いを味わったのだ。
やはりメジャーリーグのレベルは高い。簡単にはいかない。
そう実感したのであった。




