杉森圭吾の話①
「ハッ、ハッ、ハッ」
平日の、朝の八時過ぎ。通勤途中のサラリーマンたちが、「何事か?」といった表情で視線を注いだ。
東京のオフィス街で、少々ぽっちゃりとした、三十一歳の柳野智香という女性が、周りを歩く彼らを次々と追い抜き、自身が勤める、両隣の企業の建物が馬鹿でかくて立派なので、ただでさえ小さいのに、こぢんまり感が際立っている会社に、駆け足で入っていったのだった。
そして彼女は、同期で親友の、こちらはスラッとした体つきである、村里芽生を見つけると、勢いよく話しかけた。
「ねえ、芽生! 杉森圭吾に関する記事が、週刊誌に載ったんだってよ! あんた、知ってた?」
「え? ……うん」
芽生は、冴えない表情で、コクッとうなずいた。
智香は続けた。
「まあ、わざわざ週刊誌を見なくても、ネットにも出てるけどさ。私、知らんかったわー。今、来るとき、その記事をコンビニで立ち読みしてきちゃった。そうそう、だから、あんた昨日、暗い顔をしてたの?」
「まあね……」
「もー、言えよ、そんときー。でも、ショックでしゃべりたくなかったのか。『日本のプロ野球史上最高だったかもしれない天才バッターが、まさかまさかのバイト暮らし?』だもんね。働いてるって書いてある、都内のドラッグストアってどこだろう? 意外と近くだったりして」
「場所ならわかってる。うちからそんなに離れてないところ」
「え! どうして知ってんの?」
「掲載してた写真で気づいたの。特定できないように、あんまり写ってなかったけど、けっこう行く店だから、『あそこじゃん!』って」
「マジでー? じゃあさ、彼の姿を見にいこうよ」
「もう行った」
「え! だったら、なんでプロ野球の選手を辞めたのか、訊いた?」
「訊……」
「え! 訊いたの? あんた、やることが早いわね」
「……けるわけないでしょうよ」
そう言うと、芽生は「ハアー」と深いため息をついて、肩を落とした。
「じゃあ、私もついていくから、今日の帰りにもでも、また行こうよ」
「行ってどうすんの?」
「だから、どうして引退したのか訊くんじゃん」
「そんな、まったく見ず知らずの、それも週刊誌を読んで来た人になんて、教えるわけないでしょ」
「だって、『なぜ辞めるんだ』って批判はされたけど、別に野球選手を辞めるのは、本人の勝手で、倫理的に悪いことじゃないんだから、話してくれるかもしれないじゃない。あれから、もう何年も経ってるしさ。『会見で口にした理由は嘘だと思う。本当のことが知りたい』って、あんた、あの時期、散々言って騒いでたんだから、今だって、真相を知れるんなら知りたいでしょ? 週刊誌を見て行ったのがマイナスになっちゃうと思うんなら、偶然出会った感じにすればいいよ」
「無理だよ、偶然だなんて。バレる」
「大丈夫、任せて。私、中学と高校の六年間、演劇部だったんだから。見事に演じきってあげる」
「もう、いいよー」
「でも、あんた、杉森圭吾が辞めちゃって、なっがいこと落ち込んでさ。最近やっと立ち直れた様子だったのに、記事のせいで思いだして、またヘコでるんでしょ? いいかげん区切りをつけられるように、思いきって尋ねちゃおうって」
智香の性格上、引き下がらなそうだし、彼女の今の言葉にある程度納得したのもあって、芽生はしぶしぶといった態度で答えた。
「……わかったよ」