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韮沢隆治の話⑯

 試合前、サンダーボルツのベンチ内では、数人の選手たちによって、こういった会話がなされていた。

「何だよな、ジェッツは。高卒の新人が開幕ローテに入るなんて」

「ほんと。全国優勝したピッチャーとかならまだしも、そいつ、甲子園にすら行ってないんだとよ」

「だろうな。一回も、聞いたこともねえもん」

「まあ、ジェッツはいつも打線の強化に熱心で、そっちでお金を使い果たして、投手陣は層が薄いからな」

 そこへ、裏から厚がやってきた。

「あ、桐崎さん。今日の相手の先発、高卒の新人なんすよ」

「知ってるよ。韮沢隆治くんだろ」

「あれ? 名前まで、よくご存じですね」

「オープン戦で好投してたじゃないか。だからローテに入ったんだろ。この前のデビュー戦も、全部見たけど、立派な投球だったよ」

 すると、脇からコーチが声をかけた。

「お前ら、桐崎を見習えよ。相手がどんなんだろうと、油断なんてしないで、こうしてちゃんとチェックしているからこそ、毎年安定してタイトル争いに絡む成績を残せてるんだからな」

「はーい」

「すみませんでしたー」

 大物の貫禄は十分ありながら、偉ぶったりせずフランクな態度で、移籍して間もないにもかかわらずチームメイトと打ち解けている、人柄の良さも、圭吾の後継者として厚の名前があがる一因といえる。


「四番、ライト、桐崎」

 隆治は、初回を三者凡退で抑え、この試合はビジターなので二回の裏に、厚との初対戦がやってきた。

「ん?」

 打席に入った厚は、違和感を覚えた。

 普通は、ホームラン王と打点王のタイトルを獲得するくらいの力を持ったバッターである自分を打席に迎えると、警戒心が強くなるなり、それまでとは少し雰囲気が変わるものだ。まして、初対戦で、向こうは新人である。ところが、そうした気持ちの変化がまったく伝わってこないのである。

 どうした? アウェーだし、何より、まだプロの一軍のマウンドで投げるのに精一杯で、俺に気を配るどころではないのか?

 厚はそう思いながら、バットを構えた。

 まあ、仕方ないよな。甲子園の経験もないくらいなんだから。

 そんな同情に近い感情もわいていた。

 ところが一転、隆治が放った一球目のボールを目にして、彼はびっくりした。

 何だ、このストレートは——。

 そう、高校時代に強打者の橋本大成をたったの一打席で戦意喪失へと追いやった、キャッチャーのミットに収まるまでほとんど球威が落ちずに、バッターにはまるで浮き上がってくるように見える、すさまじい勢いの直球である。

 続いて投じられた、スライダーやフォークボールといった、どの変化球の質の高さにも驚いた。

「ストラーイク! バッター、アウト!」

「……」

 厚は三振を喫し、大成と同じく、放心状態になった。

 もちろんタイトルホルダーの彼だって、年間に何十回も三振を喫する。しかし、ここまで打ち返せる気がしなかったのは、彼の野球人生すべてを通じても、初めてくらいの体験だった。

 その後も、厚のバットはまったく隆治のボールを捕らえることはなく、四度の打席ですべて三振という結果であった。

 隆治は、確かに緊張も多少はしていたが、前回のデビュー戦のほうがその度合いは大きかった。だからこそ、一般的な尺度だと十分な好投であっても、初戦は彼本来の力からすると出来は悪く、それをチェックしていた厚は、そのときを遥かに上回るストレートや変化球に驚愕することになったのである。

 また、大物バッターの厚を打席に迎えながら、わずかも変化がなかったのは、反対に彼を取るに足らないと見下していたからなどということでもない。特別視していなかっただけだったのだ。隆治も厚同様に相手チームの研究をしっかり行っており、彼に神経を使い過ぎて、他の選手に打たれたのでは元も子もないのもあるし、そこまでマークする必要はないと判断した結果であり、思った通りに事は運んだ。

 全部の打席で三振を奪ったのは、大成のときのように狙ったのではなく、たまたまというか、相性の問題が大きかった。一流のピッチャーに対し、レギュラーでもない、力が劣る打者が、よくヒットを放つということがある。本人は格別には打とうと努力しておらず、他のピッチャーと同じようにボールを待っているだけなのに、なぜかタイミングが合ったりして球を捕らえやすいために起こることで、その反対に、それほどの力量ではない投手にもかかわらず、一流のバッターが、タイミングが取りづらいなどの理由で、ほとんど打てないケースもあるわけである。この二人の場合も、隆治にはたぐいまれな力があるが、加えて、厚にとっては極めて打ちにくいピッチャーだったのだ。

 厚を全打席で三振に、それも無名の新人ピッチャーが抑えたことで、観客もまたびっくりした。

「あのピッチャー、すげえ!」

「うん。名前はなんていうんだっけ?」

「韮沢か。あいつ、今年大ブレイクするぞ。俺が言うんだから間違いない」


 初対戦での厚からの四つの奪三振を手始めに、隆治はプロ野球界にその名をとどろかしていった。なんと、高卒での入団一年目から最優秀防御率のタイトルを獲得し、二年目にはそれに加えて最多勝と最多奪三振の栄冠にも輝いて投手三冠となり、文句なしでの最優秀投手賞に選出されるなど、圧倒的な成績を残していったのだ。

 それだけの結果を出せたのは、当然懸命にやったからであり、騒いで派手に祝福したりした周囲の者たちだけでなく、隆治本人も満足感や嬉しい感情があった。


 けれども、そのからいくら経っても、肝心の圭吾が現役に復帰することはなかったのであった。


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