韮沢隆治の話⑮
「お前、どうするんだ?」
圭吾が引退してしまい、隆治は当然ショックを受けているだろうと思って、響壱は電話をかけ、本人に問いかけた。
「入団して、プレーするよ。僕だけでなく、お父さんとお母さんの生活が、球団からもらえる契約金や年俸で、やっと楽になれるんだから。それに、高校の野球部の仲間たちとか、たくさんの人がドラフト会議で僕の名前が呼ばれたことを喜んでくれたのに、『圭吾さんがいないなら、プロの選手になるのは辞退します』なんて身勝手な振る舞いをするわけにもいかないよ」
そう迷いのない答えが返ってきたとはいえ、声の調子だけでも、激しく落胆しているのがありありと伝わってきた。
響壱は、力を込めて言った。
「いいか、隆治。頑張っていれば、杉森は現役に復帰するかもしれないぞ。なんたって、実績は十分でも、ピークすらまだ迎えてないんじゃないかというくらいに若いんだ。今はそのつもりはないとしても、しばらくすれば、気持ちや、きっと何かあるんだろう事情が、変わる可能性は大いにあるよ」
「……そっか」
「そうだ。それに、あいつと肩を並べる、へたをすりゃ、あいつ以上の、すげえバッターが出現しないとも限らない。だから、落ち込んでいる暇なんてないぞ」
隆治は、その言葉を受けて、考えた。
「うん……そうだね。わかった。圭吾さん以上の選手が出てくるのは難しいんじゃないかと思うから、圭吾さんの心や環境に変化が訪れることを願って、頑張るよ」
「お前自身、前に言っていたが、杉森がいなくても、当然プロはレベルが高くて、なめていれば一軍でプレーすることもままならなくなる。その結果、戦力外にでもなったら、完全にあいつと勝負できなくなるんだからな。少しの間は気持ちを整理するためにゆっくりしていいけども、しっかり気合いを入れてやるんだぞ」
「わかってる。やるからには、ちゃんと必死にプレーするよ。そこは心配しないでくれて大丈夫だからさ。わざわざ電話、ありがとう」
このようなやりとりを経て、沈んだ精神状態ながらもプロ野球の世界に足を踏み入れた隆治に、吉報となるかもしれない出来事が起こった。
トラディショナルリーグで、ホームラン王を一回と打点王を二回獲得した、桐崎厚という選手が、フリーエージェントによる、いくつもの球団との移籍交渉の結果、隆治が所属する静岡ジェッツと同じエマージングリーグの、川崎サンダーボルツというチームに入団したのである。
彼は、二十七歳と、圭吾より年齢は上だけれども、圭吾を失った日本のプロ野球界における、最高のバッターの後継者に位置づける人は多かった。以前になったホームラン王と打点王も、圭吾が入団二年目に北信越ロケッツでその二つのタイトルを獲り、翌年に青森レッズにトレードで移って、トラディショナルリーグからいなくなった後で獲得したという流れも影響していた。
かたや、隆治自身はというと、響壱に告げたように、これまでの努力を継続して、キャンプから首脳陣の目に留まり、オープン戦でも、相手に得点をわずかしか与えなかったのもさることながら、その投球内容が非常に素晴らしかったことで、高卒の新人では異例の、開幕のローテンションメンバーに名を連ねた。
そして、初勝利こそならなかったものの、デビュー戦を六回で一失点と好投すると、登板二戦目で、厚のいるサンダーボルツとの対戦となったのだった。