韮沢隆治の話⑭
隆治がプロへの入団という目標が実現したドラフト後に日本シリーズが行われて、その年のプロ野球の試合がすべて終了し、オフシーズンとなった数日後に、圭吾は引退を発表したのだった。
「本当なの?」
「信じらんねえ」
「もう日本のプロ野球は終わりだ~」
日本で一番有名な野球選手、いや、一番有名なスポーツ選手と言っても言い過ぎではない、圭吾によるその出来事は、世間の人々を驚かせ、騒がせた。なんといっても、彼はまだ二十五歳なのだ。
そ、そんな——。
隆治は絶望的な気持ちになった。引退してしまうこと自体もだが、そのタイミングが最悪だ。やはり彼には運というものがないようである。
それにしても、いったいぜんたい、どういうことなのだろうか?
ただ、予兆というのか、圭吾の振る舞いは一年前から様子がおかしかったのだ。そう、あの、隆治が衝撃を受けた、バーンズからの特大のホームランを放った日本シリーズの、少し後のことである。
レッズとの契約更改が難航しているという情報がまず出てきた。これまで圭吾は、お金には関心がほとんどなく、ずっと球団から提示された金額でサインをしてきたはず、ということで、どうしたのだろうか? と疑問を持たれた。
しばらくして、レッズは圭吾を自由契約にした。それだけでもびっくりする話だが、直後に彼は、同じエマージングリーグに属する沖縄フェニックスに、二度目の電撃的な移籍となる、入団をしたのだった。
なんでも、圭吾は、数々のタイトルを獲得し、記録を打ち立て、個人的に目指すものはもうないので、レッズにも久しぶりの頂点の座をもたらせたけれども、現在最も優勝から遠ざかっているフェニックスを日本一にするのが一番やりがいを得られることであるゆえ、レッズに移籍をさせてほしいと願いでたのだという。レッズサイドとしては、久しぶりに優勝を達成できて、それに多大な貢献をしてくれたのもあるし、本来は現在の年俸の何倍もの金額をもらっていい圭吾が首を縦に振ってくれないと、第三者が介入する年俸調停となった場合、絶対に彼にもっとお金を支払わなければならないとなるが、ふところ事情からそれは無理という、どうしようもない現実もあって、認めることにした。トレードだと、フェニックスには見合う相手がいないなど、話がうまくまとまらないことが見込まれるために、自由契約での放出となったそうだ。
そして圭吾は、フェニックス入りした際のコメントで、「優勝を成し遂げるのに、何年もかかってならば難しさはかなり低下するので、こういったかたちで入団する以上は、一年で結果を出します」と宣言したのである。
つまり、揉めたのはお金の問題ではなかったわけで、納得した人がいる一方、そんなふうに我を通し、人々を混乱させる性格ではなかったのに、といぶかしる声も少なくなかったのだった。
そうして始まった今年のシーズン、同じリーグの他のチームはどこも、圭吾が実際に、強豪ではなかったロケッツもレッズも日本一に導いたとはいえ、一番長くその座に立てていない沖縄フェニックスをたったの一年で頂点にすると発言したことで発奮し、「一人の力で、そう簡単に優勝できると思うなよ!」とフェニックス戦は並々ならぬ闘争心で臨み、ローテーションを組み替えてまでエースピッチャーをぶつけ、当の圭吾には、勝つために容赦なく敬遠を連発するなどした。はっきり歩かせなくても、本気で勝負にこない場面で、無理に打ちにいってバッティングの調子を狂わせたりと、圭吾自身空回りする姿も見られ、優勝の目はかなり早い段階でなくなってしまった。また、彼は個人成績においても、年間で三十四本と及第点の数のホームランを放ったものの、プロ入り一年目以来となる、打撃タイトルなしに終わったのであった。
「移籍するときに大勢の方に迷惑をかけておきながら、宣言した日本一どころか、リーグ優勝もできませんでしたので、責任を取って、私は引退いたします」
行われた会見の席で、圭吾はそう理由を述べて、プロ野球の世界から去っていったのだった。