韮沢隆治の話⑪
「大成、どう思う?」
とある野球部の、広大なグラウンドで、一人の部員が黙々とバッティング練習をしており、その後ろから立派な体格のチームメイトが、そう声をかけた。
「なあ……」
返事をせずに打ち続ける彼に、なおも話そうとしたメンバーに対して、また別の部員がしゃべった。
「おい、野暮なことを訊くなよ」
「え?」
「あいつを誰だと思ってるんだ。ぽっと出の韮沢なんて奴、眼中にねえよ。何も答えないのは、そういうことだ」
言われたメンバーは頭をかいた。
「そうか。悪かった、大成。気を悪くしないでくれ。俺、野球ばかりやってきて、心の機微みたいなことがわからねえもんだからさ」
すると、ようやく練習をしている部員が言葉を発した。
「大丈夫だ。韮沢っていったか? 面白いじゃねえか。ちっとはできるようだから、甲子園での本番の試合の前の準備運動くらいにはなるかもしれないし、五十本目の記念のホームランはそいつから打つとするかな」
そして、力を入れて、強烈な当たりを放った。
彼は、今話した相手の男子など、部内に何人もいる大柄で屈強な体つきのメンバーと比較すると、たいしたことがないように一見感じられるけれども、服の中は、鎧のごとく体じゅうが鍛えられた筋肉で覆われており、パワーは一般の高校球児のレベルを遥かに超えている。
この高校は、棟王学院といい、野球の名門校だ。バッティングを行っていたのは、入部から数カ月で任されて以降、不動の四番打者で、高校通算四十九本塁打を記録している、三年生の橋本大成である。
準決勝まで勝ち上がった平岩高校の、次の対戦チームは彼らなのだが、隆治は大会前にトーナメント表を初めて見たときから、ここにたどりつくのを一つの大きな目標にしていた。響壱が「日本じゅうの誰もが知っているくらいの大物を抑えれば、評価を高められる」とアドバイスしたけれども、さすがにそこまではいかないものの、大成はその地区大会における最強のバッターと言って間違いない選手だった。ドラフト会議でも、上位指名が濃厚だとメディア等で予想されている。ゆえに、前の場面で、隆治は次の試合のことに考えを巡らせていたのだ。
百五十キロ超えの球速で話題になった隆治と、高校屈指のホームランバッターとして以前から注目されていた大成が、対決するということで、マスコミや一般の観客、それにプロ野球関係者たちも、二人にさらなる高い関心を示したのだった。
大成を抑え込めれば、隆治の株は一段と上昇するだろう。けれど反面、これまで無名だっただけに、もし派手に打たれて、今大会で手に入れた好印象が帳消しに近いくらいまで降下したならば、ドラフト会議で名前を呼ばれる材料がないに等しくなり、プロへの道が閉ざされてしまうのがほぼ確実の、断崖絶壁の状況での勝負といえた。
「プレイボール!」
その、隆治の、野球にとどまらず、人生を決定するかもしれないほどに重要な試合の幕が、切って落とされた。