韮沢隆治の話⑩
「あいつか」
「ほんとに百五十三キロを出したのかよ」
「韮沢? 聞いたことねえな」
「でも、すごいよね。百五十を超えたのは一回だけじゃないってさ」
響壱の狙いは的中した。その球速に、公立で強くもない学校のピッチャー、また、これまでまったく知られていなかったというのもあり、衝撃は大きく、隆治は注目の存在となったのだ。
隆治を左投げにしたことで自分の立場を守るのに成功したように、この兄は、弟のないぶんをもらったということはないだろうが、運がある、というよりも、物事の要点をつかむ能力に恵まれたようである。
しかし、ボールのスピードは関係なかったと思えるくらいに、隆治のピッチングは見事だった。元々優れた制球力に、多彩な変化球を練習で身につけたのも加わって、とにかく得点を奪われない。味方の守備がそんなに上手ではないのでエラーを犯すときはあっても、抜群のコントロールでフォアボールをほとんど与えないためにランナーはたまらず、打たれてもせいぜい内野安打程度、ホームランはもちろんのこと二塁打や三塁打もまず浴びないので、相手のスコアボードにはゼロが並ぶばかりだった。
「すげえ」
「あの韮沢って奴、ボールが速いだけじゃないぞ」
「『ニューヒーロー現る』だな」
隆治はこういった声を聞いた。自身の耳に入ってきたものだけでけっこうあったのだから、実際は良い評判がもっと飛び交っていただろう。それでプロのスカウトが、まったく情報をつかまなかったり、マークしなかったり、ということはないはずだ。
とはいえ、響壱も懸念材料として挙げていたけれども、自分のチームの攻撃陣が点を取らなくては試合に勝てない。隆治もバッティングに関してはたいしたことがないので偉そうには言えないものの、長打を期待できる選手も、確実なくらいにヒットを放てる選手も、いないのだ。
だが、隆治がアルバイトをしながら練習を頑張っていた時期、チームメイトも感化されて努力を重ねたのである。バッティングセンターに連日通い、打てるようにだけでなく、フォアボールをたくさん得られるように、速い球や変化球に目を慣らせ、選球眼を向上させることに務めた。それが功を奏して得点率がアップし、彼ら平岩高校は格上を次々倒していったのであった。
「やったあ! また勝ったあ!」
試合後のロッカールームは大盛り上がりだ。
「信じられねえ。俺たちがベストフォーかよ」
「あと二つ勝利すれば、こ、甲子園……」
「コラ、欲張るんじゃねえ。目の前の試合に集中しろ」
「いいじゃねえか。こんなときくらい、夢見たって」
「ん? どうかしたか? 隆治」
チームメイトたちが喜ぶなか、隆治は一人、異常なほど落ち着いていた。
「あ、ごめん。次の試合のことを考えてたんだ」
「ほら、韮沢はちゃんと次に試合のことだけに目を向けてるぞ」
「頼むぞ、うちの大黒柱」
「ああ、うん……」
「おい、どうしたんだよ?」
「いや、だから、次の試合……」
「このーっ! 優等生過ぎんだよ、お前っ!」
「アハハハハッ」
ひょうきんな部員がふざけた怒り方をしたので、元々ご機嫌だったこともあり、みんな腹を抱えるくらいに笑った。
それによって隆治もようやく表情が緩んだのだが、彼が次の試合について深く考えるのは理由があったのだった。