ごめんあそばせ、最も成功したオタクとは私のことですの!
⑴
「鏡よ、鏡。この世で最も気持ち悪いオタクはだぁれ?」
「それはもちろん、エレノア様。あなた様でございます」
「やっぱり」
エレノアは、鏡に向かって盛大にため息をついた。
鏡に映っているのは、自分ではなく美しい女性。
「そうよね。誰がなんて言おうと、私は気持ち悪いオタクよね」
「わかってるなら、私に聞かないでください」
鏡の中のクール美女の声で、あたりが氷点下まで一気に冷えてしまった気がする。
ここは、カレッジ王国の王妃の部屋。
エレノアは魔王の娘であり、半月前に国王陛下に嫁いだ歴とした王妃様なのである。
しかし、結婚したばかりの国王陛下は、異教徒との闘いで遠征に出ており、夫婦として過ごした日は一日とてなかった。
だが、そんなことは別にいいのだ。
何故なら、彼女は、国王を夫として見ていないから。あくまで国王は、彼女にとって “憧れの人” だから。
(“推し” と結婚できたなんて、私はこの世で最も成功したオタクなんだもんね)
気持ち悪いオタクと言われようと、へっちゃらなのである。
⑵
エレノアは、この国で大昔から権勢を誇る魔王一族の娘であった。
しかし、彼女には魔力はほとんどなく、優秀な姉妹達の中で若干浮いていた。
彼女が持つ魔力。それは、ほんの少しだけ先のことを見通す力だった。
しかし、先を見通せるといっても、直近のことでは『時既に遅し』といった感じで、何の手を打つことも出来ない。
見えたところでどうしようもないなら、むしろ邪魔な能力であった。
さらに言えば、美男美女ばかりの一族の中で、彼女の容姿は、いささか劣っていた。
そんな彼女が何故、 “国王” に嫁ぐことができたかと言うと、それは父である魔王の鶴の一声であった。
国王陛下はたいそう忙しく、国内でゆっくりしている時間はない。近隣諸国との交渉、時には争い。
彼は常に疲れていて、国内政治はおろそかになっていた。
しかし、それでも国内は平和が保たれており、何の心配もなかった。
全て魔王のおかげである。
魔王一族の魔力で、国民は国王陛下に逆らうことなく真面目に働き、国内の平和は保たれていたのだ。
⑶
エレノアが成人を迎えた年のこと。
カレッジ王国は、長年の懸案であった隣国との和平交渉が上手く運んで、ようやく完全なる平和を取り戻すことが出来た。
国王陛下は、感謝の意味もあって、魔族から妻を迎えたいと言ってきた。
その際、エレノアの父は、子供達の中で最も冴えない娘を国王陛下に押し付けようと考えた。
他の娘たちは優秀で、どこに行っても上手くやっていけそうである。
しかし、エレノアはだめだ。彼女はとても不器用だ。
父の考えを知った娘たちは、激しく反発した。
「お父様、正気ですか?」
魔王の長女であるアンナが言う。
「そうよ、なぜ私達を選んでくれないの。国王陛下にふさわしいのは、イレーヌお姉様や、私ウルスラ。それか、末妹のオルガじゃない?」
父魔王は困った。
確かにその通りである。王妃にふさわしいのは優秀な娘であろう。
しかし、この先どう考えても、エレノアは売れ残りそうである。
幸い、国王陛下は「誰でも良い」と言ってくれているのだ。
ならば、嫁ぎ先探しに苦労しそうなエレノアを嫁がせるのは良策ではないか?
魔王がそう説明した時、優秀な姉妹達の後ろで項垂れていたエレノアが、意を決したように顔を上げた。
「お父様、ありがとうございます。もし、国王陛下が “おK” してくださるなら、私は王家に嫁ぎたいです」
⑷
姉妹たちは絶叫した。
「なんて厚かましいの!」
憎々しげに叫んだのは、最も激しい性格の三女ウルスラだ。彼女はエレノアを睨みつけた。
「エレノア、私たちを差し置いて、四女のあなたが先に結婚するのはどうかしら?」
次女のイレーヌは冷静である。
既に嫁いでいる長女のアンナまで、複雑な表情で言った。
「私ですら公爵夫人なのに、よりによって最も無能なあなたが王妃に?」
エレノアが真っ赤になって項垂れたので、彼女の長い髪は床に届きそうになった。
「モップみたい」
オルガに笑われて、エレノアは益々赤くなる。
父魔王と娘達の話し合いは、最後は『エレノアを糾弾する会』といった様相を呈して終了した。
姉妹がぷりぷりしながら、それぞれの部屋に下がった後、魔王はエレノアを呼んで優しく言った。
「エレノア、辛かっただろう。わしのせいで申し訳ない」
「いいえ、お父様。私を選んでくださって、感謝しています。全然、辛くなんかありませんわ」
「いや、お前だけ平凡に生んでしまって、本当にすまないと思っているのだ」
父のダメ押しの言葉に、エレノアは再びがっくりと項垂れた。
しかし、結局エレノアが国王陛下に嫁ぐことが決まった。
結局、なんだかんだ言っても、姉妹達はエレノアを祝福してくれた。
キャリア志向の彼女達にとっては、夫のサポートをして生きていくよりも、荘園の管理等、自分の好きなようにやれる相手に嫁ぎたかったのかもしれない。
「エレノアは、殿方のサポートをするのが向いていると思うわ」
アンナが言った。
「そうね」
イレーヌも同意する。
二人の横で、会話を聞いているウルスラとオルガも頷いた。
彼女達は、エレノアにお祝いとして、それぞれ心のこもったプレゼントを用意してくれた。アンナからはドレス、イレーヌからはメイク道具一式、ウルスラからは靴、オルガからはアクセサリー。
⑸
婚礼の日は朝からとても晴れており、エレノアの門出を祝福してくれるようであった。
(お天気が良いのは、昨日からわかっていたわ。でも、お父様なら、仮に嵐が来ても簡単に晴天に変えただろうし)
エレノアは、花嫁の控え室で、ぼんやりとそんなことを考えていた。
その時、控え室のドアが激しくノックされた。
ドアが開き、豪華な衣装を身につけた国王陛下が入ってきた。
びっくりしてエレノアは立ち上がる。
「ここここ、国王陛下!」
「やあ、花嫁どの。初めてお会いするな、よろしく。それにしても美しいなぁ、その花嫁衣装」
国王陛下は、嬉しそうに目を細めてエレノアを見ている。
「ありがとうございます」
「その純白のウェディングドレスは、父君が用意してくれたのか?」
「はい、そうでございます」
「そうか。……早速だが、婚儀を終えたら、私は異教徒の討伐に向かわねばならない。魔王のお力が必要だ。いつものように、お力添えしてくれるよう、頼んでおいてくれるな?」
「もちろんでございます。すでに祭祀は執り行われております、ご安心ください」
エレノアは、慌てずに落ち着いて答えることが出来て大満足だった。
しかし、肝心なことを忘れていた。
婚儀の後、国王陛下はすぐに旅立ってしまう。
「いつ帰って来れるかわからぬが、それまで留守を頼んだぞ」
国王陛下はブルーの美しい瞳をきらめかせて言った。
(この瞳!)
エレノアは心の中で叫ぶ。
子供の頃、初めて国王陛下を見た時から、エレノアは彼の虜であった。
(私より、ほんのちょっぴり年上の、素敵な素敵な王子様……)
国王陛下は、今日からは夫となる。しかし、エレノアにとっては、夫というより憧れの対象なのだ。
遠い存在であり、いついかなる時も応援したい存在。
お金も時間も捧げて尽くしたい人。
(この方は、私にとって “永遠の推し” )
うっとりと国王を見つめるエレノア。
彼女の潤んだ瞳に全く気づかぬ様子で、国王はマントを翻し、部屋を出て行ってしまった。
夫婦らしい時を過ごせるのは当分先……いや、それどころか、彼女の性癖ならぬ性格からいって、永遠にその時は訪れないかもしれない。
(私には、気の置けない話し相手もいるし、少しも寂しくないわ……)
⑹
エレノアが、嫁入り道具として王家に持っていくのは、姉妹達がくれたお祝い以外では鏡だけだった。
それは、彼女が幼い頃に亡くなった母がプレゼントしてくれた美しい姿見である。
「エレノアや、寂しい時は『鏡よ、鏡』と、この姿見に呼びかけなさい。お友達が現れて、あなたの相談相手になってくれるから。彼女は、あなたの力になってくれるはず」
母の遺言であった。
母を亡くし、打ちひしがれていたエレノアは、ある日鏡に向かって「鏡よ、鏡」と呼びかけてみた。すると、なんということであろう!
先程まで鏡に映っていたエレノアの姿は消え、彼女に似た、しかし比較にならないほど美しい少女が現れたのだ。
「なんでございましょう、エレノア様」
鏡の中の少女は、低めの声で返事した。
その初対面の日から、十年以上の月日が流れ……。
王家に嫁いで以後も、今日もまた、エレノアは鏡と話をしている。
彼女と鏡は、毎日おしゃべりしているのだ。
鏡は、時には励ましてくれ、時には傷つくようなアドバイスもしてきたりした。
大体は、世間とうまくやっていけないエレノアの愚痴を聞いてくれているのであったが。
「エレノア様、そろそろあなたもオタク卒業しなくてはいけないのではないでしょうか?」
「おタクを卒業?」
「あなたはもう王妃様なのですから、もう少し世間に出て、国民や家臣と交流をしなくてはいけません」
「それはわかってるけど」
エレノアは、くねくねと身を捩らせる。
「いつまでも部屋に閉じこもって、私相手におしゃべりしている場合じゃありませんよ。あなたは留守を守っているのですから、国王陛下の代わりに、あなたが人心をまとめなくてはなりません。戦況報告をしたり、国を守ってくれている家臣団を労らったり。そういうことが必要でございます」
鏡は、教え諭すように言う。
「そうよね……。わかってはいるんだけど、私なんかに出来るかしら?」
「出来るかどうかではなく、しなくてはならないのです」
鏡はいつになく、厳かな口調で言った。
エレノアは、びくっと震える。
翌日、エレノアは家臣団を謁見の間に集めて、彼らに労いの言葉を掛けることにした。
緊張感でいっぱいの彼女は、何かにすがりたいと思った。
そこで、長姉のアンナがくれたドレスを身に纏ってみた。すると、不思議なことに、体全体から力が湧いてくるような気がした。緊張感は解け、高揚感が全身を包む。
(なんだか上手くやれそう!)
⑺
さらに彼女は、次女のイレーヌがくれたメイク道具で丁寧に化粧してみた。すると、いつもよりも美しく見える。
“鏡” は、エレノアが化粧している時は消えていたが、彼女が化粧を終えると現れて、感嘆したように褒めてくれた。
「お美しいですわ! エレノア様、あなたは世界で最も美しい」
エレノアは真っ赤になった。
「あなたって、そんなお世辞を言うタイプだったの?」
「お世辞ではありません。嘘偽りのない気持ちです」
「お姉様方がくれたプレゼントを身に纏うと、なんだか元気が出てきたわ」
鏡は微笑んで言う。
「何を今更。ご姉妹は皆、魔力の持ち主ではありませんか」
エレノアは驚きの声を上げた。
「そうね! 魔法の威力って凄いわね!」
「でも、魔法だけではどうにもならないこともあります。今のあなたは魔法に頼らなくても、世界で最も美しくて威厳のある王妃様ですよ。自信を持って!」
エレノアはウルスラがくれた靴を履き、仕上げにオルガがくれたアクセサリーを身に着けた。すると、彼女の全身は光を放ち、部屋中を明るくした。
「凄いわ!」
エレノアは興奮して叫ぶ。
「さぁ、このまま謁見の間に行くのです!」
鏡に促され、エレノアは意気揚々と謁見の間に向かった。
既に家臣団は集まっており、エレノアは一瞬怯んでしまう。
(こんな大人数の前で、何を話せばいいのかしら)
不意に、彼女の脳裏に、“推し” である国王陛下の姿が浮かんできた。想像の世界では、彼はいつもエレノアに優しく微笑んで話しかけてくれていた。
彼女は落ち着くことができた。
「皆の者、ようこそ集まってくれました。今日は、お礼を言いたいと思います…………」
⑻
家臣団を労った後は、国民に向けてお触れを出す時であった。
それは、遠征に出ている国王陛下の現況を伝えるものである。
『国王陛下は国にいなくても、常に国民のことを思い、国民の為に働いているのだ』という内容の文書は、エレノアの自筆で認られ印刷された。
各家庭に配られたその檄文は、国民たちを喜ばせ、彼らの心を一つにしてくれたようであった。
「エレノア様、よく頑張られました」
鏡の目は潤んでいる。
「もう一つ、ご提案があります。国王陛下の遠征先を訪問されてはいかがでしょうか」
「そんなこと、勝手にしちゃいけないんじゃないの!? 陛下は遊びに行ってるんじゃないのよ、異教徒との戦いに行っているのよ」
「討伐とはいえ、彼らを従えさせる和平交渉が主でございます。決して危険な場所ではありませんし、エレノア様が行かれると、現地の兵士たちも喜ぶのではないでしょうか」
「さっさと帰れ、と言われるんじゃないかしら」
「そうしたら、帰ってくればいいのです。世間に出て、ぶつかったり失敗したりすることが、あなたを成長させるのです。もっと好きにやっていいのですよ。誰も、あなたのやることに、そこまで注目していませんし」
「でも、私は一応王妃だし。一般人より注目されてるわよね?」
「自意識過剰ですよ」
痛いところを突かれた、とエレノアは思った。
「ったく……。社不って、どうしてそうなんでしょう? 仮に、あなたの一挙手一投足をあげつらうような奴がいたとしても、気にすることはありません。『ああ、ワイのことが羨ましいんだな、やることなくて暇なんだな』と、憐れんでやればよろしいのです!」
「わ、わかったわ。でも、私はオタクではあるけど、社不ではないと思いたい……!」
⑼
翌朝、一睡もできないままであったが、エレノアは、姉妹達がくれたプレゼントを身に着けて出発した。
国王陛下の遠征先は、隣国と接している辺境の地である。
「王妃様、ここから先は迂回しなければ、馬車は通ることができません」
山道に差し掛かり、護衛の兵士達が困ったように言った。
「それなら、私は歩いて国王陛下のところに行くわ」
「何を仰います。今、輿を御用意いたしますので、しばらくお待ち下さいませ」
「いいです、いいです! あなた方の御手を煩わせるわけにはいかないわ。見て、この靴。姉のウルスラがくれた物なんだけど、すごく頑丈で、どんなに歩いても疲れないし、めちゃくちゃスピードが出るんです!」
それは本当のことであった。魔法の靴は、一見すると、あの有名なシンデレラ姫が着用したガラスの靴にそっくりだったが、恐ろしく頑丈で登山靴のようであった。
しかも軽くて、どんなに歩いても疲れないのだ。
エレノアは、疲労困憊している部下たちを尻目に、ひょいひょいと山道を登ることが出来た。
結果、予定より何日も早く、出発したその日に国王の遠征先に到着した。
エレノアを見て、陛下はとても驚いた。
「なんと! よくここまで来てくれたな。さぞかし大変であっただろう」
「はい。でも、私の親友が、国王陛下や家臣の皆様を訪問して励ますのも、王妃の務めだと提案してきましたので」
「そうか。しかし、ほぼ問題は片付いているのだ。後は条約を締結するだけなのだ。互いに有利なように交渉するので、まだ時間はかかりそうなのだが」
陛下が現況を説明してくれるのを、エレノアは嬉しく思った。初めて対等な夫婦として会話した気がした。
というか、こんなに間近で話をしたのは初めてのことであった。
⑽
「エクレア」
国王陛下が、彼女を見つめて言う。
(今、私の名前を呼んだ? まさか陛下は、私の名前をちゃんと覚えていない?)
驚きつつも、エレノアは冷静に訂正した。
「エレノアでございます」
「おお!そうだった。失礼、エリノア」
少し訛っているようだが、許容範囲である。
そもそも婚儀の後、すぐに陛下は遠征に行ってしまったのだから、お互いを知るチャンスもなかったわけで。
陛下は優しい眼差しで、エレノアを見つめている。それは、今までずっと彼女が夢想していた世界での、国王陛下の姿そのものであった。
「そなたは美しいな」
「まじ?」
言ってから、エレノアは慌てて口を覆った。
同時に彼女は気づいた。もし、ほんとうに自分が美しく見えるとしたら、身に着けている姉妹達のプレゼントのおかげである、と。
「ありがとう、みんな」
エレノアの呟きに、国王が「何か?」と優しく尋ねてくる。
「いいえ、なんでもございません。オタクは独り言が多いものなのです。しかも、私は最も成功したオタクなのですから、どうか今少し、この幸せを噛み締めさせてくださいませ」
陛下は、エレノアが何を言っているのか、さっぱりわからなかったが、疲れているのだろうと思った。
「今夜は、ここでゆっくりすると良い。夫婦として初めて過ごす夜だな」
「陛下……!」
二人のシルエットが重なる----。
----“鏡”は、鏡の中で、それら全てを見守っていた。魔法の鏡が『すべてお見通し』なのは、昔からの決まり事なのである。
(ようございました、エレノア様。あなたは、ご自身のことを、 “最も成功したオタク” と仰いましたけど、本当に最も成功したオタクは私です。長年ずっと、間近で推しの成長を見て会話して。私こそが、最も成功したオタクなのですよ……!)
[おしまい]