09-捌-出会い
倉本琉亜は、いつも通りの昼休みを過ごしていた。
昼食はない。理由は単純で、作るのが面倒だからだ。
とはいえ、教室に漂う弁当の匂いで空腹を意識してしまうため、D組の教室を離れ、人の気配がほとんどない校舎裏のベンチへと向かった。
陽当たりがよく、喧騒も届かない。静かで、落ち着ける場所だった。
今日はよく晴れていて、秋の匂いが風に乗って運ばれてくる。肌に触れる空気も心地よい。
やがて、まぶたが重くなり、意識がふわりと遠のいていく。
「倉本、琉亜……さん、ですか?」
おそるおそるといった声が、すぐ近くで聞こえた。
確かに、自分の名前が呼ばれた。
琉亜はまぶたをゆっくりと持ち上げ、声の主に視線を向けた。
そこに立っていたのは──白石美冬。
(……白石美冬。名前は、よく耳にする)
学年でも知られた存在。人との関わりを持たない自分ですら、その名は自然と知っていた。
その彼女が、いま目の前に立っていた。
「……俺に、何か用か?」
これまで一度も言葉を交わしたことのない相手。
記憶をたどってみても、話しかけられるような理由は、どこにも思い当たらなかった。
「あの、お話……したくて」
言葉の調子は控えめで、それでもまっすぐだった。
琉亜は、一瞬、目を白黒させた。
(……話を、したい? 俺と?)
その言葉があまりに率直で、そしてあまりに純粋だったから、思考が一瞬、うまく繋がらなかった。
ただの挨拶でも、偶然の出来事でもなく、“話をしたくて来た”という事実が、琉亜には信じがたく映った。
言葉に見合う理由が、思い当たらない。
けれど目の前の彼女は、嘘をついているようには見えなかった。
「えっと……なんで?」
思わず、そう問い返していた。
本当に、理由がまったく思い当たらなかったから。
永野結芽に「話しかけてみたら?」と勧められたことなど、彼が知るはずもない。
突然、自分に向けられた“話しかけたい”という行動に、戸惑わない方がおかしい。
「……お話、したかったからです」
聞き返されて、美冬はわずかに俯いた。
けれど、それでも逃げなかった。
言葉を選び直すように丁寧に、確かに、自分の目的をもう一度だけ口にした。
「えっと……何を話したいんだ?」
不思議というか、少し変わった人だな、と思いながら、琉亜は自分から口を開いた。
「その……どんな人なのかなって。倉本さんが」
美冬の声は小さく、言葉の端が少し震えていた。
「……それ、難しいだろ。俺だって、君のこと、詳しく知らないし」
名前は知っている。
だけどそれ以上のことは、男子の間でたまに出る「綺麗だ」という噂話くらいだ。
実際、こうして目の前で見てみれば、その噂が生まれる理由もよく分かる。
整った顔立ちに、静かな佇まい。けれど、どこか感情が読めない。
「あ、えっと、そうですよね……私は、B組の白石美冬です。倉本さんの噂を聞いたり、成績を見たりして……それで、話してみたいなって思って」
「……噂、ねえ。あんまり良いもんじゃないだろ?」
成績についてなら掲示板に張り出される。学年一位であることも含めて、人目に触れるのは当然だと理解している。
「素行があまり良くない……みたいな話は、聞きました」
「……それ、聞いたうえで、俺に話しかけに来たの?」
琉亜は、少し呆れたように言葉をこぼした。
「はい。だからこそ、気になったんです」
「白石さん、だったっけ?……変わってるな」
「そうですか?」
「今の会話だけで言うなら、かなり、変わってると思う。まあ、人のことは言えないけど」
自分にも、普通とは違う部分があると自覚はある。だからこそ、噂が立つ。
それでも、目の前の少女は、その“違い”を軽く上回っていた。




