21-壱-偽物の日常
「倉本さん」
その声に呼ばれて、倉本琉亜は足を止め、ゆっくりと振り返った。
まだ朝の登校時間。
のらりくらりとした足取りで、どこか面倒くさそうに学校へ向かっていた途中のことだった。
「白石か。おはよう」
声の主は、白石美冬だった。
それをわかっていたからこそ、琉亜はためらいもせず、振り返って挨拶を返した。
「おはようございます」
少し駆け足で近づいてきた美冬は、挨拶とともに琉亜の隣に並んだ。
「告白は減ってる?」
「ふふっ、そうですね。そもそも、そういう目が減りましたね」
「そっか。それなら、この関係にも意味があったな」
琉亜は小さく息を吐いた。
白く染まった吐息は、空へと浮かび上がり、やがて静かに消えていく。
今日は十二月二十三日。
冬休みを目前に控えた、火曜日の朝だった。
「明日から冬休みだな」
琉亜は、開け放たれた正門から、ゆっくりと学校の敷地内へと足を踏み入れた。
「そうですね。倉本さんは、何か予定あるんですか?」
美冬も、彼のほんの少し遅れて門を通る。
「……あると思うか?」
琉亜はわずかに視線を横へと流した。
そこには、ほんの少しだけ皮肉を滲ませた表情があった。
友達なんて、ほとんどいない。
彼女だって、そのことは知っているはずだ。
だからこその問いかけだった。
美冬は、くすっと小さく笑みをこぼした。
「そうでしたね」
昇降口に入り、無言のまま内履きへと履き替える。
彼と彼女の関係は、今までの日常の積み重ねの中で、確かに“仮初のもの”として形づくられてきた。
それが本物になることは──いや、本物になる可能性すら、これまで一度として生まれたことはなかった。
「いつも助かってます」
「それなら良かった。俺も、話し相手になってくれて助かってるよ」
琉亜が友達と呼べるのは、万丈涼くらいだ。
もっとも、琉亜自身がそれをどう思っているかは別として。
「今日は、一緒に帰りませんか?」
「いいけど……」
「放課後、少し付き合ってください」
「……わかった」
美冬の言葉は、少し強引だった。
琉亜は戸惑いを見せたが、否定する理由もなければ、拒む理由もなかった。
「では、今日も授業を頑張ってください」
今日は、美冬が琉亜の教室前まで一緒に来ていた。
「そっちも頑張ってな」
軽く手を振り、琉亜はちょうど開け放たれていた教室の扉をくぐる。
その背に、美冬の視線がほんの少しだけ残った。
「今日もお熱いねぇ」
クラスメイトの万丈涼が、教室に入ってきた琉亜を見つけて、さっそくからかってきた。
相も変わらず、金髪に金属製のイヤリングを揺らした、いかにもチャラいスタイルだ。
琉亜は、彼に仮初の関係だとは明言していない。
だが、どうやら察しがついているらしい節がある。
それにも関わらず、こうして軽口を叩いてくるのは、なぜなのか。
その理由を、琉亜は想像することすらできなかった。
「羨ましいだろ」
だからといって、他のクラスメイトたちが見ている前で、あからさまに否定するわけにはいかない。
むしろ、肯定してやるくらいでちょうどいい。
そう思った琉亜は、皮肉を込めてそう返した。
「彼氏も板についてきたなぁ。
……他に好きな人は、いないのか?」
涼は声を潜め、耳元で聞こえるように問いかけてきた。
「いるわけないだろ。彼女がいるんだし……」
言ってから、ほんのわずかに視線を逸らした。
嘘ではない。けれど、それが“本当”かと問われれば、どこか曖昧で、言い切るには抵抗がある。
仮初の関係とは、きっと、そういうものだ。
「ふーん?」
涼はそれ以上何も言わなかった。
表情にはいつもの軽さがある。だが、その奥に、何かを探るような色が微かに滲んでいた。
「……何かあったのか?」
今度は琉亜が、逆に問いを投げる。
「いんや、何もない」
涼は軽く首を振ってみせた。
ちょうどそのとき、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴った。




