14-肆-変化
「倉本さん、お昼休み、そろそろ終わってしまいますよ」
眠っていた琉亜の耳に届いたのは、聞き慣れない声だった。
瞼の裏を通して、あたたかな光が差し込んでくる。
この校舎裏のベンチに誰かが来ること自体、彼にとっては予想外だった。
ここは人目がなく、誰にも干渉されない場所。
だからこそ、昼休みの避難所として選び、今日も迷わずここに腰を下ろした。
透明な秋の陽射しが、地表をゆっくりと這うように伸びていた。
その影が地面に静かに伸び、足元では小さな草が風に揺れていた。
ベンチの背には日が射しており、木の座面にはほどよいぬくもりが残っている。
遠くから聞こえるクラスの笑い声も、ここまで届くころにはすっかり輪郭を失っていた。
静かで、穏やかで、誰にも邪魔されない。
彼にとってここは、確かにそんな場所だった。
「……え、なんで」
瞼を開けた瞬間、彼の眠気は一気に吹き飛んだ。
視界に映ったのは、昨日初めて会話を交わしたばかりの白石美冬。しかも、その顔は思わずのけぞりそうになるほど近くにあった。
「お話をしに来たのですが、眠られていたので」
美冬の言葉を聞いて、琉亜は「やっぱり変わってるな」と思った。
昨日抱いた印象のまま、不思議な子だと改めて感じる。
「話しかけないなら、帰ればよかったんじゃないか?」
至極まっとうな疑問をそのまま口にして、ゆっくりとベンチから身を起こす。その動きに合わせるように、かがんでいた彼女も静かに立ち上がった。
「どちらにせよ、今日は教室から少し距離を置きたかったんです。だから、ちょうどよかったというか……」
返ってきた言葉に、琉亜の表情がほんのわずかに険しくなる。
「何かあったのか?」
やや硬めの声色で、琉亜は問いかけた。
「ええ、まあ……よくあることではあるんですけど」
言葉を探すように、美冬はやんわりと肯定する。その声音には、ごくわずかに迷いがにじんでいた。
そのとき、校舎の窓からチャイムの機械音が響いた。
美冬は小さく目を見開き、すぐに視線を琉亜に戻す。
「あ、終わりのチャイムですね」
どこか気を紛らわせるように、そう言って微かに笑った。
「悩みがあるなら、放課後に相談乗るよ」
いつもは時間通りに起きられないはずの琉亜だったが、今回は美冬が“目覚まし役”を務めてくれた。
そのささやかな恩に対して、特に深く考えることもなく、ごく自然な調子で言葉を返した。
「……え?」
美冬はわずかに驚いた表情を浮かべた。
会話の流れからすれば、その申し出はあまりにも“倉本琉亜らしくない”ように思えたからだ。
「ああ、嫌なら無理にとは言わないよ。今回は起こしてくれたから、そのお礼みたいなもんだし」
琉亜にとっては、あくまで今回の“義理”を返すための提案だった。
だからこそ、強く勧めることはせず、彼女の意思を尊重する姿勢を言外に滲ませていた。
「い、いえ。嫌というわけではなくて……。もしよろしければ、放課後、お時間をいただけますか?」
美冬は首を勢いよく左右に振ったあと、おずおずと申し出た。
「わかった。授業が終わったら、1年D組に来てくれればいい。そこから、どこかで話そう」
そう言いながら、琉亜はベンチから立ち上がる。
本音を言えば、教室に戻る気にはなれなかった。
けれど、一度目が覚めてしまった以上、授業が始まる前に教室の前には立っておかないと、なんとなく落ち着かない。
「は、はい。わかりました。もうすぐ授業が始まってしまいますし、急ぎましょう」
美冬の言葉にうながされるように、琉亜はふと視線を横へ向けた。
校舎裏から見える教室の窓。その奥に掛けられた時計の針が、ちょうど始業一分前を指していた。
美冬も同じ方向に目を向け、そっと息をのむ。
「急ごう」
琉亜が短くそう言い、美冬も小さくうなずく。
ふたりはその場を後にし、それぞれの教室へと足早に駆け出した。




