13-参-日常Ⅱ
美冬の後を追うようにして、琉亜も昇降口へ足を踏み入れた。
並んで靴を履き替えながら、ふと問いかける。
「……白石は、いつもこのくらいの時間に来てるのか?」
琉亜の声は、どこか探るようで、けれど柔らかかった。
美冬は、かちゃりとローファーを履きながら、少しだけ考えるように間を置いた。
「そうですね。だいたい、これくらいです」
事もなげに答えるその声音に、琉亜は小さく頷いた。
特別な意味を持たない、ただそれだけのやり取り。けれど、どこか奇妙に静かな間が、ふたりの間に生まれていた。
ふたりは、並んで靴を履き替えた。
会話はそれきりだった。
気まずさも、無理な間もなかった。
ただ自然に、並んで昇降口を後にする。
校舎へ続く短い通路を抜けたところで、美冬が立ち止まり、そっと頭を下げた。
「それでは」
静かな挨拶だけを残して、美冬は自分の教室へと歩き出した。
琉亜も小さく「じゃあな」と返し、別の廊下を進む。
冷えた空気が、廊下の奥へと流れていく。
朝の光はまだ淡く、遠くからは教室へ急ぐ生徒たちの気配がかすかに響いていた。
琉亜は、いつもの一号館の奥へ向かう。一年D組の教室が、静かに彼を待っていた。
(変化は……無いか)
教室に入ることは、やはりまだ簡単ではなかった。
横引きの扉に手を伸ばす、その一瞬が、いつも少しだけためらわれる。
(やっぱり、サボりたくなるなぁ)
とはいえ、朝から教室を抜け出すわけにもいかない。
白石美冬という、少し不思議な人と出会って、何かが変わるかもしれないと、ほんの少しだけ期待したのは……それでも、日常は日常のままだった。
「おはよう、琉亜」
扉の前で立ち尽くしていると、背後から声が掛けられた。
高校に入学して以来、琉亜が気楽に話せる男子は、一人しかいない。
「あ、あぁ。おはよう」
琉亜は戸惑いながらも、振り返るようにして、声の主に挨拶を返した。
彼の名は万丈涼〔ばんじょう りょう〕。
この学校では珍しく、金髪に派手なピアスという目立つ格好をしていた。
校則こそ違反していないが、それでも自然と人目を引く存在だった。
そんな彼だからこそ、琉亜を色眼鏡で見ることはなかった。
「また戸惑ってんのか?」
涼は、呆れたように言った。
「ああ、まあ……うん」
琉亜は隠すつもりもなかったが、自分でも少しダサいと思いながら、戸惑いがちに頷いた。
「ガタイもデカい、喧嘩も強い、極めつけに勉強もできる。……何を戸惑ってんだか」
涼は、琉亜が手を掛けかけていた扉の縁を蹴り、つま先で下部を押し込むようにして、強引に扉を開けた。
「ほらよ、先陣は俺が切ってやった。これなら、お前も行けるだろ?」
金髪とピアスに似合った、少しチャラい笑みを浮かべながら、涼はそう言った。
「……ありがとう」
今日は、教室の前で立ち止まる時間が、いつもより短かった。
琉亜は、そんなふうに思った。
倉本琉亜にとって、授業と授業の間にある休み時間は、教室に居場所がないだけの時間だった。
けれど、たった十分間だけなら、居場所のない教室にも、なんとか自分の居場所を作ることができた。
しかし、昼休みのように少し長い時間になると、もう彼には、それを保つことができなかった。
一人暮らしの彼は、朝食は食べるが、昼食用の弁当は作らなかった。
冷めた食べ物は、なぜか喉を通らなくなってしまうからだ。
琉亜は一人、校舎裏のベンチに座る。背を預けるようにして身を倒し、静かに空を仰いだ。
(今日も静かだな)
学校の敷地内で、彼の心が唯一安らぐ場所であった。
昼の暖かさに包まれた世界の中で、意識はゆっくりと溶けていった。




