11-壱-曖昧
カーテン越しに夕陽が差し込む教室で、美冬は帰り支度をしていた。
机の上を整え、鞄のファスナーに手をかけた、そのときだった。
「どうだったの?」
ふいに背後から声を掛けられ、美冬は振り返る。
制服の袖を無造作にまくりながら、結芽がこちらへ歩いてきた。
「どうだった……とは?」
何についての話なのかわからず、美冬は小首を傾げる。
窓の外では、沈みかけた太陽が校庭の隅を橙色に染めている。
「今日、倉本と会ったんでしょ?」
「……なぜ、それを?」
鞄を肩にかけながら、美冬は結芽を見つめた。
教室にはすでに人気がなくなり、椅子を引きずる音や、廊下を駆ける足音だけがかすかに響いている。
「昼休みに居なかったから、そうかなって思っただけ」
悪びれもせずに言う結芽に、美冬は小さくため息をついた。
「結芽さんには、隠し事はできませんね」
「それなりに長く一緒にいるからね」
窓際に立った結芽が、外の景色をぼんやりと眺めながら苦笑する。
その横顔を、美冬もつられるように見つめた。
「一緒に帰らない? 話、聞くけど?」
倉本琉亜に美冬が声をかけるよう仕向けたのは、他でもない結芽だった。
本人もその自覚があるからこそ、その出会いにどんな化学反応が起きたのか、興味を隠そうとしなかった。
「……うまく話せるかどうか」
美冬は、鞄の持ち手をぎゅっと握った。
倉本琉亜との会話は、自分でもうまく言葉にできない、不思議な感覚があった。
「話しづらいことでもあったの?」
結芽がからかうように尋ねる。
「話しづらい……私の感じ方のせい、なのでしょうか?」
美冬は答えながら、鞄の持ち手を指先で弄んだ。
自分でも整理できていないことを自覚している。
「結構拗らせてるね?」
軽口を叩く結芽に、美冬は不満そうな顔をした。
「失礼な……」
小さく息を吐き、美冬は椅子を引いて立ち上がる。
教室には、もう数人しか残っていない。黒板には翌日の予定が書かれ、窓の外はすっかり夕暮れに染まっていた。
結芽も鞄を肩にかけ、美冬の隣に並ぶ。
「ほら、帰ろ。歩きながらなら、少しは話しやすいでしょ?」
結芽が引き戸に手をかけ、横にすべらせる。
静かな教室に、戸車が回るかすかな音が響いた。
美冬は一瞬だけためらい、それから小さく頷き、結芽の後について教室を後にした。
下駄箱で靴を履き替え、昇降口から外に出たとき、冷たい風が制服の裾を揺らした。
ふたりは並んで歩き、校舎沿いの舗装路を抜ける。
門扉を越え、学校の敷地を出たところで、美冬はふと立ち止まった。
「倉本さん、噂で聞くような人ではありませんでした」
それは、素直でわかりやすい美冬の感想だった。
「そうなんだ? でも、授業はサボってるんでしょ?」
結芽は、ある程度の確信を持って言った。
彼女は倉本琉亜を詳しく知っているわけではないが、噂話程度には聞きかじっている。
「……それは、そのようですね」
美冬は少し言葉を濁しながら答える。
「ふぅん。それにも、思うところがあったんだ?」
「……まあ」
美冬は小さく頷き、校庭から伸びた影が舗装路に溶けていくのを見つめた。
「そんなに悪い人じゃなかった?」
結芽は、美冬が言葉を探していることに気づいていた。
だから、敢えて自分の言葉で、美冬の気持ちを整理する手助けをした。
「それは、そうですね。良い人だなって思いました」
校門を抜けたふたりは、駅へと続く道を並んで歩く。
夕陽に照らされたアスファルトは、まだわずかに温もりを残している。
「どんなところが?」
結芽が問いかける。
美冬は隣を歩きながら、少しだけ首を傾げた。
「難しい……ですけど、何だか、繊細に感じたというか」
「へぇ。繊細に感じたから、良い人だと思ったんだ?」
結芽がからかうように微笑む。
繊細=良い人とは限らないことくらい、美冬にもわかっていた。
だからこそ、少しむっとしながらも、慎重に言葉を探していた。
「とても苦労されている方なのかな……と。何もまだ知らないのですが、何となく、そう思って」
「ふぅん。
じゃあ、もっと知らないとわからないね?
──ああでも、それ以上関わる必要もない気がするけど」
結芽はふわりと、美冬を制するように言った。
倉本琉亜は男子であり、美冬は女子だ。
ふたりきりで言葉を交わすなら、なおさら慎重にすべきだと、結芽は思っている。
「……線を引けってことですか?」
美冬が静かに問い返す。
「……珍しい。美冬に皮肉が伝わるなんて」
皮肉というのは、本来、心当たりのある者にだけ届くものだ。
表面上は何でもない言葉に、相手が勝手に意味を読み取る。
結芽は、美冬がそれを汲み取ったことに、ほんの少し驚いていた。
長い付き合いの中で、彼女が基本的にコミュニケーションを得意としないことを理解していたからだ。
「今までも、皮肉を……?」
駅へと続く道を歩きながら、美冬は尋ねる。
夕陽はすでに傾き、街灯がひとつ、またひとつと灯り始めていた。
「悪意はないよ」
結芽は肩をすくめるように笑った。
その仕草に責める色はなく、ただ柔らかい。
「……はあ。今は良いです。
倉本さんにも、そうやって線を引かれたんですよ」
「そうやって?」
結芽が首を傾げる。
「"やめといた方がいいよ"って」
駅前のロータリーが見えてきた。
バスの出入りで賑わう中、美冬の声は少しだけ小さくなる。
「ごめん、何に?」
結芽は歩みを緩め、美冬に視線を向けた。
「えっと、他の男子だったら期待しちゃうって……」
言いにくそうに言う美冬に、結芽はふっと吹き出した。
呆れるでもなく、どこか楽しげに。
「美冬、あなた距離感バグってるからね。たぶん、それじゃない?」
「距離感……?」
小さく首を傾げた美冬の表情には、素直な戸惑いがにじんでいた。
結芽はそんな彼女を横目に、やれやれといったふうに笑いながら、駅舎の方へと歩き出した。
改札を抜けたふたりは、上りホームへと向かった。
電車の到着までには、まだ少し時間がある。
人気の少ない端の方で、美冬と結芽は肩を並べた。
吹き抜ける風が、制服の裾をかすかに揺らしている。
「でもさ、倉本も、変なこと言うよね」
結芽が軽く笑った。
「……そうでしょうか?」
美冬は不思議そうに首を傾げる。
「普通なら、“他の男子だったら期待しちゃうよ”なんて言わないよ。そんな気を回す方が珍しいって」
美冬は考え込むように視線を落とした。
ホームの白線の先、遠くに電車のライトが見え始めている。
「でも、何となく、そういう人なんだろうなって……」
呟いた声は、風に紛れて小さく揺れた。
ちょうどそのとき、ホームに電車が滑り込んできた。
拙作をお読みいただき、誠にありがとうございます。
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