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10-玖-出会いⅡ

「隣、座る?」


 倉本琉亜は、ずっと立たせたままなのも悪いと思い、声をかけた。


「はい。では、失礼します」


 白石美冬は静かに頷くと、丁寧な所作で彼の隣に腰を下ろした。


「……何が聞きたいんだ?」


 一息吐いて、琉亜は問いかけた。

 もしそれが、ただの悪戯じみた興味だったなら、背筋に嫌な感覚が走っただろう。

 けれど、目の前の彼女からはそういうものは感じられなかった。ただ、純粋に気になっている──それだけが伝わってきたから、邪険に扱う理由もなかった。


「素行不良って、何をしたのかなって……。成績は良いのに、そういう噂が立つのって、少し矛盾してると思って」


 美冬の問いは、彼にとってあまり語りたい内容ではなかった。


「白石さん、それ……本人が話したくないことかもって、思わなかった?」


 誰だって、そういう話題は躊躇うものだ。

 けれど彼女は、それをあまりにも自然に、あまりにも真っ直ぐに尋ねてくる。

 その無防備さが、どこか可笑しくもあり、琉亜は思わず口元が緩みそうになった。


「……でも、気になったので」


 小さくつぶやくように答えるその声には、迷いがなかった。

 そして、美冬は小さく両手に力を込めていた。まるで「どうか教えてください」と、言葉ではなく仕草で伝えてくるようだった。


「うーん……まあ、いいか。別に、隠すようなことでもないしな」


 たしかに、自分は“素行不良”というレッテルを貼られている。

 けれど、こうして話してみると、美冬は思っていた以上に、柔らかい存在だった。


 言葉は少ないが、敵意も壁も感じない。

 ぶっきらぼうに返しても、彼女は臆することなく、静かに受け止める。


 永野結芽から「授業に出ていないらしい」と聞いてから、美冬の中には倉本琉亜という名前が、ほんの少しだけ意識に引っかかっていた。

 けれど、周囲から聞こえてくるのは、具体性のない、誰が発したかも分からない噂ばかりだった。


 “授業をサボる”、“粗暴”、“不良”、それはまるで、テンプレートのような言葉ばかり。


 今、目の前にいる彼は、それらがあまり当てはまらないように見えた。こんな人が来ない場所で昼寝をするような人物だから、ついつい”授業をサボって”しまうのは、何となく予想ができた。


「俺さ、実は学校に入学してから、しばらく学校に来られなかったんだ」


 ぽつりと、琉亜が語り始める。

 その口調はどこか淡々としていて、過去を懐かしむでもなく、ただ事実を並べるようだった。


「それが、“素行不良”と呼ばれる理由ですか?」


「それもあるけど、それだけじゃない。詳しくは話せないけど、他人のプライベートもあるからさ……聞いたことない?」


 あの頃、彼の周囲では少しだけ話題になった出来事があった。

 その日を境に、同級生の視線が変わったのを、琉亜は今でも覚えている。


「いえ、まったく」


 美冬は、きっぱりとそう答えた。

 予想通りといえば、予想通りだった。あの頃、彼女は琉亜のことなど見向きもしていなかったのだから。


「そっか。

 まあ、そういうのが色々重なって、教室の居心地が悪くてさ……」


 琉亜は、気恥ずかしそうに頬をかきながら、続けた。


「チャイムが鳴ってても、教室に戻る気になれないときがある。そういうのを繰り返してたら、勝手に“問題児”扱いされたってわけ」


「クラスの居心地……ですか」


 美冬には、あまり実感の湧かない言葉だった。

 彼女は誰とも深く関わらない代わりに、誰とでも表面的な関係を築ける。

 だから、「居心地が悪い」という感覚に、いまひとつ共感ができなかった。


「だから、“素行不良”って言っても、ただのダサいやつだよ。逃げ癖があるだけ」


 琉亜は苦笑混じりにそう言った。


「……そう、なんですね」


 蓋を開けてみれば、拍子抜けするほど“普通の人”だった。

 大柄で威圧感のある外見からは想像できないくらい、彼の話し方は優しかったし、会話をしていることが、なぜだか心地よかった。


「でも、成績はずっと学年一位なんですよね?」


 気がつけば、美冬の方からもう一歩踏み込んでいた。


「あぁ、そうだな。それは高校受験の時に、勉強を教えてくれた先生が良かったんだよ」


 そのときのことを思い出したのか、琉亜はふっと目線を落とす。少しだけ寂寥感を感じさせる表情をしていた。


「どんな先生だったんですか?」


「中三の俺に、高三の範囲まで数学叩き込んでくるような、ちょっとヤバい人」


「……それは確かにすごいですね」


「でも、その人が勉強のやり方もちゃんと教えてくれてさ。だから、学校の授業に出なくても何とかやれてるんだ」


 美冬は、その“先生”のことももっと知りたいと思った。けれど、赤の他人の過去を、本人を通さず深掘りするのは、どこか後ろめたさを感じた。

 だから、それ以上は聞かずに口を閉じる。


「……実は私、倉本さんの次なんですよ」


 ほんの少しの誇らしさと、それ以上に大きな敬意を込めて、美冬は静かにそう告げた。


「知らなかった……ごめん。一位を取ることばかりに気を取られてて……」


 琉亜はどこかバツの悪そうな表情を浮かべながら、頭を軽くかいた。


 思えば、それも当然だった。

 授業に出ることすら満足にできない自分が、居場所を保つためにできる唯一の手段が「結果」だった。

 学年一位でいなければならない。いつの間にか、それが義務のように自分に貼りついていた。


 だからこそ、他人の順位や点数にまで意識を向ける余裕なんて、最初からなかったのだ。


「何となく、そんな気がしてました。私も、最近になってからなんです。倉本さんのことをちゃんと知ってみたいなって、話してみたいなって、そう思ったのは」


「……そっか。けど、そう言い方をされると、他の男子だったら、期待しちゃうかもな」


 興味を持たれて話しかけられること自体、男子にとっては特別な意味を持つ。

 まして、目の前の彼女──白石美冬のような容姿で、そんなことを言われたら、勘違いするなという方が無理がある。


 少し風が吹けば、黒く艶のある髪が柔らかくなびく。

 透けるように白い肌は整えられた制服とよく馴染んでいて、乱れのないその姿はどこか凛として見えた。


 まさしく、目を引く存在だった。


「だから、やめといた方がいいよ」


 その言葉に込められたのは、拒絶でも警戒でもなく、ただ淡々とした“自分への評価”だった。


 倉本琉亜は、自己肯定感がとても低い。

 だから、誰かが自分に好意を持つなんて考えは、最初から除外してしまう。

 それゆえに、今のやりとりすらも、“勘違い”の芽を摘もうとする言葉になったのだろう。


「……そうなんですね。じゃあ、気をつけます」


 口調はあくまで冷静だった。けれど、美冬の胸の奥には、ほんの少しだけ"むっ"とする感情が芽生えていた。

 意図的ではないと分かっていても、自分の気持ちに“線”を引かれたようで、少しだけ釈然としなかった。


 そのタイミングで、校舎中にチャイムの音が響いた。

 昼休みの終わりを告げる、いつもの電子音だ。


「でも、これからは、ときどき話しかけに行きますね」


 美冬はそう告げて、ベンチから立ち上がった。


 その声音に、怒りも不機嫌さもなかった。

 ただ静かに、けれど確かな意志だけが、そこにあった。


 彼に背を向けると、その場をあとにした。

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