06 吉光寺の回想1
ズキ
「ふぅふぅ、ふ―………立て」
「ヶほケホッ、ゥッ…」
降り注ぐ昼下がりの日差しと苛立つ空気が踊る工場の裏。
春の訪れを告げる涼しい土の香りと日差しが鼻先を凍み込んで我に返る吉光寺和功看守は使い過ぎて先が少し曲がった三段式警棒が上手く縮まらないのか、虚ろな目で気をつけの姿勢で立っている受刑者の腹部に勢い良く刺し縮ませ収納する。
「ぅグッ!」
吉光寺の矯正処遇に慣れ既に歯を食いしばって腹部に力を入れていた受刑者だったが、胸骨の下に的確に刺し込まれる警棒の先に彼は腹を抱え自然な流れで地面に膝まずく。
「うっ!ォェえええ」
「吉光寺~いるか~」
傷跡だらけの両手で防ごうが口から漏れる透明な嘔吐を止められない受刑者を傍観する吉光寺。
「…っ。あと5分で休憩が終わる。昼食を逃したくなければ速やかに片付けて戻れ」
「ッヵハ…は、はい、ありがとうございます!」
彼は遠くから聞こえる呼び出しに身だしなみを整え直し、受刑者に命令したのち場を後にする。
背後で自分の嘔吐を土と混ぜ泥に丸めてポケットに詰め込んでいる受刑者に目を背けながら。
・・・・
「おお~やっぱここにいたのか。お―い、こっちだこっち」
ぞんざいな立ちにぞんざいな素振り。
ぞんざいな姿勢でぞんざいに手を振るその看守は足早に近づく吉光寺が寄ってきた途端無作法に肩に手を回し、彼の尊重は無視しつつ連れ歩く。
「先輩、お呼びでしたか」
しかし、いつの時代も如何なる文明も滝は上から下へと落ちる様に、同じ肩書を持つ者同士での上下関係はその肩書を背負った年月が多い方が上に立ち、それの少ない方は下に立って気を張らず、顔色を伺いつつ、されるがままでいればいい。
馬鹿げているが原理それが吉光寺和功の上下関係に関しての原理だから。
「また例の受刑者に八つ当たりか?」
「………いえ、その…久しぶりに一服しようと思いまして」
「は!一服?はっは!お前が??はっはっは!親バカの代名詞であるお前が?おいおい、俺に合わせようと冗談絞り出してくれるのは嬉しいけど、晃ちゃんを悲しませるような冗談はさすがの俺も感心しないぞ?」
261番の『矯正』の度に下品に千切れかけてる平常心を不屈な思いで縛り止めていた吉光寺だったが、愛娘の名前が名前を覚える価値のない相手の汚い舌の上から転がるのを目の当たり
娘さんが『お洋服からパパの口の臭いする~』とか言われて奥さんの小言をおつまみに
ズキズキ
「…誰からそれを?禁煙し始めたのは先輩がここに来るずっと前の事ですが…」
「な?誰からって…こんなド田舎にある素敵な刑務所で俺ら、ゴミ管理人の様なもんの唯一の娯楽って裏話やこぼれ話、噂話しかいないじゃん?一杯やる時にちょっとだけ聞いちゃった」
「噂話?」
「そっちなんか―い!おじさんてっきり一杯の方だと思ったのに。皆お前の事『看守の鏡!』とか拝めてるから生真面目でつまんない奴だと思ったけど…あっ、でも上がった後からだよ?仕事中はちゃんと素面だよ?それより吉光寺お前、結構いける口?」
酒器を持ち上げ口に傾げる仕草をする先輩看守。
「おお!それが噂の目つきか!おうおう怖い怖い~おじさんもう年で一人じゃ下克上には対応出来ないからさ~ほら、この眉間のシワ伸ばしてよ~」
気付かずに険悪な視線を送っていた吉光寺の眉間に両親指を当て押し伸ばす先輩看守は吉光寺の顔つきが自分好みになったか満足したそうな顔を浮かべまた彼の肩に手を回し、口を動かす。
「イヤー、しかしなんだ、気に障ったらごめんだけど、今時こんな仕事に自負なんかをまだもっているっぽい出来のいい看守が後輩で先輩冥利に尽きるわ~」
滝の様に降りかかる価値のない先輩看守の口上から一つの単語が吉光寺の胸を刺し、この八ヶ月間自身の胸糞を悪くさせた靄を振り払う。
(……自負…?)
自分の才能や仕事に自信をもち、誇りに思う事という意味を持つ単語、自負。
(そっか)
その単語は吉光寺和功の看守歴13年目にして一度も揺るがなかった信条であった。
八ヶ月前彼が訪れるまでは。
お読みいただきありがとうございます。
これからも頑張って書き続けますので宜しくお願い致します。