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戦場のワルツ  作者: 暁天花
Ep.Ⅰ
9/54

    西部戦線異状なし 5/5

『お疲れ様でした、みなさん』


 駐屯基地へと帰還して、司令官の少女から向けられたのはそんな言葉だった。苦笑するセイの傍らで、レイトが目を細めてぎりと歯を噛み締める。彼の真紅の瞳には、嫌悪の炎が激しく燃えていた。


『改めて自己紹介がしたいので、今からそちらに向かいますね』

「……りょーかい」


 戦隊長(レイト)が反応する気がないので、代わりに副長のセイが言葉を返す。

 戦隊員の険悪な雰囲気には、流石のセイも苦笑するしかない。見ると、シャノンの顔にも苦笑いが浮かんでいた。


 戦隊長と以下三名が兵舎に帰ろうとするのを何とか引き止め、セイ達は中庭で司令官の少女を待つ。

 暫くして、兵舎の反対側にある司令官舎から、足音が聞こえてきた。


「あ、あなた達が第一〇一帝国義勇戦隊の戦隊員……ですか?」


 今日、通信機越しに聞いた、可憐な少女の声。

 目を向けると、そこに居たのはやはり天青種(セレリア)の少女だった。鉄灰色の女性用士官服を規則通り完璧に着こなした、生真面目そうな。


 高価な装飾品を身につけているわけでもなければ、醜悪な体躯を晒しているわけでもない。(どちらかというと、見た目は華奢な方だ。)軍人としての必要最低限だけを備えたその姿は、年頃の少女にしては些かお洒落が少なすぎるようにも見える。


 金色の西日が強く照らす中なので、正確な髪色までは分からない。が、彼女の瞳を見た途端、セイは驚愕に目を見開いていた。


「あ、あいつ…………」 


 それきり、隣にいたレイトも絶句する。

 深い海色の双眸は蒼月種(ルナスタリア)だけが持つ特徴だ。天青種(セレリア)の中でも、異人種達が特に忌み嫌う、皇族の系譜。彼らを収容所に押し込め、戦場へと駆り立てた、その当事者達と同じ血統の。

 いや、それ以前に。


 レイトは、彼女の海色の双眸にとても見覚えがあった。忘れもしない。三年前の記憶が脳裏を駆け巡る。

 二人の動揺に気付いていないのか、司令官の少女は敬礼をした後に、ふっと笑みを零して言葉を続けた。


「改めまして。本日よりこの戦隊の指揮を担当することになりました、帝国陸軍少佐のエレナ・レイエンダです。これから、よろしくお願いしますね」





 夕食を終え、すっかり静まり返った食堂の洗い場で。セイは、食べ終わった食器の片付けを行っていた。

 今日の夕食当番はセイなので、これもやるべき仕事の一つだ。……とはいえ、勿論ここには洗剤の類いなどはないから、スポンジで水洗いするだけの簡単なものだが。


 司令官の少女──もとい、レイエンダ少佐は、あの後急用ができたらしく、一旦本土へと戻っていった。

 改めて、明日からは彼女もこちらで生活をするらしい。本土のお嬢様が、急にこちらへと来ても大丈夫なのだろうか。主に、対応できるかどうかの面で。


 不意に、セイは手元から目線を上げる。区分けの薄い壁の奥に見えるのは、今は人影一つ見えない食堂だ。

 本来は、中隊規模の人員が一同に会する、大きな。


 みな、先に部屋へと帰って娯楽を楽しんでいるのだろう。と言っても、彼らが行くのは自分の部屋ではなく、戦隊長室──レイトの部屋だが。


「こっちは終わりましたよ」

「ありがとさん」


 唯一、残って手伝いをしてくれていたシャノンに、セイは笑顔で感謝の言葉を口にする。

 こんなとこにいるのが勿体ないぐらいには、彼女はお人好しで世話焼きだ。少なくとも、彼女の二つ歳上であるレイトよりかは、全然しっかりしている。


 華奢で小さな身体には、ところどころ戦闘ではつかない傷や痣が見えていた。おおかた、天青種(セレリア)の血が入っているからと暴力を振るわれたところか。

 どうせアイツのことだから、それを見兼ねて彼女を助けたのだろう。ああ見えて、レイトも結構なお人好しだから。


「あとはもうこれだけだから、先に行ってていいぞ」

「そうですか? ……じゃあ、お言葉に甘えて」


 手を拭き、笑顔で去っていく銀の少女を、セイは暖かい気持ちで見送った。





 夜間哨戒や夜襲のない義勇戦隊の夜は、実のところ結構暇だ。

 〈ディヴァース〉の機甲部隊は、基本的に夜襲を行わない。というのも、視界の悪い夜間戦闘では、その圧倒的な車輌能力を活かしきれないからだ。


 主な周辺索敵を、彼らは熱源探査式のセンサと直接視認に頼っている。そのため、〈ディヴァース〉の機甲兵器群は、夜間戦闘能力が皆無に等しい。とりわけ、義勇戦隊に対しては、普段の有利な状況を逆転されてしまうのだ。


 ……まぁ。それを差し引いても、〈ディヴァース〉には圧倒的な物量と火力があるのだが。

 というか。そもそも、義勇戦隊にはそんなリスクを冒してまで、夜襲をする価値がないと思われているだけなのかもしれないが。


 二階の最奥にあるのが、戦隊長室──もとい、レイトの部屋だ。この兵舎の中では食堂に次いで広くて、みんなが自然と集まる部屋。

 シャノンが戦隊長室へと入ると、そこには妙な緊張感が漂っていた。床に座り込む二人が目に入って、思わず首を傾げる。


「何してるんです?」

「絶対に負けられない戦いをしてる」


 いつになく真剣な表情でラウが言う。すると、アリスが振り返ってきて苦笑した。


「これで明日の食事当番を決めようって話になったのよ」


 見やると、二人の間にはトランプの束が乱雑に置かれていた。アリスの手元には一枚、ラウの手元には二枚のカードが。


「……オールドメイド(ババ抜き)、ですか」

「これ終わったらシャノちゃんもやる?」

「……! いいんですか……!?」

「? いいに決まってるじゃない。何を言ってるの?」


 やった! 

 怪訝そうな顔をするアリスをよそに、シャノンは心底(しんてい)からの喜びで頬が緩む。まさか、レイトとセイ以外の人とこんなことができるだなんて。


「てことだから、早く引いてくれない?」

「…………」


 対するラウは無言を貫く。どうやら、今はラウの方が引くターンらしい。アリスの手札は一枚で、勿論ジョーカーではない。そして、ラウの手には二枚のカードが。

 これが意味するものは。間違いなく。


「ラウさんの負け……、ですよね」

「……あえて意識しないでたのに」


 おもむろに、ラウは手札を放り捨ててうなだれた。よっぽど食事当番をやりたくなかったらしい。


「シャノちゃん、割と容赦ないわよね」

「……そうですか?」


 アリスが苦笑する傍らで、シャノンはその意図が分からないとばかりに首を傾げる。


「ま、いいんじゃないの? レイトを正面からぶっ刺してるのは面白いし」

「それは……そうかも」

「…………?」




 輪の中に入って次のゲームを待つ間、シャノンはずっと気になっていたことを訊ねようと口を開いた。


「あ、あの。アリスさん、ラウさん」

「ああ、別に呼び捨てでいいよ。さん付けされるの、なんか落ち着かないし」

「私もアリス、でいいわよ」

「……では。アリス、ラウ。お二人にお尋ねしたいことがあるのですが……」

「ん? なに?」


 ずい、とアリスが眼前に乗り出してきて、シャノンは体を微かに強ばらせる。が、彼女の澄んだ若草の瞳には、嫌悪と侮蔑の感情は一つも含まれていなかった。今までの戦友は、みんな持っていたのに。

 なんだか心が暖かくなるのを感じながら、シャノンは言葉を継ぐ。


「レイトはどこに?」

「あれ、レイトはいねぇのか」


 重ねて、自分とは別の男性の声が聞こえてきた。ハッとして、シャノンとアリスは振り返る。

 居たのは、丁度扉を開けてきたところらしいセイだった。


「凄いタイミングだね」


 笑いながら、ラウがその場の全員の気持ちを代弁する。

 アリスが笑いを堪えながら答えた。 


「レイトなら、──」





 兵舎の屋上。そこで、レイトはまだ少し冷たい夜風に吹かれて、手すりへともたれかかっていた。


 空には満天の星空が広がっている。防衛線の外──特に西部戦線は、広大な平野に放棄された都市が点々としているだけだ。

 駐屯基地も、夜は灯火管制ががかかる。その為、星々の煌めきを阻害するものは何もないのだ。人々の喧騒もなければ、戦闘の音もない。時折、野生動物の遠吠えが聞こえるだけの、暗い静寂の世界。


 一人空を眺めながら物思いに耽っていると、不意にコートがかけられた。自然と、目線を下へと向ける。


「……セイか」

「まだ夜は冷えるな」


 金色の瞳が優しく細められる。だが、レイトはその瞳が何となく直視し(がた)く感じて。逃げるようにして、再び視線を空へと戻した。


「なんの用?」 

「別に? お前がここに居るって聞いたから、来ただけだ」


 それきり、二人の間には無言の時間が訪れる。気まずい、というよりは、心地のいい静寂の。

 どれぐらい経っただろう。不意に、セイが口を開いた。


「……レイエンダ、だってな」

「え?」

「もう忘れたのか? ほら、今回の司令官だよ」

「……、ああ。あの偽善者の」

「お前なぁ……」


 セイは呆れたようにため息をつく。その横で、レイトは真紅の瞳に激しい怒りの炎を燃やしていた。


「だって、あいつ──!」


 夕方に見た、深い海色の双眸が甦る。蔑みでもなく、好奇でもない。哀憐のこもった、あおい瞳が。


「あー、悪かった。別にそんな話がしたくて来た訳じゃないんだ」


 制止の声で、レイトはハッとした。


「…………ごめん」


 少なくとも、この激情をぶつけるのはセイではなかった。意気消沈するレイトを見て、セイは苦笑する。ややあって、彼は真剣な表情でぽつりと呟いた。


「レイエンダで、蒼月種(ルナスタリア)。……お前はどう思う?」

「どうって……」


 やけに抽象的な質問だが、レイトにはその意図がはっきりと分かっていた。不快感もあらわに、レイトは目を細めて吐き捨てる。


「……あいつの、妹とかそこら辺なんじゃないの?」

「ま、やっぱそんなところだよねぇ」


 超然と夜闇を照らす三日月を眺めながら、レイトは司令官の少女のことを思い出す。

 深い海色の双眸に、月白(げっぱく)に煌めく銀の長髪。容姿を思い出すだけでも、激しい嫌悪と不快感に襲われる。

 特に、彼女の瞳の色が気に障る。深い海色の、灰簾石(かいれんせき)にも似た、あのあおいろが。 


 今でも、レイトは鮮明に思い出すことができる。三年前の冬、吹雪が吹き荒れる夕方だった。

 その日もレイト達は出撃で、司令官の青年はいつものように前線に出てきて指揮を執っていた。

 正直、戦隊の誰もがその青年──深い海色の双眸を持つ司令官のことを、不快に思っていた。無論、レイトもセイも例外ではなかった。 


 ただ、唯一。レイトの妹は、その蒼月種(ルナスタリア)の司令官──ロエナ・()()()()()に懐いていたのだ。


 純白の中に咲いたあかいろが、脳裏にフラッシュバックする。無意識に、レイトは首に提げていた懐中時計を握りしめた。

 心が剣で刺されたように痛む。ぽつりと、消え入りそうな声で妹の名を呼んだ。

 


「……ユーナ」  

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