レイト 2/7
木枯らしの吹く季節の、微かに東の空が薄明に染まる頃。レイト達は出撃の準備を済ませて、駐屯基地の中庭へと集まっていた。
大きなリュックサックと鞄には、詰め込めるだけの弾薬と少しの携帯食糧が入れられている。いつ、作戦が終わるのか分からない以上、持てる分の物資は携行していた方がいい。
撤退の許されないこの作戦任務では、補給のための後退ですらも許されない。
ここから西へ十数キロ先、待ち構えているであろう〈ディヴァース〉の大群を、レイトは不思議と凪いだ心で見つめていた。
脳裏に、二人の少女がフラッシュバックする。吹雪の中に落ちていった黒百合の少女と、目の前で息絶えた白銀の少女。レイトが最期に目にしたユーナと、シャノンの記憶。
どうしようもない過失。二度と取り戻せない過去、変えられない事実。
守ろうとして、手からすり抜けていった、大切な人たち。
これ以上、大切なものは失いたくない。そればかりがレイトの脳裏を駆け巡る。
目を閉じると、青い瞳が瞼の裏にちらついた。
深い海色の双眸に、月白に煌めく銀の長髪。いつも面倒くさくなるぐらいに生真面目で、けれどもどこか抜けたところがあった、司令官の少女。
いつもレイトのことを気にかけてくれて、辛い時には黙って寄り添ってくれた。
彼女のことを思うと、何故だかとても心が疼く。今すぐにでも会いたい。少佐の──エレナの笑顔を、再びこの目で見たい。
けれど。
それはもうできないのだと、レイトは自分に言い聞かせる。
結局、この三週間でエレナは一度たりとも帰ってはこなかった。一言も言葉を交わすことはしなかった。
彼女は、義勇戦隊から逃げ出したのだ。最後の足掻きである作戦図とその指示書を残して。
もう二度と、あの可愛らしい笑顔を見ることはできない。もう二度と、あの可憐な声はレイトの耳には届かない。
でも、レイトはそれでいいと思った。エレナは幸せになるべきだから。だから、こんな場所に居るべきではないのだ。いつ死ぬのかも分からない苛酷な戦場にも、悪虐と非道の果てに作られた義勇戦隊にも。彼女は、居るべきではない。
どうか。どうか。幸せに。この時、レイトは心の底からそう思った。
「そろそろ時間だ、レイト。ブリーフィング始めてくれ」
いつの間にか隣に来ていたセイが、静かな口調で呟く。
ハッとして現実へと思考を戻すと、高空に佇む薄い雲が、ちらちらと白い雪を舞わせていた。
「ああ……、うん。わかった」
向かう先は、ここから西へ数十キロ先。〈ディヴァース〉本隊の駐屯基地。今まで一部隊として、誰一人として帰還しなかった、戦死率百%の絶死の戦場。
進撃路は北に森が在るだけで、基地の予想地以外はいずれも市街地が連なる。幸いなことに、こちらにはある程度有利な地形だ。
くるりと向き直って、レイトは戦友達と目を合わせる。
……皆、恐怖に駆られたような色はしていなかった。
努めて冷徹な声音を作って、レイトは告げる。
「これより、彼岸花作戦についての説明を始める」
とは言っても、彼岸花作戦の概要は粗雑なもので。その殆どは、エレナが最後に残した指示書からのものだ。
ここから西へと前進し、先の攻勢で撃滅した駐屯基地を通ってその先のヤール川へと到達。川沿いに北へと進み、森に入ったところで川を渡河。そのまま森を数キロほど更に西進し、〈ディヴァース〉基地があると予想される都市──グレイスリーズへと突撃、最短距離で司令部機能を破壊し、速攻を仕掛ける──というもの。
数日かけてレイト達の間でも色々考えはしたものの、結局エレナの考案したものが最適だという結論に落ち着いた。元の帝国軍の指示は唯只管に直進するというもので、考慮の内にすら入れることはなかった。
「──以上が、彼岸花作戦の概要になる。……何か質問は?」
答えは沈黙。セイが無言で頷くのが見えた。
「じゃあ、行こうか」
言うと、戦隊員の双瞳が刹那キラリと瞬く。直後、全員の身体は宙へと浮かび上がった。
……もう、引き返せない。胸中でレイトは呟く。
この一歩を踏み出せば、この一言を声に出せば。絶死の作戦を終えるまで、レイト達はここに帰ってくることはできない。……また、大切な人を喪ってしまうかもしれない。
そう思った途端、レイトの心中には微かな恐怖が渦巻く。
もう、おれは二度と逢えないのか……?
『……レイト?』
通信機越しにセイに囁かれて、レイトは現実へと引き戻される。恐怖を振り払うように頭を振った。
おれがこの戦隊の戦隊長なのだ。しっかりしないと。
気持ちを切り替えて、レイトは努めて硬い声音で通信機へと告げる。
「全員、作戦開始!」
†
ちらちらと白雪が舞う黎明の中を、レイト達は無言で進撃する。
最近、この時間帯は〈ディヴァース〉の行動は確認されていないため、戦闘は一度たりとも発生しなかった。ただただ、しんと降る雪と風の音だけがレイト達の耳を鳴らす。
そのまま秋の星作戦で撃滅した駐屯基地を越え、更に西のヤール川へと到達。対岸の地平には、まだ不活性化したままの〈ディヴァース〉の大群が見えた。
まだ目的地は遠く、ここで足止めを喰らう訳にはいかない。それらを敢えて無視し、レイト達は森へと進路を変える。
入ったところで川を渡って、更に西進。木々の隙間から見えていた疎らな木造の民家は、いつしか区画整理された石造りの市街地へと移り変わっていく。空は相変わらず薄い雪雲に覆われていて、今が何時なのかも見当がつかなかった。
そのまま森の中を低空飛行して、レイト達は森を抜ける予定地点へと到着する。市街地に佇む豆戦車型はまだ動いていなくて、それがまだ昼ではないことをレイト達に伝えていた。
セイ達が森林の中でひと休憩を挟んでいる間、レイトは静かに森林の上空へと駆け上がる。進行方向の市街地──グレイスリーズへと目を向けると、そこには廃墟に積もった薄い白雪と〈ディヴァース〉の純白が一面に広がっていた。
そっと通信機を起動すると、レイトは努めて冷徹な声音を作って告げる。
「作戦は予定通り、敵中枢機の撃破を第一目標とする」
ざっと見積もって、この周辺に居る〈ディヴァース〉の数は約一個師団規模。圧倒的な性能を誇る〈ディヴァース〉相手に、たった四人の人間が正面戦闘を行うのはまず不可能だ。普通にやり合えば、まずレイト達は敗北するだろう。
しかし、だ。〈ディヴァース〉は、指揮官機を失えばその戦闘能力が著しく低下するという大きな欠陥がある。
つまり、指揮官機さえ撃破できれば、レイト達がこの作戦を遂行し、生き残る道も見えてくるのだ。
エレナの残した作戦図のお陰で、ここに至るまでに戦力の減耗は一切起きていない。よって、レイト達は全力をもってしてこの基地の中枢へと強襲できるのだ。司令官機さえ叩ければ、この無謀と思えるような作戦にも勝機はある。
くるりと背後に向き直ると、そこには休憩を終えて上がってきたセイ達が居た。彼らを見据えて、レイトは決然と告げる。
「こっからはとにかく時間との勝負になる。正直、かなり厳しい戦いにはなるとは思うけど……、みんな、頑張ってついてきてくれ」
「ああ。分かってる。……折角ここまで来れたんだ、全力でやろうぜ」
全員の言葉を代弁するかのように、セイは笑った。いつの間にか彼の銃剣には魔力付与がなされており、その刀身は淡い躑躅色に輝いていた。アリスも、ラウも、いつでも出撃できる状態でレイトの指示を待っている。
その、信頼の瞳が。微かに揺れていたレイトの心を奮い立たせた。真紅の瞳に、決然とした炎が灯る。
おれは、絶対にみんなを守る。
左腰からクラレントを引き抜き、魔力付与を付与した刀身が鮮やかな躑躅色に煌めく。体勢を整えながら、レイトは通信機へと告げた。
「突撃開始!」
合図と同時。レイトは赤翼を全開に展開すると、眼前の市街地へと突撃していった。




