紅白十字旗に栄光あれ 3/3
翌朝。イヴは、やはり先に家を出ていた。恐らく、昨夜言っていた通り研究棟へと出向いたのだろう。
元々、彼女の本業はそっちなのだ。今頃、引き継ぎ作業の間に溜まっていた仕事をやっているのだろうなと、エレナは微かに苦笑する。
今朝のラジオ放送は、いつも通り帝国大本営発表から始まり、変わり映えのない戦果報告、帝国陸空軍が云々かんぬんと続いて、最後は勇壮な行進曲が流れて終わる。
今日の放送には奪還の言葉は出なかったな。などと考えながら、エレナはいつも通り家族写真に敬礼を送ってから家を出た。
「随分と早かったな、エレナ」
「ええ……、まぁ」
昨日と同じ、アークニール中将の師団長室。燦々と射し込む朝日の傍らで、エレナは曖昧に笑う。
昨日のあの時点で、既に決意が固まっていたというのは、何となく言い出しづらかった。
「それで、転属はどうするのかね。やはり、辞退か?」
「いえ、やらせて頂きます」
やや食い気味に、エレナは上官の目を見据えて言い切った。
これほどの精鋭部隊なのだ。打診されたのならば、受けないという選択肢はもとより、ない。
最初、アークニールはその精悍な顔に微かな驚きを示した。苦笑を滲ませながら、彼は言葉を継ぐ。
「やりたくないのならば、別に無理はしなくても構わんのだよ? 復帰に焦らずとも、謹慎が空ければ、君には元の第五四戦区の司令官に戻って貰うつもりだからな」
「構いません。やらせてください」
毅然とした態度で、エレナはアークニールの提言を切り捨てる。
義勇戦隊。それは今、この国に最も貢献している部隊だ。実戦も何もない、整備だけの防衛線部隊を指揮管制するのとは違う。帝国を、本来の意味で守ることのできる部隊。
それに。
こんな精鋭部隊を任されるだなんて、軍人としては心嬉しいことこの上ない話だ。それを拒む理由が、いったいどこにあるだろうか。
アークニールの殆ど黒に近い碧眼が、エレナの海色の双眸と絡み合う。不意に、彼の双眸が遠い過去を懐かしむように緩んだ。
「……そうか。君も、レイエンダ家の令嬢という訳だ」
「……はい」
言われて、エレナはふっと頬を綻ばせた。
レイエンダ家。永きに渡り帝国に忠誠を誓い、その剣として代々仕えてきた軍人の家系。今はもう居ない両親も、兄も。みんな。この国に身を捧げて、逝った。それを、エレナは今でも誇りに思っている。
たとえそれが、他の将校達から無駄死にだという嘲弄を言われようとも。
「……では、エレナ・レイエンダ少佐。貴官を、本日付で第五四戦区、第一〇一帝国義勇戦隊司令官に任命する。……頑張りたまえ」
「はい。全身全霊を以て、職務を全うさせて頂きます」
アークニールに聞いたところ、駐屯基地行きの輸送機は明日の昼頃に出るらしい。エレナは少しがっかりした気分で、司令部を後にした。
彼ら異人種達の前哨基地から、その後方に築かれた天青種人の守るヴァーハ線まで。約数キロにも渡る緩衝地帯の間には、幾重にも張り巡らされた地雷原と、自動迎撃の対空機銃が連なっている。
これは、万一に義勇戦隊の異人種達が反乱を起こした際、それらをなるべく低い被害で撃退できるようにと画策して設置されたものだ。
その地雷原のために、前哨基地へは陸路で赴くことが不可能になっている。航空機で赴くにしても、事前に空軍とその他関係局へと連絡をしておかないと、帰りの航空機管制で色々と面倒な事になってしまうのだ。
天青種も、異人種も。人種は違えど、目的は同じ“帝国を守る”ことのはずなのに。帝国の正規軍は、今もなお、義勇戦隊の背後に銃を突き付けている。
それを歯痒く思いつつ、とはいえエレナ一人ではどうにもならない話なのだ。どこか暗い気持ちで、エレナは途方に暮れる。
それに。
今日一日、いったいどうしよう。
「……あ、」
思考を巡らせていると、突如、名案が思いついた。これなら……!
「何が名案よ、バカじゃないの?」
イヴの主導する兵器開発の研究棟へと辿り着いて、事情を説明し終えたエレナに投げられたのはそんな言葉だった。彼女の蒼玉に似た双眸が、呆れたと言わんばかりに細められている。
「だって、ほんとに今日はやることがないのだもの。どうせなら、彼らが使用している銃ぐらいは見ておこうと思って」
広い工廠内を見渡して、エレナは唇を綻ばせる。
帝国陸軍兵器開発工廠、第五研究棟は、イヴを主任として、対〈ディヴァース〉兵器の開発を行う部署の一つだ。
ここでは、主に歩兵に支給される兵器の開発が行われている。当然、ここで開発されたものも義勇戦隊で使用されているし、時々、試作機の試用を義勇戦隊にやらせているのも、エレナは知っているのだ。
至る所に置かれた全金製の銃器は、恐らく、全て次期主力小銃を狙って開発された小銃だろう。
ふと、視線を奥へと向けると、長方形の兵装ポッドらしきものが、緑の光線を銃口から迸らせているのが見えた。
……あ、暴発した。
「……やけに楽しそうね、あんた」
視線を戻すと、そこには左手を腰に当てて苦笑しているイヴの姿があった。つられて、エレナもそこはかとなく笑う。
「そう?」
言葉とは裏腹に、エレナは自分の気持ちが昂っているのを実感していた。どうも、私はこうした場所に来るのが好きみたいだ。
「義勇戦隊で使ってるやつでいいのよね? 少しここで待ってて」
「わ、分かりました」
見て回りたいのは山々だが、流石にそこまで迷惑をかける訳にもいかない。近くにあった椅子に座って、イヴの帰りを大人しく待つことにした。
ややあって、帰ってきたイヴが肩に提げていたのは一丁の小銃だった。
「それは確か……」
「WR51『フェールノート』、その最初期型ね。義勇戦隊に一番支給されてるのはこいつよ。……まぁ、基本動作は陸軍のとそう変わんないわね」
イヴの説明に、エレナは悄然と目を伏せる。
──51。制式化が決定した年の帝歴下二桁だ。現在、帝国陸軍で主に使用されている小銃の型式名は、WR55。一年前に開発されたモデルだ。つまり、義勇戦隊の彼らは、五年前──初めて魔術銃が開発された当時のものを、今もなお支給されて戦わされているのだ。不具合と欠点だらけの、この、最初期型の魔術銃で。
ろくに戦闘も起きない防衛線の正規軍には、昨年冬に制式化された最新型の小銃すらも既に配備が始まっているというのに。まだ、彼らの手元には、五年前の小銃しか届いていないというのか。
沸き立つ怒りとやるせない気持ちを、どうにか心の奥へと押し流す。
「……持ってみても?」
「どうぞ」
エレナの心情などいざ知らず、イヴは快く小銃を手渡してくれる。スリングベルトを、慣れた手つきで肩へとかける。すると、銃器特有のずっしりとした重みが、掛けた右肩にのしかかってきた。
不気味に黒く煌めく細長い銃身に、焦茶色の木製銃床。見た感じは、戦争が始まる前に配備されていた小銃とそう大差ないようにも見える。ただ、唯一。中央部にはめ込まれた青い宝石だけが、異彩を放っていた。
「イヴ、あの、これは……?」
その宝石に目を落としながら、エレナは疑問を呈する。こんなの、最新型にあったっけ?
「ん? ……ああ、それは魔力石よ。周囲の魔力を吸収して、銃弾に魔力付与をするやつ。最新のは内蔵されてるけど、最初期のはとりあえず付けたようなもんだから」
「あ、これ、そういう仕組みなんだ。だから、魔術銃なのね……」
知らなかったな──と、エレナは感嘆の声を漏らす。
自然界に絶えず存在し続けている魔力は、古来より魔術を介して度々使用されてきたエネルギー源だ。
無から風や火を発生させたり、空中移動を可能にしたり。魔力には、様々な使い方がある。そして、その一つが魔力付与だ。
高速で放たれる弾丸に魔力付与がなされると、それには通常の何十倍にも増幅された爆発力と貫徹力が手に入る。
これに目をつけた帝国軍は、今から約五年ほど前、起死回生をかけてフェールノートを制式採用し、量産した。
結果、フェールノートは絶大な効果を発揮し、〈ディヴァース〉の大攻勢を寸のところで粉砕。かくて帝国は、現在の防衛線で踏み留まることに成功したのだ。
それ以降、魔力付与は、帝国軍が〈ディヴァース〉に対抗するうえで必須の技術となっている。
「……試射してみる?」
「え、いいの!?」
ぴょこんと、見えない猫耳を立たせるエレナに、イヴは苦笑する。ほんとに、この子は。
「丁度そこの試射場空いてるし、一発なら撃ってもいいわよ」
「な、なら、お言葉に甘えさせて……!」
きらきらと無邪気に目を輝かせるエレナに、イヴは頬を綻ばせる。
私は、この笑顔が好きだ。年相応に無邪気で、けれど、興味が同年代の子とはちょっと変わっている月白の少女が。
前線に指揮をしに行くのなら、せめて。どうか、無事に帰ってきてほしい。この時、イヴは改めて強く思った。
†
翌日。エレナはラジオも聞かずに身支度を済ませると、早急に家を飛び出した。
幸いにも、天気は快晴。これなら、輸送機の出発が遅れる事もないだろう。
迎えの車で、帝都郊外にある空軍の飛行場へと向かう。ここから、第五四戦区防衛線のグリマルディ基地まで飛んで、一旦着陸。そこで補給用物資を積載してから、第五四戦区の義勇戦隊駐屯基地へと飛び立つ手筈になっている。
飛行場に着くなり、エレナは一直線に搭乗予定の輸送機に向かった。
指令書に書かれた機体番号と相違がないのを確認していると、近くにいた兵から声をかけられた。
「あなたがエレナ・レイエンダ少佐ですか?」
「え? あ、はい。そうです」
突然のことに驚きつつも、エレナは言葉を返す。見やると、そこには、輸送機の操縦手らしき服装をした若い男性が立っていた。
彼は敬礼をして、明朗とした声で言う。
「第五四戦区所属、空軍大尉のノア・チャールストンです。この戦隊の輸送担当は私なんで、これからよろしくお願いします」
「はい。こちらも、よろしくお願いします」
エレナも、敬礼を送り返して答える。これからは、彼にも色々とお世話になるのだろうし。
「正規軍の人を載せるのは久々だなぁ」
微笑を浮かべたノアが、誰に言うでもなく言葉を漏らす。その言葉に、エレナは顔を翳らせた。
「……やはり、任地へ赴かない人は多いのでしょうか?」
「そうですねぇ。最近は飛行場にすら来ない人の方が殆どですね。……まぁ、相手が異人種ですからね、しょうがないのかもしれませんけど」
「…………」
──相手は異人種ですからね。
平然と言われたその言葉に、エレナは更に顔を翳らせる。こんな、善良そうな人にすら、異人種に対する差別意識は根付いてしまっているのか。
義憤と絶望が心の奥底から沸々と湧き上がって来るのを、エレナは感じた。
「ま、少佐も行くんなら、あんまりアイツらに肩入れはしない方がいいですよ」
「え?」
「異人種なんて、どうせすぐに死んじゃいますからね。……だけど、少佐はそうじゃないんですから。背負うものは、軽いに越したことはありません」
「……そうですね」
『じゃ。そろそろ出発しますんで。高度が安定するまでは座ってて下さいね』
機内通信を介してノアが言う。それを聞き流しながら、エレナは取り出した指令書を改めて見つめた。
『真紅』、『荒鷹』、『蜂』、『堅実無比』、『夜鷲』、『警戒兵』。総勢たったの六名からなる、特別編成部隊。第一〇一帝国義勇戦隊。
いったい、彼らはどんな人達なのだろう。エレナは物思いに耽る。
──『真紅』。
その名が、やけに脳裏に響く。紅。赤。紅黒種。戦前から、紫黒種と同じく差別を受けていた人たち。幾度となく帝国と戦争を繰り返してきた、隣国の系譜。
彼らは、私を受け入れてくれるだろうか。彼らを差別し、収容所に押し込み、戦場へと駆り立てた。天青種の人間を。
彼らが最も憎んでいるであろう、蒼月種の私を。
──いやいや。そう弱気になってどうする!
エレナは大きくかぶりを振って、その思考を吹き飛ばす。
もし、最初は受け入れて貰えなくても、努力すればいい。そうすればきっと、彼らに受け入れて貰えるはずだ。
──頑張ろう。全身全霊を以て。
両翼に備え付けられた二基の発動機が、けたたましい轟音を響かせる。機体が徐々に加速していく。後ろに消えていく窓外の景色が、次第にその速度を増していく。
滑走路を飛び立つその時、エレナの身体は不思議な感覚に襲われた。
離陸したのだ。
期待と不安を半々に抱いて。一人の少女は、前線へと向かうのだった。