怒りと叫びの向く方へ 5/6
「……まぁ。それは随分とこの国らしいというか、何というか」
その日の夜、帝都ロンディアルトにある自宅にて。丁度休暇で帰ってきていたイヴに、エレナは今日の事の顛末を話していた。
目の前に置かれたコーヒーのマグカップを両手で持って、エレナは沈鬱な表情でその黒い液面を見つめる。
あの後、帝国軍の戦歴を調べる中で知った。
突出した戦闘能力を持つ義勇戦隊の人々──個人呼出符号の持ち主のその中でも特に突出した戦闘能力の持ち主達は、各戦線において一つの少数精鋭部隊として編成されているということ。
そしてそれらの全てが、激戦地へと何度も投入されて、いずれも一、二度の無謀な攻勢作戦の末に壊滅しているということ。
異人種職付法の改正が行われてからの四年間、このような作戦は毎年幾度となく行われてきていた。北部戦線第九戦区、東部戦線第二七戦区、南部戦線第四〇戦区。そして、現在エレナの指揮する、西部戦線第五四戦区。
同じ義勇戦隊の人々から英雄視され、反乱の旗印となりうる将兵達を抹殺するためだけに行われてきた、伝統とも言うべき作戦。帝国にとって、危険分子となりうる有能な戦闘員を処分する為だけの、無意味な突撃命令。
「こんなの……、絶対におかしいわ。どうにかしてやめさせないと」
ぐ、とエレナは海色の双眸を憤りに細めさせる。
こんな非道が許されていいはずがない。異人種だからと人権を剥奪して差別するだけには飽き足らず、今度は無意味な突撃の果てに死ねと命じるとは。いったい、この国はどれほど罪を重ねていくつもりなのだろうか。エレナは歯噛みする。
そもそも。それ程までに反乱を恐れるのならば、何故こんな大悪法を今の今まで施行し続けているのか。義勇戦隊と共に帝国軍が戦えば──軍が軍としての責務を果たせば、こんな無意味で反感を買うだけの命令を発する必要すらもないというのに。
「そうは言ってもさ、エレナ。どうやって止めさせるわけよ? アークニール中将にも、これはどうにもできないんでしょ?」
「それは……、そうなんだけど」
エレナは苦笑する。現状、エレナにはこの作戦に対して変更を強いる力を持たない。私だけでは、何も変えられない。
けれど。
決然とした表情で、エレナはイヴの蒼玉の双眸を見つめる。ふと、口元から凄絶な笑みが零れ出た。
「帝国軍の今までの所業と実態を、マスメディア各局へとリークするつもりよ。数日もあれば十分な数のリーク情報とその証拠は収集できるしね」
まずしなければならないのは、この無意味な作戦の実施を止めることだ。その為には、帝国軍上層部を別の何かに集中させる必要がある。
そこで考えたのが、帝国軍のの現状暴露だった。現在、帝国軍人はその殆どが己の責務を果たしていない。帝国軍上級将校から、下の下士官将兵に至るまで。彼らは軍人としての責務を放棄し、指揮や補給どころか、装備の点検すらも行っていないところが殆どだ。
以前、エレナが五四戦区司令官に着任した時も、その稼働率と士気の低さに驚愕したことがある。
当時の五四戦区はそれはもうとても酷いもので、兵器の稼働率は五割を下回り、将兵達はろくな訓練すらも行っていなかった。
エレナが尽力した事もあり、第五四戦区はかなりマシにはなったが……。だが、それが今の帝国軍の現状だ。
税金を投入されているにも関わらず、己の責務を放棄し、異人種へと国防の責務を押し付ける。
民衆にこのことを周知させれば、帝国軍は激しい批判を浴びるだろう。そうすれば、己の利権と立場を何よりも重視する帝国軍上層部はこれらの対応に回らざるをえない。その間に上手く取り入ることができれば、この無意味で無謀な作戦を少しは変えられるはずだ。
帝国の国是たる自由と博愛は、既に喪われているのかもしれないけれど。
けれど。エレナは、この国の国民はそれほどまでに悪辣でないことを信じたかった。せめて、正義たらんとする心はあるはずだ、と。
イヴは肩を竦めて薄くわらう。
「意味無いっていうか、そもそも取り合っても貰えないでしょ。そんなの」
「……どうしてそう思うの?」
予想外の反応に、エレナは目をまばたかせる。イヴは諦観を含んだ声音で続けた。
「この四年間で、あんた以外の人が『この作戦はおかしい』って思う人が居なかったと思うわけ?」
「それは、」
エレナは言葉に詰まる。確かに、イヴの言う通りそれについてはエレナも疑問に思っていたことだ。
何故、今までこの事に対する報道が一切なされなかったのか。エレナ以外にも、この作戦に対して疑問を呈する軍人は居たはずだ。同様に、マスメディア各局に訴えようとした人々も。
イヴは嗤った。底冷えするような冷たい青色の瞳に、エレナは少し狼狽える。
「居ないわよ。異人種のことを気にする人なんか、この国には」
「……なんで、」
そんなことが断言できるの。疑問の言葉は、イヴの冷めた諦観の言葉に遮られる。
「七年前はどうだったかは知らないけどね。今の帝国人には、異人種のことを気にかける人なんて誰一人居ないのよ。メディアに掛け合ったところで、異人種絡みの話は受けないからって全部突っぱねられるわ」
「…………」
彼女の母が紅黒種だったことは知っている。妹が、イヴとは違い赤眼だったことも。
だから。エレナは咄嗟に言葉が出なかった。余りにも説得力があり過ぎるのだ。父が七年前に死に、二人の唯一残った肉親も四年前に突如奪われた、少女の言葉は。
蒼玉の瞳に懇願を湛えて、イヴはエレナの瞳をじっと見つめてくる。
「……ねぇ。もういいじゃない。貴女は十分に頑張ったわ。だから、もうこれ以上頑張らなくても良いのよ。戦区司令官に戻って来なよ」
だが、しかし。エレナは首を横に振った。
「義勇戦隊は辞めないわ。戦区司令官にも戻らない」
「……どうして?」
イヴは顔を伏せたまま、感情の読めない声音で訊ねてくる。返す言葉に困っていると、彼女は微かに笑いながら呟いた。
「……部下の女の子を、死なせちゃったから?」
「……!? どうしてそれを……!?」
エレナは驚愕に目を見開く。何故、それをイヴが知っているんだ。
イヴは自嘲のような笑みを浮かべた。
「全部知ってるわよ? 名前はシャノン・リース。天青種と紅黒種の混血で、銀髪と赤い瞳の、今年十四歳だった女の子。面倒見が良くて、けれど不思議と愛嬌のある可愛い子」
「な、なんでそこまでイヴが」
「そりゃあ知ってるわよ。シャノンは私の妹なんだから」
「──!?」
瞬間。がた、と椅子を蹴って立ち上がった。イヴの胸倉を掴んで、湧き上がる激情のままにエレナは叫ぶ。
「なら、何で何もしてくれなかったのよ!?」
何故、あの時イヴは何もしてくれなかったのか。何故、妹をそのまま見殺しにしたのか。怒りのままに、エレナは彼女の瞳を睨みつける。
対するイヴは自嘲に顔を歪めながら言い募った。
「だって、したところで意味なんかないじゃない。あの時助けたところで、あの子の未来は何も変わらない。苛酷な戦場に毎日駆り出されて、最終的に無謀な攻勢作戦の末に死ぬ。シャノンを更に苦しめるだけじゃないのよ」
「だったら、なんで……!」
なんで、鎮痛剤や睡眠剤すらも支給してくれなかったのだ!? エレナは烈火の如くイヴの瞳を睨みつける。
「あの子が……、シャノンがどれだけ苦しんで死んでいったのか……! イヴには分からないの!?」
結局、シャノンは死んだ。開いた傷は完治することは無く、微かに動くだけでも激痛は走ったはずだ。その為に、彼女は満足に寝る事すらもできなかった。毎日毎日地獄のような痛みに耐えて、満足な睡眠もろくに取れずに、衰弱していって死んだ。
国中各地を飛び回って医者を探している間、シャノンには何一つしてやれなかった。してやれる力がエレナにはなかった。けれど。イヴには、あったはずなのに。
「それはエレナも同じでしょう!」
「っ……!?」
叫ぶと、イヴは逆にこちらの瞳を睨みつけてくる。色々な感情が混ざり過ぎていて、最早その感情は何も分からなかった。
「あんたも私達と同じ! 結局、何もできないのよ! あんたの兄と同じで! 何もできないの!」
「は……?」
エレナは呆気にとられる。兄が? 何もできなかった?
そんなはずがない。兄は最後まで義勇戦隊を指揮して、その最中に戦死したのだ。
「イヴ、貴女何を言って──」
「いい加減現実を見なさいよ!」
狼狽えるエレナに、イヴは責め立てるように吠える。
「あんたの兄は──ロエナ・レイエンダは、部下の死に耐え切れなくなって自殺したのよ! あんたの家で! あんたの目の前で!」
「ち、違う! そんな、そんなはずが……!」
幼い子供のように頭を振って、エレナは目を瞑る。違う。そんなはずがない。兄さんは自殺してなんか。
だが、そんなエレナの叫びも虚しく、瞼の裏には、心の奥底に閉じ込めていた記憶が鮮明に映し出されていた。
三年前。まだ、私が両親の遺した帝都の宅邸に住んでいた時の記憶だ。その日の天気は快晴で、一面群青色の眩しい昼のことだった。
その日の士官学校はテスト返却の日で授業は午前中までで。学年一位を取った私は、とても自信満々な気持ちで帰路に着いていた。
これをロエナ兄さんに見せたら何て言ってくれるだろう。ありとあらゆる想像をするだけでとても楽しくて。私は顔を綻ばせながら、白い漆喰壁の家──自宅の門を潜り抜けた。
家の扉を開き、そのまま正面の階段を昇って二階へと駆け足で上がる。奥から二番目の部屋が、兄さんの部屋だ。
「ねぇねぇロエナ兄さん! あのね、私ね──!」
そこまで言って、エレナの声は止まる。
「にい…………さ、ん…………?」
エレナの目の前には、梁にロープを縛って首を吊っている兄が居た。足元には倒れた椅子があり、兄の身体の下には液体が滴っていた。
そう。これが本当の記憶。三年前、エレナは兄を戦死によって亡くしたのではなく、自殺で亡くしたのだ。第一発見者はエレナで、最後に生前の兄を見たものエレナだった。
「あ……、あ…………!」
瞳孔までも見開いて、エレナは堪らなくなってその場にしゃがみ込む。上手く息が吸えなくて苦しい。恐慌状態に陥るのとは別に、もう一人の自分はどこか冷静だった。
……全部。全部、思い出した。
余りのショックに、エレナはその前後の記憶を無意識のうちに心の奥底へと閉じ込めていて。別の記憶を捏造することで、自分の心を守っていたのだ。
兄さんは、義勇戦隊を指揮した果てに誇り高く死んだのではなかった。その責任の重圧に耐え切れず、押し潰された末に自殺した。
なら。私が目指していたものは、いったい。
一転して嗚咽のような声を漏らしながら、イヴは懇願の言葉を紡ぐ。
「……頼むから、もう義勇戦隊なんて辞めてよ。エレナまで私の前から居なくならないでよ」
「…………」
父も、母も、妹も。今のイヴに肉親は居ない。皆死んでしまったから。
今の彼女にあるのは、唯一私だけなのだ。そして。それは私にとっても同じことで。目指していた兄も、結局居なかった。エレナの弱い心が創り上げた虚構で、存在しないものだった。
なら。私は、なんの為に──?
堕ちていく心の中で見えたのは、一つの赤い色だった。
燃えるような真紅の双眸に、漆黒の黒髪。少女のような白皙の顔を悲痛にくしゃりと歪める、エレナと同年齢の少年の姿。
今にも壊れそうで、崩れそうで。それなのに仲間を守ろうと必死で戦って。心をすり減らして。
……レイトを、放ってはおけない。
ぐ、と両拳を握り締めた。確固たる決意と共に、エレナは立ち上がる。涙で霞む目を拭って、イヴの瞳をキッと見据えた。
「……義勇戦隊は辞めない。私には、まだ、やるべきことがあるから」
彼を──レイトを、私は助けてあげなければ。
……違う。助けたい、だ。私は、エレナはレイトを助けたい。だから、まだ。義勇戦隊を辞める訳にはいかない。
例えこの作戦で戦隊が壊滅しようとも、今後のキャリアに傷が付くことになろうとも。
私は逃げない。それが彼らに死ねと命じる、苛辣で無慈悲な突撃命令であっても。
彼らの最後の一人が斃れるまで、しっかりと目に焼き付けよう。
それが私の──第一〇一帝国義勇戦隊司令官たるエレナ・レイエンダ少佐の責務だ。
イヴは悲嘆と絶望の灯った蒼い瞳を、エレナへと向ける。
「…………そう。なら、二度と私の前に現れないで」




