紅白十字旗に栄光あれ 2/3
七年前。帝歴二四九年、正歴一九三八年。九月一日。
世界各国は、突如、謎の大規模機甲部隊〈ディヴァース〉の侵攻に晒された。
それらの出自や、侵攻の動機、目的などは未だに一切が不明。ただ、事実として。彼らが占領した地域では、人類に対する徹底的な無差別虐殺が行われてるのが確認された。
この事実を、世界各国は重く受け止め、〈ディヴァース〉を人類共通の敵だと認定。人種や政治体制、更には各国間の対立の垣根を越えた軍事同盟の“世界同盟”を締結し、人類は総力をもってこれらに対抗しようとした。
しかし、当時の人類側の兵器は、その殆どが彼らに通用しなかった。〈ディヴァース〉の圧倒的火力と物量の優勢に対し、人類は為す術がなく、大敗。かくて、世界同盟はたった一ヶ月で崩壊した。
結果、帝国は〈ディヴァース〉に国全体を包囲され、帝国軍はたった一ヶ月で戦力の半数を喪失。残存兵力による絶望的な遅滞戦闘が、戦線各所で行われることとなった。
その間、帝国議会では、いくつかの法案が議会を通過し、施行されることが決定された。
一つは、現在の防衛戦線──ヴァーハ線までの全帝国国民の避難。
そして、もう一つが。異人種職務斡旋特別措置法。通称、異種職付法。
天青種以外の人種を異人種と区別し、彼らに職を与え、最低限の衣食住を保障するという法律である。
一見、異人種の優遇に見えるこの法律は、議会内でも大きな論争の的となった。しかし、時の首相はこの法案を強行採決。他の戦時特別措置法と共に、施行が強行された。
当初、帝国内でも少数派である異人種の人々は、この法案に歓喜した。当然、天青種の人々は、内閣と議会を猛烈に非難した。
だが、その構図は、法律の施行と同時に全くの逆となる。
法律の施行が開始されて間もなく、異人種の人々は、それぞれ決められた職務の寮──という名の収容所へと送られた。富裕層も貧困層も、老人も子供も、果ては職の有無すらも、全て、何もかもが関係なく。
もちろん、この措置に反対する人もいた。しかし、殆どの異人種達はこの措置を好意的にとっていた。
というのも、当時の帝国ではあらゆる物資が不足していたのだ。最低限とはいえ、三食の食事と水、そして居住地と衣服が与えられるというのは魅力的なものだった。特に、防衛線の外から避難してきた人々にとっては、なおさら。
女子供は兵器工廠での勤労動員を、男性は軍に徴用されて、正規軍の支援に充てられていた。まだ、この時期は。概ねの異人種の人々は、帝国のとった政策に満足していた。
そんな時だった。
『背後の一突き論』という噂が流布され始めたのは。これは、異人種達は〈ディヴァース〉の仲間であり、帝国は彼らのせいで敗退したのだというものだ。
勿論、そんなものは証拠の一つすらもないデマに過ぎない。
だが、戦時下の鬱屈とした空気の中では、民衆は不満の捌け口を求めるものだ。
結果、帝国の絶対多数である天青種の間では、この背後の一突き論は瞬く間に広まった。と同時に、過去の優生思想に回帰する者も現れた。
天青種は世界で最も優秀な人種なのだから、私達が〈ディヴァース〉などに負けるはずがない。私達が敗退したのは、劣等人種である異人種共のせいだ──などと、いう。
そして、開戦から三年後。今から四年前に。
天青種によって、異種職付法は改正がなされた。
この改正により、全ての異人種は義勇軍になることが強制された。男は勿論、女性も老人も。果ては小さな子供でさえも。全て。
全員が、正規軍のその更に前線の戦地へと送られることになった。
そして、その異人種達の軍は、帝国軍とはみなされなかった。指揮する者は、間違いなく帝国軍の士官だというのにだ。
異人種で組織された軍は、帝国軍ではない、と。
帝国国民特別義勇軍。それが、彼ら異人種の全員が所属する部隊の名称だ。自発的に〈ディヴァース〉との戦闘を行う組織。勝手に戦っているだけなのだから、帝国軍の損害にはならないと。
異人種。世界で最も先進的で人道的な国で、差別を受け続ける人々の総称。
今、この時、この瞬間にも。数字にならない多くの異人種が、苛酷な最前線で死に続けている。
†
その日の夜。エレナは手渡された転属指令書を家に持ち帰り、イヴに転属命令のことを相談……という名の報告をしていた。
「第五四戦区における義勇戦隊新設について……ねぇ」
その文書を読んで、イヴはなんとも言えない表情で言葉を漏らす。
第五四戦区。帝国北西部にあたる、丁度エレナ達が指揮の担当をしていた戦区だ。この指令書で知った話だが、先日、この戦区の義勇戦隊が、敵攻撃部隊の迎撃で壊滅したらしい。それに伴い、新たな義勇戦隊が同じ場所に新設されることになったのだ。
「エレナ、あんたホントにこれを受けるつもりなの?」
「ええ、受けるつもりよ。本当の意味でこの国を守ってるのは、彼ら義勇戦隊の方じゃない」
二人分のコーヒーを手に持って、エレナはイヴの居るリビングの方へと歩み寄る。
実のところ、帝国軍が四方に敷く防衛線では戦闘は殆ど起こらない。防衛線の前方には、それを囲むようにして義勇戦隊が配置されているからだ。〈ディヴァース〉の侵攻は、彼らの血肉を以て防がれ、防衛線にまで到達しえない。
自分用のカップに口をつけながら、もう片方のカップをイヴに差し出した。……牛乳と砂糖を入れすぎて、もはやそれをコーヒーと呼称してもいいのかは分からないが。
「ありがと。……でも、よりにもよってこの戦隊じゃなくても。他じゃだめなの?」
対面に座ったエレナは、彼女の言葉を聞いて心外そうな表情を形作る。だが、それはすぐに少し誇らしげな表情に移り変わった。
「寧ろ、この戦隊だから受けようと思ったのよ。『真紅』、『荒鷹』、『蜂』……。他の戦隊員達もみんな、西部戦線だと一度は聞いたことのある個人呼出符号の持ち主よ? そんな精鋭部隊を指揮できるだなんて、光栄じゃない」
「そ、それはそうかもしんないけどさぁ……」
なおも釈然としない様子のイヴに、エレナは流石に戸惑いを隠せない。
「いったい、イヴは何をそんなに心配してるの?」
「なに? ……って。エレナ、あんた、『真紅』の噂は知らないわけ?」
「噂? なにそれ?」
きょとんとした顔でエレナが目を瞬かせるのを見て、イヴは露骨に大きなため息をついた。呆れを言葉の端々に滲ませながら、イヴは答える。
「とにかく扱いが難しいってことで有名よ。昔、そいつを指揮管制してたヤツがボヤいてたわ。……戦闘センスは凄いらしいけどね」
「なんだ、そんなこと」
「……どんなことだと思ってたのよ」
書類を机の端へと置き直して、イヴは目を細めて口を尖らせる。
「え? うーん、そうね……。……指揮した人達がみんな死んでる──とか?」
「なによ、それ」
イヴは苦笑する。つられて、エレナも自然と微笑みを漏らした。
「でも、それで一つ思い出したわ」
頭上にはてなを浮かべて首を傾げるエレナに、イヴは真剣な眼差しで向き直ってきて、言った。
「『真紅』が所属してきた戦隊、どれもそいつを残して全滅してるそうよ」
「……それは、今までの指揮官がろくに指揮を執らなかったからでしょう?」
ふと、脳裏に今朝みた大佐の青年の姿が甦る。軽薄そのもので、他人を愚弄する笑みを浮かべた、上級大将を父に持つ男の顔が。
将校の全員が彼のような人達という訳ではないが、帝国軍の将校達は殆どがあんな感じだ。
自分が任された部隊の指揮もろくに執らず、その地位を利用してただ快楽と利権のみを希求する。
戦争初期で多くの将校を失った帝国軍には、彼のように親の故縁で高級将校に成り上がった者が少なくない。そして、彼らはそれ故に、何の責任感も、義務感もないのだ。
同じ天青種人の部隊を指揮する者達ですらそうなのだ。義勇戦隊──差別すべき異人種を指揮管制する将校に至っては、もはや任地にすら赴かない者ばかり。そして、それを。帝国軍は──民衆は、批判もしない。彼らが、この国に最も貢献しているというのに。
「まぁ、それはそうなんだろうけどね。でも、所属した部隊が次から次へと全滅してるのは少し不気味じゃない? ……死神みたいでさ」
死神。イヴが何気なく放った言葉に、エレナはどうしようもない嫌悪の感情を抱いた。それだけその人が生きようと必死で、強いだけなのに。それを、死を呼ぶ──死神だなんて。
「そういう冗談はやめて。あまり気持ちのいいものではないわ」
「あー、はいはい。分かったわよ」
果たして、イヴは聞き飽きたとばかりにぞんざいに手を振る。
「そういうところは、親に似たよね、エレナは」
一瞬、両者の間に気まずい沈黙が落ちる。耐えかねたのか、おもむろにイヴが席を立った。
「じゃ、私はそろそろ寝るわね。……明日も研究棟の方へ行かなくちゃならないし」
「え、ええ」
ぎこちなく返すエレナに、イヴはふっと笑みを投げかけてきた。
「おやすみ。エレナ」
「……おやすみなさい、イヴ」
自室に消えていくイヴを見送って。台所で二人分のカップを洗ってから、エレナも自室のベッドへと向かった。