秋雨の下で 4/5
夜が明けた次の日も、第一〇一帝国義勇戦隊には死傷者は居なくて。戦闘が終わったあとは、各員すぐにシャワーを浴びて、夕食をとったあとは、翌日の作戦に備えるべく直ぐに自室のベッドへと潜って行った。
前日準備をレイトと一緒にやり終えて、エレナはふぅと一息をつく。彼が新たな長剣を携えているのに気づいて、エレナは目をまばたかせた。
「レインズ中尉、その剣は?」
聞くと、レイトは微かに頬を緩めてああと声を漏らす。
「少佐が帰って来た日の朝に届いた試作兵器ですよ。確か、名前は──“クラレント”だったかな?」
“クラレント”。確か、アーサー王伝説において儀式用の剣として登場する宝剣だ。最期の裏切りに至るまで戦に使用されなかった経緯から、それは“平和の剣”とも呼称される。
恐らく、特殊兵装の開発を担う第八研究棟の試作兵器なのだろうが……。
最前線で戦い続ける義勇戦隊の隊員に、平和の剣、か。随分とまた悪趣味な名称を付けたものだなと、エレナは苦笑する。
「使い心地はどうですか?」
「凄い良いですよ。魔力付与に対して最適化されたお陰で切れ味が良くなってますし、刃渡りも長くなった分一撃の威力が格段に上がってます」
にこにことして性能の良さを語る辺り、余程使い心地は良いらしい。レイトが鞘から少し剣を引き抜くと、そこにはきらりと煌めく白銀の色が見えた。
まだ使用して日が浅いためか、その刃には傷一つ見えない。まさに、クラレントの宝剣の名を持つに相応しい光輝だった。
にやりと自信ありげに笑って、レイトは言う。
「これなら、もしかしたらフェールノートも要らないかもしれませんね」
†
払暁。エレナ・レイエンダ少佐率いる三個義勇戦隊は、豪雨の中で作戦開始を待ち構えていた。
晴天ならば薄明の頃だというのに、空は未だ微かに皓く見える薄墨の色だ。
深く息を吸って、吐く。キッと、エレナは地平線の彼方を見据えた。目指すは西北西約十キロ先、旧ヨーレス地区に置かれた〈ディヴァース〉の前哨基地。
通信機を三部隊の全将兵へと繋いで、エレナは決然と告げる。
「現時刻をもって秋の星作戦を発令。全軍、進撃開始!」
『全軍、進撃開始!』
エレナの通告を合図に、レイト率いる第一〇一戦隊もまた、黎明の雨天の中を前進していた。
未だ空は暗く、雨霧の中に〈ディヴァース〉の姿は一輛たりとも見つけられない。
それは他の二部隊も同様なようで、通信機からは何らの報告も聞こえくる様子はない。耳に入ってくるのは、ざあざあと降りしきる雨音と雨合羽が受け止める雨粒の音だけ。
最初に静謐を破ったのは、セイのどこか飄々とした声だった。
『まぁ、ここら辺は出撃前にもレーダーに反応はなかったから当然っちゃ当然なんだが。ほんとに何も居ないんだな』
「それだけレーダーは正確だってことだし、良いんじゃないの? それに、戦闘は少ないに越したことはないよ」
何しろこちら側はあらゆる方面において戦力が圧倒的に不足しているのだ。会敵が多ければ多いほど、レイト達には不利な情勢になる。
流石にセイもそれは分かっているようで、苦い笑みが通信機越しにも伝わってきた。
『こちら司令部。第一〇一戦隊、聞こえていますか?』
聞こえてきたのは、エレナの凛とした指令の声だ。
足を止めて、レイトは通信機へと応答の言葉を返す。
「はい。聞こえてます」
『了解しました。では、第一〇一戦隊は現地点にて前進を停止。別命があるまで現地点で待機してください』
どうやら、レイト達は既に五キロメートル地点にまで到達していたらしい。
余りに呆気ない第一フェイズの終わりに、レイトは少し拍子抜けする。
それはともかくとして。周囲への警戒を少し解きつつ、言葉を返した。
「了解しました。──てことだから、おれ達は一旦ここで待機だ。各員、即応体勢を維持しつつ着陸」
『──了解しました』
レイトの応答の言葉を聞いてから、エレナは第一〇一戦隊との通信を切る。続けて、第九九戦隊と第一〇六戦隊に通信を繋ぎ直した。
『…………』
『…………』
各員、共に無言。つまり、報告すべき事はないということだ。
ちらりと、手元の懐中時計に目を落とす。経過時間と進撃速度からして、もうそろそろ〈ディヴァース〉の前哨基地からは二キロ圏内になるだろうか。
敵戦力警戒を厳にせよとの警告を発しようとした、その時。
突如、エレナの耳を劈くような爆声が鳴り響いた。
聴覚が遠のいたのも束の間、直後に繋げていた二部隊から緊迫の通信が入る。
『こちら第九九戦隊、嵐! 砲兵型からの砲撃を確認した! これより、戦闘態勢に移行する!』
『第一〇六戦隊、剣戦姫。こちらでも同様の攻撃を確認しました。これより、戦闘態勢に移ります』
ついに、来たか。
豪雨の中、エレナはキッと深い海色の双眸を細めて次の指令を下す。
「了解。各部隊は戦闘を継続しつつ、そのまま更に一キロほど前進してください。二人が不可能だと判断したならば、その場での撤退も許可します。あくまでも、貴方達の目標は敵戦力の拘束と誘引です。無用な戦闘はなるべく回避してください」
『っ……! 了解!』
『了解です』
「……、頼みます…………!」
健闘を祈る、とは言わなかった。彼らは望んでこの無謀な戦闘をしている訳ではない。
だから、エレナにその言葉を言う資格はないのだ。
第九九戦隊と第一〇六戦隊が先に〈ディヴァース〉前哨基地へと突撃し、命懸けで戦力の分散と誘引を行っている最中。レイト達第一〇一戦隊の戦隊員達は、待機命令を受けてヨーレス地区郊外にある廃墟で待機していた。
放棄された住宅街の一角、十字路の端にある民家で、一同は次の命令を待つ。
割れた窓から見える暗い鈍色の空を見やって、レイトはぽつりと呟いた。
「雨、止まないね」
作戦開始から既に数時間は経過しているはずなのだが。雨は止む気配も、それどころか弱まる気配すらも一向に見せない。ざあざあと、雨粒が大きな音を立てて地面へと打ちつけられていた。
「この調子だと、今日は一日中ずっと雨なんじゃないの?」
「えー! もうこんなにびちゃびちゃなのにー!?」
アリスがげんなりした様子で呻くのを、レイトは壁にもたれながら肩を竦めて苦笑する。
いくら雨合羽があるとはいえ、雨は雨だ。どうしても服の中に水は入ってくる。
とはいえ、ここに配属になるまでは雨合羽などはなかった訳で。(雨天の日にそのまま出撃してずぶ濡れになっていたのを、エレナは驚愕していた)いったい、今までどうしてたんだろうかとレイトは思う。
「すみません、お待たせしました」
がたと扉が開く音がしたと同時に、凛とした少女の声が湿った空気越しに聞こえてきた。
目線を向けると、そこに居たのは雨合羽を着たエレナだ。例に漏れず、彼女もまた白皙の顔と月白の髪は水浸しだった。
フードを脱いではぁと息をつく彼女に、レイトは腕を組みながら訊ねる。
「作戦の進捗はどうです?」
「今のところは極めて順調と言って良いと思います。あと、数十分もすれば誘引箇所へと二部隊は到達するかと」
「了解。じゃあ、俺達もそろそろ動く頃合いか」
傍らに置いていたフェールノートを手に取って、セイがエレナの方へと視線を向ける。
エレナはこくりと頷いた。
「はい。そうなるかと。……では、強襲を開始する前に、もう一度作戦内容を確認をしておきたいのですが、」
「言わなくても覚えてるよ」
彼女の言葉を遮って、レイトは苦笑する。
「おれがいつもと同じように突撃してって、その援護にシャノン。そんで、側面の防御をセイとラウ、アリスが担当する……でしょ?」
「ええ、そうですね。……ただ、一点、変更がありまして」
微かに、エレナは申し訳なさそうに目を伏せる。ちらりとラウの方を見やって、彼女は告げた。
「ヴィルシェーン少尉を私の護衛に付することにしました。……その、急な変更で、本当にごめんなさい」
頭を下げる上官の姿を見て、ラウは目をまばたかせる。
「……俺は別にいいけどさ。なんでまた、こんな急に?」
ぎゅと、右手を胸元で握り締めて、エレナは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「……お恥ずかしいことなのですが。正直、ここまでの豪雨になるとは予想していなかったんです。現在の視界状況では、当初の予定場所では貴方達に対して指揮を執るのが難しくて」
「あー、そういうことか」
ラウは納得の声を上げる。確かに、西部戦線でこれ程の豪雨になるのは珍しい光景だ。
「直前に戦力を割くようなことをしてしまって、本当にすみません」
再び頭を下げるエレナに、レイトは苦笑する。
「そんなに謝る必要ありませんよ。こんな雨、中々ありませんから」
「ですが……、」
言いかけて、エレナの口が止まった。深い海色に鋭い光を灯して、彼女は通信機へと言葉を紡ぐ。
「…………了解しました。では、貴方達はそこで誘引した戦力の拘束を宜しくお願いします」
傍ら、レイトは集結する戦友の姿を見回す。彼らの瞳には、無言の了解があった。
エレナは再びこちらへと目を向けて、決然と告げる。
「これより、第一〇一戦隊は前進を開始。敵前哨基地への強襲作戦を開始します!」




