秋雨の下で 3/5
二週間ほどが経過して、ようやく作戦内容が固まったのは、戦闘の終わった暗い曇天の夜のことだった。
夕食も終わり、各自で自由時間を楽しもうとしていた時間帯に、エレナは食堂へと全員を招集する。
戦区司令官時代にやっと整理を終わらせた第五四戦区の書類保管庫から持ち出してきた地図と、昨夜ようやく完成した作戦資料を持ち寄って、エレナは足早に食堂へと向かう。
入って早々、レイトの真紅の双眸がこちらへと向けられる。呆れとうんざりが等分に入り交じった声が飛んできた。
「やっと作戦内容決まったんですか。遅かったですね」
相変わらずの態度に、エレナは微かに苦笑する。
「すみません。作戦準備に少し手間取ってしまいまして」
机上に地図を広げ、全員に作戦資料を配り終えたところで、エレナは通信機を起動した。他の二部隊の隊員に対しても、作戦説明はする必要があるからだ。一度顔を合わせておきたかったが、流石に出向く時間はない。なので、せめてこれぐらいはとイヴに頼んでやって貰ったのだ。
短く息を吸って、吐く。心を落ち着かせてから、エレナは毅然とした態度で声を発した。
「……では、これより〈ディヴァース〉前哨基地破壊作戦──秋の星作戦の作戦概要を説明します」
秋の星作戦の作戦概要はこうだ。
作戦開始時刻は明後日の払暁。三個戦隊は各自速度を合わせて前進を開始する。以後、敵基地より五キロ地点にて第一〇一戦隊は前進を一時停止。第九九および第一〇六戦隊は、左右から前進を継続する。
基地内に存在する敵部隊を十分に引き付けてからこの二部隊は転針し、指定された経路で撤退を開始。敵基地から戦力を分散させる。
頃合いを見て第一〇一部隊が進撃を開始し、敵前哨基地を強襲。彼らの戦力をもってして当基地の残存戦力を撃滅、壊滅させる──というものだ。
エレナのことだから、作戦は色々考えているのだとは思っていたが。日々の戦闘データから推測される敵部隊数の予測や、車種の特定。立地状況から鑑みた巧みな撤退経路に被害を最低限に抑える作戦内容。
正直、ここまで緻密に考えているとは思わなくて、レイトは素直に感嘆の息をもらす。
「……なお、作戦当日は生憎雨天の予報なので、全戦闘員にはレインコートを支給します」
「待って少佐」
「ん? なんですか?」
いつも通りの顔で視線を向けてくるエレナに、レイトは少し嫌な予感を覚える。半眼になりながら、訊ねた。
「……それ、どっから持ってきたの」
帝国軍は義勇戦隊に対し一切の支援を行わない。彼らが支給するのはフェールノートとその弾薬、そして最低限の食事と野戦服だけだ。
つまり、雨合羽などは支給されるはずがないのだ。帝国軍人のエレナだけならばまだしも、三個戦隊全員用の雨合羽など。
妙な沈黙ののち、エレナは清々しいほどの笑顔で言い切った。
「借りました。第五四戦区の司令官から」
作戦説明も終わり、戦隊員達が自室へと戻って寝静まった頃。レイトは部屋を抜け出して、一人屋上の手すりへともたれかかっていた。
空には辺り一面に薄い雲がかかっており、星空はおろか月すらも見ることは叶わない。
文字通りの真っ暗な闇夜の中で、レイトは空を見上げて物思いに耽る。
今の生活は本当に楽しい。少なくとも、義勇戦隊に入ってからは一番楽しくて心が安心できる場所だ。
戦隊員の皆はとても優秀で、この半年間、初日に死んでしまったウォーレンを除くと一人も戦死者は出ていない。それだけでも、レイトは嬉しい。人の死は慣れたつもりだけれど、やはり、心は痛むから。
それに。この戦隊に配属になってからは、前よりもより人間らしい生活を送れるようになった。
ここに配属される前までは、毎日戦闘で疲れて夜は寝るだけの生活だった。戦闘でも毎回のように戦死者が出て、けれど悼む時間も、余裕もなくて。その上、レイトは紅黒種だから、時折虐めや嫌がらせなんかも受けていて。
正直言うと、もう色々と限界だった。
けれど。
今の部隊ではそんなことは一切なくて。皆良い人で、赤紅種のレイトや、天青種の血を持つシャノンを受け入れてくれた。果ては、司令官のエレナですらも、彼らは全く嫌な顔をせずに受けれたのだ。彼らには感謝してもし切れない。
だから、おれは絶対に彼らを死なせない。この命に替えてでも、おれは皆を守る。
決意も新たに、レイトはキッと目を細める。
甦ってくるのは、妹の死んだ時の記憶だ。
三年前の丁度この時期。季節外れの猛吹雪の日だった。
その日もレイト達は出撃で、目の霞む純白の中で戦闘は行われた。視界不良のために、レイト達は一機の豆戦車型を取り逃し、その一機は司令官の下へと飛んで行った。
唯一、妹のユーナだけがその事態に気づき、咄嗟に叫んで司令官の青年の方へと駆け寄った。
が、遅かった。彼女が気づいた頃には、豆戦車型はもう既にブレード翼を展開していて。呆気にとられる司令官には避ける術がなかった。
それをユーナが寸のところで突き飛ばして、司令官の青年は無傷で済んで。けれど、妹は腹部に直撃を受けてしまって、身体を真っ二つにされた。
今でも鮮明に覚えている。身体を両断され、純白の雪原へと堕ちていく時の妹の顔を。
酷い顔だった。もうすぐ死に逝く、けれども即死ではなかったから、苦痛と絶望と、死の恐怖に駆られた、凄惨な顔だった。
四年前、レイトは彼女に約束したはずだった。
おれがユーナを守ると。絶対に死なせないと。
結果。ユーナは死んだ。たった九年で、その生涯を終えた。彼女の記憶には、既に強制収容所へと送られた後の記憶しか残っていない。
最低限の食事と衣服と、苛酷な勤労動員と。差別と、悪意と。
何も、幸せなんてなかった人生だった。ただ、ひたすらに辛くて苦しくて。その上、最後は誰にも看取られることなく、一人孤独に、寒くて凍える中で死んでいった。
奥歯を噛み締めて、ぎゅと首に提げていた懐中時計を握り締める。
妹が死んだ後、唯一残った遺品がこれだ。五年前に、レイトが彼女の誕生日に贈ったもの。既に壊れてしまっているのか、時計の針はぴくりとも動かない。
妹のような悲劇は、もう絶対に起こさせない。たとえ、それがレイト達を──ユーナをただ苦痛だけの人生たらしめた、天青種であっても。
ふと、扉の開く音がして、レイトは現実へと引き戻される。
闇の中から懐中電灯とトレーを持って出てきたのはエレナだった。
彼女は歩み寄ってきて、トレーから片方のマグカップを差し出してくる。
「冷えるでしょう? コーヒー、よかったら」
「……ありがとうございます」
有難く受け取って、レイトはコーヒーを啜る。暖かい。が、少し苦かった。
そんな様子を見てとったエレナは、静かに微笑を漏らす。
「苦かったですか?」
「……ええ、まあ」
「一応、砂糖とミルクは入れたのですが……。少し足りませんでしたかね?」
首を傾げるエレナに、レイトはふ、と頬を緩める。
「少佐は苦くないんです?」
「私は別に。なんなら、ずっとブラックですし」
「……これより苦いのを、ですか」
信じられないといった様子で、レイトは呟く。
「それと。今は一応勤務時間外なので、敬語は構いませんよ」
「……分かりました」
エレナ、で良いですよ。という言葉は、エレナは心の奥に留めておいた。どれだけ親交を深めようが、エレナは天青種の、それも主犯格の蒼月種だ。異人種を現状へと追いやった者の一人に、そのような関係を期待する資格はない。
それきり会話は途切れて、二人の間には妙に心地の良い無言の時間が訪れる。
耳に届くのは羽虫の大合唱と、時折マグカップを置く時にきんと鳴る金属音だけ。
どれくらい経ったのだろうか、不意に、エレナが口を開いた。
「……中尉は、なぜあんなにもリース准尉のことを気にかけてるんですか?」
唐突な質問に目をまばたかせると、エレナは慌てて弁明のような言葉を続ける。
「あ、いや、別に変な意味ではなくて。ただ、他の戦隊員よりも随分と気にかけているな、と思いまして」
「ああ……」
そういや、少佐には言ったことがなかったな。レイトは思わず声を漏らす。
暫くの沈黙ののち、空を見上げながらぽつぽつと語り始めた。
「……シャノンは、おれの恩人なんです」
「…………」
「前の戦隊のとき、おれはもう色々と限界で。正直、ちょっと自棄になってたんです。毎日毎日人が死んでいって、紅黒種だからって仲間にも差別されて、虐められて」
嫌な記憶が甦ってきて、レイトは無意識にふと目を細める。紅黒種。長きに渡り帝国が敵対し、幾度となく戦争を繰り返し続けてきた隣国の系譜。
戦前より紫黒種と並び紅黒種は差別の対象ではあったけれど、憲法で平等とされ、法律では禁止されていたために、表立ってそういうことをされることはなかった。
七年前の異種職付法で、全て変わった。
法律で保護されることのない収容所では、紫黒種や紅黒種、果ては天青種の混血者までもが格好の不満の捌け口となった。
義勇戦隊では更に人の目は気にされることは無くなって、更に酷い虐めなどが行われている。事実、紫黒種や紅黒種の半数近くは自殺でその生涯を終えているのだ。
「そんなときに、シャノンと一緒の戦隊になって。おれに寄り添ってくれたんです。ほんとは、シャノンの方が酷い虐めを受けてたのに」
「それは、」
エレナは声にならない悲痛な叫びを上げる。諦めたように、レイトは笑った。
「はい。シャノンは紅黒種と天青種のハーフですから。だから、おれなんかよりもよっぽど謂れのない恨みをぶつけられてたはずです。あの痣と傷が、何よりの証拠でしょう?」
レイトの言葉に、エレナは絶句したようだった。微かに、果然とした表情に顔を歪めて。
再び空に目線を戻して、レイトは続ける。
「なのに、毎日おれのことを気にかけてくれて。おれは、シャノンに救われたんです。……だから」
決意に目をキッと細めて、確固たる意志で言い切った。
「おれは絶対にシャノンを守る。あんなにいい子が、こんなところで死んでいいはずがない」
「……ええ」
こくりと、エレナは頷く。深い海色の双眸に硬い意志を持って、彼女はレイトの目を見つめ返した。
「私も、あなた達を死なせません。一人たりとも。絶対に」




