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戦場のワルツ  作者: 暁天花
Ep.Ⅰ
23/54

間章 PAST

 イヴがエレナと出会ったのは、士官学校へと入学して間もない頃だ。

 家族が突然帝国によって奪い去られてしまった、その半月後のことだった。




 少しでも家族の近くに居たくて。でも、それ以上に孤児院に居るのが辛くて苦しくて。イヴは、逃げるようにして士官学校へと志願した。

 入学試験に首席で合格し、晴れて士官候補生となったイヴだが、当時はまだ家族を喪ったショックから立ち直れておらず、あまり心に余裕のある状態ではなかった。


 そんな時に、家族が紅黒種(ルペリア)だったことを政府高官の息子に曝露されてしまい、イヴは虐めの格好の的となった。

 罵声、嘲弄、暴行、窃盗……などなど。ありとあらゆることをされ尽くされた。今思えば、強姦されなかったのは奇跡と言っていいのかもしれない。

 勿論、そんな奴に人など寄り付く訳がなくて。入学当初にできていた、数少ない友人ですらも皆離れていってしまった。

 全てが嫌になってしまって、敵に思えてしまって。入学早々から自暴自棄になり、一人、陰で孤独に泣きじゃくっていた時だった。



「大丈夫ですか?」 



 今でも、イヴははっきりと思い出すことができる。晩春の放課後。西の空へと陽が沈みかけていて、世界が金色に染まっていた時間の、人目のつかない裏庭の桜の木の下で。

 月白の長髪に深い海色の双眸。一目で蒼月種(ルナスタリア)と分かるその少女は、心底心配そうな表情で声をかけてきた。


 それが。とても頭に来た。

 涙に濡れた目をぐいと腕で拭って、イヴはよろけながら立ち上がる。キッと相手を睨みつけて、イヴは喚いた。


「なによ! あんたも私の家族が紅黒種(ルペリア)だからって、何か言いにきたわけ!?」


 どうせ、皇帝陛下と同じ系譜の人間なのだ。他の奴らと同じ、私を嘲り、(わら)いに来たんだろう。

 そんな敵意も剥き出しのイヴに対して、月白の少女は微かに海色の瞳を細めて冷静に応じる。


「そんな訳ないでしょう。何言ってるんですか」

「じゃ、じぁあ、何しにきたのよ!?」  

「最近、校内である女子生徒に対する虐めが蔓延っているとの話を聞きまして。……貴女、ですよね? その被害者は」

「だったら何よ! 惨めな姿を見に来て、笑いに来たってわけ!?」

「……繰り返しますが。私は彼らのように貴女を嗤いに来たり、貶めようとしに来たわけではありません。……ただ、」


 真摯で、それでいて綺麗な灰簾石(かいれんせき)の瞳がイヴの目を真っ直ぐに見つめる。嘲りも、蔑みもない。ただ、義憤と心配に光る、あおいろの。

 ふ、と安心させるように微かに頬を緩めて、月白の少女は言った。


「何か、一つでも貴女の力になりたくて。こんなこと、絶対に許されるべきではありませんから」

「…………!」

「それと。イヴ・シンフォードさん。貴女、確か入学試験の数学では首位を獲っていましたよね?」

「……そうだけど。それが何?」


 イヴがぶっきらぼうに言葉を返すと、月白の少女はバツが悪そうに微笑する。


「えと、ですね。実は私、あまり数学が得意ではなくて。なので、是非とも貴女にご教授願いたいなと思いまして」

「…………なにそれ。馬鹿じゃないの?」


 別に、私じゃなくても他にいくらでも頼める相手はいるだろうに。

 イヴは呆れて果てた様子で、けれどもくすりと微かな笑みを漏らす。


「べ、別に全くできないという訳ではないですよ!?」

「いや、別にそんなことは聞いてないけど」


 はぁ、と今度は本気で呆れたと大きなため息をつく。なんなんだ、この少女は。

 ……だけど。彼女のその言葉が少し嬉しかった。罵声でも軽蔑でもない、殆ど意味もないだろうただの言葉だったけれど。

 けれど。私は此処にいてもいいのだと、生きて居てもいいのだと言われた気がして。

 それに。


 久しぶりだったから。こうやって、他愛もない話をして、少しでも笑えれたのは。

 一度深呼吸をして息と思考を整える。改めて、今度は落ち着いた気分で月白の少女に向き直った。


「そういや聞いてなかったけど。あんた、名前は?」

「……エレナ。エレナ・レイエンダと申します。これから、よろしくお願いしますね?」

「……ええ。よろしく、エレナ」 





  †





 デスクに突っ伏して寝落ちしていたところを副官に起こされて、イヴは気怠げに身体を起こす。

 んー、と伸びをしてから欠伸を噛み殺す。目をこすりながら、どうぞと置かれたコーヒーのマグカップを手に取った。

 牛乳と砂糖を沢山入れた、エレナには最早コーヒーではないだろと言われた薄茶の色の。

 副官は微かに口の端を吊り上げて言う。


「珍しいですね。中佐が居眠りだなんて」

「うーん、最近は色々と忙しかったからかなぁ? 久しぶりに懐かしい夢見ちゃった」


 微笑して、イヴはコーヒーを啜る。甘くて暖かい液体が、喉を通って胃に落ちていく。


「悪夢……ではなさそうですね?」

「まぁね」


 曖昧にイヴは笑う。そこに至るまでの過程自体は、割と普通に悪夢ではあるのだが。

 机の端に置いておいた書類を手に取って、イヴは副官へと苦笑を向けた。


「どっちかっていうと、悪夢なのはこっちの方よね」

「…………まぁ。それはそうかもしれませんね」

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