熱波と花火と星空と 6/7
「ほら、行ってきなよ」
二人の会話を見てもじもじしていたシャノンの背を、レイトはそっと押す。
「え?」
「着たいんでしょ? 早く行ってきなよ」
口端を僅かに吊り上げて言うと、シャノンはこくりと頷いてぱたぱたとアリスの方へと駆けて行った。
「いつもはあんだけ気張ってても、やっぱりまだまだ子供だねぇ」
隣で、一緒に静観していたセイが苦笑したように笑う。
「別にいいでしょ。実際、シャノンはおれたちよりも二歳年下なんだしさ」
「ま、それはそうなんだけどねぇ。……ところで、レイト」
ふと、周囲を見渡して。セイは金色の瞳に微かな戸惑いを灯して、レイトの真紅の双眸を見返した。
「ラウはどこいった?」
「あー、」
言われて、レイトは呆れたように目を細めて相槌を打つ。そういや、あいつおれ以外に何も言ってなかったな。
「ラウなら居心地悪いって言って、とっくの昔に裏口から兵舎に帰ってったよ」
「なんだそりゃ」
「さぁ?」
苦笑するセイにつられて、知らずレイトも笑みを浮かべる。暇だし、ラウを呼び出して三人で夕食の準備でもしようか、などと話している時だった。
「あ、あの。レインズ中尉、ウィンザー中尉」
突然、少女の声が聞こえてきて、レイト達はその主の方へと視線を向ける。
少し見下ろす位置で目が合ったのは、やはり海色の──エレナの瞳だった。
「……行かなくていいんですか?」
レイトは訊ねる。つい先程、彼女はアリスから早く来てくれとの催促をされていたはずだが。
少佐は微かに苦笑を浮かべて笑う。
「その前に、お二人にお渡ししたいものがありまして」
言うと、少佐は腕に提げていた紙袋から二つの小箱を取り出した。どちらも、黒紙で作られた包装の。
「これがウィンザー中尉のもので、これがレインズ中尉のものです。気に入って頂けたら良いのですが……。どうぞ」
小箱を差し出されて、レイト達は微かな疑念と共にそれを受け取る。
「……開けてみても?」
「勿論です」
一応確認をしてから、レイトは封緘の糸を解く。蓋を開くと、中に入っていたのは小さなガラス製の小瓶だった。
レイトのものには鮮やかな紅の松明花が、セイのものには純白の薄雪草が瓶の表面にはあしらわれていて。光の方へと翳してみると、どうやら中には微かに色のついた液体が収められていた。
「……さっき言ってた香水か」
セイがぽつりと呟く。これが香水か。初めて見たものに、レイトは目をぱちくりさせる。
「結構高かったろうに……。ありがとさん」
「……ありがとう、ございます」
「ふふ、喜んで頂けて良かったです」
二人がお礼を述べると、少佐は屈託のない満面の笑みを咲かせる。
レイトはその笑顔が途轍もなく眩しく感じられて、ふ、と目線を逸らした。
顔が急激に熱くなっていく気がする。心臓の鼓動がやけに速い。
……くそ。
どうも今日はやたらと調子が狂うなとレイトは内心毒づく。
「では、私はこれにて一旦失礼します」
そんなレイトの心情などは露知らず、少佐はいつもの通り綺麗な敬礼を披露する。そのまま、彼女は兵舎へと去っていった。
その後、レイト達男子組は、部屋に篭っていた女子組に代わって夕食の準備を進めていた。
今日はラウが食事当番で、先に帰っていたのはこれの準備の為らしい。レイトが食堂へと行く頃には、既にいくつかの準備はなされていた。
机と椅子をセイと一緒に協力して外に持ち出して。料理の皿を外へと運び終えたところで、何故か鉄灰色の女性用士官服を着たアリスが姿を現した。
「……なにしてんの」
近づいてきたアリスに、レイトは呆れたとばかりに目を細めて言い捨てる。微かに香る匂いが、彼女の魅力を引き立たせているように思えた。
「いやー、私が着るよりも可愛い人を発見しちゃってね」
「はぁ? 何言ってんの?」
「まぁ、見たら分かるって。ほら、二人とも来なよ」
そう言って、アリスは兵舎の方へと視線を向ける。釣られてレイトもそちらへと視線を向けて──居たのは、純白のワンピースに身を包んだシャノンだった。
レイトを見つけると、彼女は駆け寄ってきてぱあっと笑顔を咲かせる。
「ど、どうですか!?」
「うん。いいと思うよ。シャノンに似合ってる」
えへへと、シャノンははにかむように笑う。ふわりと香る甘い香雪蘭の匂いは、彼女にプレゼントされた香水の匂いだろう。年相応に幼くて、可愛らしい服装と笑顔だった。
他の皆も、和やかな空気な当てられてか自然と口元に笑みが溢れ出ている。
「ほら、少佐も早く出てきてくださいよ。じゃないと、夕食食べらんないですよ?」
にやりと、いたずらにアリスが笑う。
…………え。
もしかして。
再び視線を向けた先、兵舎の正門前に顔を赤らめて佇んでいたのは、初めて見る私服姿の少佐だった。
こちらは白の七分丈のシャツに、ジーンズ生地のホットパンツ。白く美しい太腿が、夜の暗い闇の中でもきらりと瞬いて見えた。
普段とは違う刺激的な服装に、レイトどきりと胸を打つ。と同時に、微かな違和感を覚えた。
お淑やかな性格の少佐にしては、随分と活発そうな服装な気が。
「……もしかしてだけどさ」
ラウが半眼でアリスの方を見やる。半ば確信を持った口調で彼は言い捨てた。
「あれ、ホントはアリスのなんじゃないの?」
「あら、やっぱり分かっちゃう?」
あっさり白状した。
そういうことかと、レイトは心中で頷く。道理で、やたらと少佐が恥ずかしがっているわけだ。
「そりゃ見りゃ分かるよ。アリスと少佐の雰囲気、真反対だもん」
「そう? でも、うーん。可愛いけれど、やっぱりこう……似合ってるかって言われると微妙よねぇ」
「そう思ってるならさっさとその服返してやりなよ。あの調子じゃいつまで経ってもあそこから出てこないよ」
「仕方ないけど、そうするしかないみたいね」
少佐の方を見やってアリスは苦笑する。余程素肌を晒していることが恥ずかしいのか、少佐は扉の陰に下半身を隠していた。
不意にレイトへと向き直ってくると、アリスは意味深な笑みを浮かべる。
「ごめんね? レイト。あんたの大切な少佐にあんなことさせちゃってさ」
「は? いや、なんの話?」
「いーや? 別にー?」
それだけ言うと、アリスは楽しそうに兵舎へと戻っていく。少佐を連れて中へと消えていくのを、レイトは判然としない思いで見送った。
改めて自身の軍服を着た少佐と、先程少佐が着ていた服を妙に着こなしているアリスを迎えて夕食をとったあと、レイト達は少佐が買ってきた花火を楽しんでいた。
シャノン達が集まって楽しんでいる様子を、レイトは少し離れた位置で見守る。
こんなに楽しい時間はいったいいつぶりだろうと、レイトは彼らを遠目で見てぼんやり思う。
今までは、こんなに余暇を楽しむ余裕もなかった。毎日の戦闘で疲れ切っていて、戦死者も毎回出ていて。精神的にも、肉体的にも夜は寝る以外の選択肢がなかったのだ。
それが、この戦隊の配属になってからはこうだ。毎日、戦闘が終わると狩りに出たり、採集に出たり。夜には、こうして楽しむ余裕すらできた。
全員が個人呼出符号を持ったベテラン揃いとはいえ、こうも日々を楽しむ余裕ができたのは。
「レインズ中尉も混ざらなくていいんですか?」
この、隣に座ってきた蒼月種の少女──レイエンダ少佐のお陰だ。
白百合の香りがふわりと匂ってきて、レイトは微かに口の端を吊り上げる。
「いいんですよ、おれは。見てるだけで」
「……別に、それでも私は構いませんが」
むっとした顔が視界に映り込んできて、レイトはどきりとして目を見開く。
「せめて、花火ぐらいは楽しみましょうよ。じゃないと、私が納得出来ませんから」
「……少佐、今の言葉、矛盾してますよ」
「あら? そうでしたか?」
きょとんとした表情をする少佐に、レイトは苦笑する。帝国軍人にしては生真面目過ぎるぐらいなのに、何故かこういうところは抜けているのがいかにも少佐らしい。
「……でも。ありがとうございます。……色々と」
言うと、少佐はにこりと微笑んだ。悪意も軽蔑もない、心の底から安心感を覚える、優しい笑顔。
「お礼を言われるようなことはしていませんよ。ただ、私がやりたいからやっているだけです」
「でも、やっぱりこうやって楽しむ余裕ができたのは少佐のお陰ですから」
手渡された花火に火を付けながら、レイトは呟く。少佐が居なければ、毎日こうやって楽しむ余力すらも残らなかった。戦前のような暮らしを多少なりとも楽しめているのも、少佐の──エレナのお陰なのだ。
それは確然たる事実だ。変わらない。
「……レイトは、」
エレナは消え入りそうな声で訊ねる。
「レイトは、天青種を──蒼月種を憎んでいますか?」
返すレイトは──沈黙。お互い、無言の静かな時間が流れる。それは二人にとっては苦痛──というよりも、心地の良い沈黙の時間で。
羽虫の声と、少し遠くで集まるシャノン達の喧騒と。ぱちぱちと微かに聞こえる火花の音だけが、二人の満天の星空の下に響く。
暫くして、レイトは目を細めて呟いた。
「…………分かんないんです」
その言葉に、少佐はえと目をまばたかせる。
「憎んでるって思ってました。……でも、最近は分かんないんです」
鮮やかに弾ける花火を見つめながら、レイトは淡々と言葉を紡ぐ。
「おれはほんとに天青種を憎んでるのか。そもそも、何を憎んでるのかも。分かんないんです」
「それは、」
微かに頭を振って、レイトは笑う。
「だってそうでしょ? おれがほんとに天青種を憎んでるなら、こうして少佐とは話せてなかったはずです」
「…………」
「そのはずなのに。でも、だけどやっぱりおれは何かが許せなくて」
少女のような白皙の顔を苦痛に歪ませて、レイトは消え入りそうな声で呟く。ぎゅと、首に提げていた懐中時計を握り締めた。
妹を──ユーナを死に追いやった存在が。やっぱりレイトは許せない。まだ、九歳だった。終えるには、余りにも短すぎて、辛い人生だった。
「なら、なんで、」
そんなに危険を犯してまで。エレナの問いは、レイトの決然たる言葉に掻き消される。
「おれは、もう誰も死んで欲しくないんです。妹みたいに死んでく人が、おれみたいに苦しむ人が、一人でも減ってくれればって、それで」
脳裏にあの日の出来事が鮮明に甦る。真っ白な視界。月白と海色の司令官。黒百合の長髪に、真紅の双眸。
鮮血に染まる雪と、そこに斃れる妹の二つの身体。どうしようもなくて、ただ、目の前で死んでいく妹を、猛吹雪の中だったから看取ることすらできなくて。
あんなのは二度と御免だ。そして、誰にも経験して欲しくない。例えそれが、妹を戦地へと追いやった天青種 の人間だとしても。
「……レイトは優しいのですね」
柔らかに微笑みかけられて、レイトはハッと息を飲む。ふ、と誤魔化すように笑った。
「おれは、妹みたいに罪のない人が死んでくのは後味悪いってだけです。……それに」
ちらりと、エレナの顔を見やって、ぼそりと呟いた。
「……その。少佐にも死んで欲しくないですし」
同時に、打ち上げ式の花火の爆発音が鳴り響いて。
「レイトもこっち来なよー!」
「少佐も、一緒に見ましょうよ!」
シャノンとアリスの、二人を呼ぶ声が聞こえてきて。完全に、レイトの言葉は掻き消された。
ああ。
失敗した。
「あ、今行きます! ……えと、何か言いましたか?」
隣に居たエレナは、怪訝そうに眉を顰めてレイトの顔を覗き込む。ばっと視線を逸らして立つと、顔を赤くしながらレイトは言った。
「い、いや、なんでもないですよ! ほら、おれらも行きましょう!」
「…………?」
そそくさと歩き去っていくレイトの背中を、エレナは不思議そうに見つめていた。




