第一章 紅白十字旗に栄光あれ 1/3
『──帝国大本営発表。現在の戦況を発表いたします』
『第一三戦区において、我らが勇敢なる帝国陸空軍将兵達は、本日未明、〈ディヴァース〉勢力の機甲部隊を打破。旧領土にあたる『ラーフバレーン』の奪還に成功しました。我が軍の損害は、今回の攻勢においても極めて軽微なものであり──』
ラジオ放送から流れるいつもの報告を聞き流しながら、銀髪の少女は鉄灰色の女性用士官服へと着替えていた。
華奢な両腕でボタンをしっかりと締め、姿見をその蒼い瞳でじっと見据える。完璧に着こなしているのを確認すると、少女は制帽を被りながら部屋を飛び出した。
靴を履いてから、玄関前に置かれた家族写真に敬礼を送る。
「行ってきます」
凛とした声で、少女は低く呟くと。鞄を持って、そのまま家を後にした。
此処、セント・ウェールラント帝国首都ロンディアルトは、七年にも渡る戦争を感じさせないほどに、平和的で壮麗だ。
行き交う人々の表情は牧歌的なそれで、とても戦争をしているとは思えないほどに明るくて希望に満ちている。
整然と区画されたメインストリートは、全てが精密な都市計画によって形作られたもので。建ち並ぶ蜂蜜色の建築群は、この都市がいかに歴史のある場所なのかを示すものだ。
その一角、桜花の並木が整然と連なる歩道を、少女は人混みに交じって目的地へと歩いていく。
視界の端で、小さな子供が笑顔で両親に連れられているのが見えた。どこかへお出かけなのだろう。既に天涯孤独の身である少女には、なんとも微笑ましい光景だった。
彼らを含め、通り過ぎていく人々の髪や目の色は、違わず青や白色系の天青種で。それは、この国の大多数を占める人種の系統だ。
かくいう私──エレナも、その天青種の血を受け継ぐ者の一人だ。月白に煌めく銀の長髪に、深い海色の青い双眸。灰簾石にも似た、あおいろの。
彼女のその姿容は、天青種の中でも特に珍しい色の組み合わせにあたる。蒼月種と呼ばれる、この国の皇族達と同じ色合いの人種だ。
『現在も、我らが精強なる帝国陸空軍は総力を挙げて、旧領土の全域を奪還──更には、全世界を〈ディヴァース〉の脅威から解放せんと、熱誠の思いで熾烈な戦闘を続けています。どうか、臣民の皆様方には、これからもご協力をお願い頂きたく思います。皇帝陛下万歳、帝国に栄光あれ!』
戦況放送の終了と同時に、勇壮な陸軍行進曲が流れるのを聞いて、エレナはふと、目線を下へと落とす。
一見こちらが圧勝したかのような発表は、開戦以来からいつものことだ。しかし、帝国は七年前の開戦以降、半分以上を放棄した領土を、未だに一割も奪還できていない。
それに。
くりると、歩いて来た道を振り返った。
通り過ぎる人々も、カフェで談笑する男女も、勿論、エレナ自身でさえも。
この国セント・ウェールラント帝国は、世界初の立憲君主制国家として、そして、世界で最も先進的な国家として。建国以来、常に全人種の平等を謳ってきた。
燃えるような赤と黒色系の紅黒種に、名の通り金色に煌めく髪と目の金光種。更には、当時被差別階級とされていた紫黒種まで。帝国では、全ての人種は平等とされた。そして、その理念に感銘を受けた者達が、様々な地域からこの地へと移り住んできた。
無論、帝国はそれらを全て歓迎し、全世界にその名を馳せた。『世界で最も先進的で、人道的な国家』だと。
……けれど。今、ここには青と白の髪と瞳を持つ天青種しかいない。それどころか、帝都に他の人種は一人たりとも存在しない。
そもそも。帝国の領土内では、どこへ行こうとも天青種以外の人種は、存在しないのだ。
帝国軍も、最初期の遅滞戦闘以来、その戦力の殆どを喪失していない。何度も、攻勢を重ねているというのに。
他人種の居ない帝国。そして、戦力消耗の殆どない帝国軍。
「損害は極めて軽微……ね」
淡い蜂蜜色の漆喰壁でできた、優美なラインを描く屋根が美しい数々の巨大な建築群。そこが、エレナが所属する帝国陸軍の、その総本部だ。
警備員に通過許可証を提示して、正面の門をくぐり抜ける。少し歩いて、中央に見えてきたのは、他の建築物よりも一際大きな建物だ。帝国陸軍総本部の、その本庁舎。
屋根にはためいて見えるのは、セント・ウェールラント帝国の国旗だ。
白地に鮮やかな赤の十字、その交差部に王冠と剣、そして翼の重なる徽章があしらわれている。紅白はそれぞれ博愛と正義を示し、剣は民を守る強固な力を、翼が抑圧のない自由の理念を表している。王冠は言うまでもなく、皇帝陛下だ。
蒼穹に翻るそれをちらりと流し見て、エレナは本庁舎へと進み入る。扉を開けると、丁度前に来ていたらしい青年将校と目が合った。歳は多分、十六のエレナより一、二歳ぐらい歳上の。
「よお、レイエンダ少佐」
目を逸らそうとしたところで、嘲弄の滲んだ言葉を投げつけられた。
エレナは内心うんざりしながらも、その声の主へと視線を向ける。すると、彼は更に面白がった様子で言葉を続けてきた。
「最年少で中佐にまで昇進した才媛が、まさか民間人に向かって暴力行為を働いていたとはね。世の中、分からないもんだねぇ?」
嫌味たっぷりに、愉悦の入り交じった声で彼は言う。
恐らく、先日彼を振った事に付随するものだろう。強姦紛いの事をされかけたのだから、こちらも抵抗したに過ぎないのだが。
「……上級大将閣下であらせられるお父様に、言いつけでもしましたか? 流石、ですね」
意趣返しとばかりに、エレナは笑顔に皮肉を込めて言葉を返す。
「君はいったいなにを言っているんだ? いくら自分の降格が悔しいからと言って、他人に当たるのはよくないよ?」
……どうやら、己の行為に反省はしていないらしい。微かな苛立ちが言葉の端々から感じ取れて、エレナは静かに目を細める。
「これはこれは、失礼しました。大佐どの。……では、私はこれで」
これ以上、この男に付き合うのも馬鹿馬鹿しい。作り笑顔を貼り付けて、一礼。早足でその場を立ち去った。
「……エレナ。あんた、朝から何やってんの?」
横から呆れたように声をかけられて、エレナはそちらに目を向ける。居たのは、親友のイヴ・シンフォードだった。士官学校を何度も飛び級して卒業したエレナにとっては、唯一、同期で同年齢の。そして同性の。
彼女の涼やかな空色の髪と、蒼玉に似た青の双眸は、天青種の代表的な色合いの一つである。左胸には、いつもの見慣れた少佐の階級章が見えた。
「何って……売られた喧嘩を買ってやっただけよ」
小さな笑みを浮かべてエレナは言い放つ。すると、イヴは肩を竦めて笑った。
「いい加減、その喧嘩を片っ端から買うのはやめたらどーなのよ? 今回に至っては、降格まで食らっちゃってるわけだしさぁ」
「と、言われてもねぇ……」
言われて、エレナは苦笑する。
「やめるにしても、あの人達は相手をしなきゃますます図に乗って手がつけられなくなるもの。あれより面倒なことになるのは御免よ」
「いやまぁ、それはそうなんだけどさぁ…………?」
あっけらかんとした言葉に、イヴは片手で顔を覆う。一つ、大きなため息をついた。
エレナの家系──レイエンダ家は、その瞳と髪の色が示す通り、皇族と同じ系譜を汲む家系だ。そのために、彼女の血統は欲しがる人が多い。
何せ、嫁がせるだけでもある程度の地位と名誉が得られる上に、降格したとはいえ史上最年少で中佐昇進を果たした天才少女だ。生来の可憐な容姿も相まって、エレナの周りには様々な紳士がたたちが寄ってくる。それらを放置するとなると、どんなに恐ろしいことになるか。考えたくもない。
「にしても、イヴがこっちに居るだなんて珍しいわね。だいたい駐屯基地か研究棟にいるのに。何かあったの?」
エレナの言葉に、イヴはまたも大きなため息をついた。そして、こちらの方をじっと睨みつけてくる。
「何かあったの? ……って。エレナの引き継ぎに決まってるでしょ。あんたが解任された戦区の副官、誰だったと思ってるわけ?」
……あ。そういやそうだった。
その事実を今更思い出して、エレナはぎくりと顔を強ばらせる。
先日、エレナが司令官を解任された第五四戦区の副官はこのイヴだ。急な人事異動だったのだ、彼女がその対応に忙殺されていたのは容易に想像ができる。
「あー……、えーと……。……なんかその、ごめんなさい」
「まぁいいわよ、今回のは仕方ないしと私も思うから。……あなたこそ、大丈夫なの?」
「え?」
咄嗟に意図が理解できず、エレナは目をまばたかせる。イヴは俯いて、歯切れが悪そうに言葉を紡いだ。
「ほら、その……。例の件があったりだとか、降格だったりだとか……色々あったし。なのに、私、ついてやれなくて……」
「……大丈夫よ。さっきの、見てたんでしょう?」
いつも通りの調子で、エレナは言う。こう見えて、イヴは割と心配性なのだ。
おずおずとこちらに視線を向けてくるイヴに、少しいたずらっぽく笑顔を向ける。すると、彼女もエレナの心情を察したのか、その顔にふっと笑みを浮かべた。
「その感じなら大丈夫そうね」
ええと、エレナは頷く。確かにあの日のことは怖かった。けれど、私は軍人だ。そこでいつまでも立ち止まって泣いている訳にはいかない。
「……で。エレナはなんで今ここにいるわけ? 自宅謹慎出てたんじゃないの?」
当然の質問を投げかけられて、エレナは少し困ったように笑う。
エレナは、先の『暴力行為』による裁定によって戦区指揮官の解任と、一ヶ月の自宅謹慎が命じられているのだ。ここに私が居ること自体、本来ならばおかしい。
「そうなんだけど……、アークニール中将に呼ばれてね。内容はよく知らないのだけれど、転属の打診だそうよ」
「転属ぅ? なに、こっちにはもう帰って来ないの?」
イヴは驚きの声を上げる。しかし、こればかりはエレナも首を捻るばかりだ。
「うーん、何とも言えないわね。後方勤務とかなら蹴るつもりではあるけれど……」
言いながら、ふと、時計を見ると。長針は予定時刻の五分前を指していた。少し、長話をし過ぎたらしい。
「──と、そろそろ時間だわ。……じゃあ、また後で」
「ええ、また後で」
笑顔で手を振ってそう言うと。エレナは、イヴと別れてその場を後にした。
「──ということでね、レイエンダ少佐。君には、この新設された第一〇一帝国義勇戦隊の指揮官を担当して貰いたい」
帝国陸軍総本部の本庁舎。その一室にある西方方面軍第三軍の師団長室で。エレナは配属先の上司──アイルヴァード・アークニール中将からの転属の打診を受けていた。
「新設された義勇戦隊の指揮……ですか」
複雑な面持ちで、エレナはその言葉を反芻する。
帝国義勇戦隊。それは、帝国の正規兵ではなく、名の通り有志を集めた『義勇軍』として編成される部隊のことだ。
帝国の正規軍が陣地防御で防衛戦を行うのに対し、彼ら義勇戦隊はその防衛線の外で、旧領の奪還や〈ディヴァース〉前哨基地の破壊など、主に攻勢作戦を行う。
だが、義勇戦隊はその作戦内容の危険性故に、戦力の消耗が極めて激しい。一度の戦闘で一個戦隊が丸々壊滅する──なんてことはよくある話だ。そのために、義勇戦隊は日々、再編や新設、解散が行われている。
「まぁ、今すぐには決めて貰わなくても構わんよ。返答期限は明日の十五時までだ。それまで、ゆっくりと考えたらいい」
「りょ、了解しました」
敬礼をして、エレナは言葉を返す。……とはいえ、既にエレナの中で返す言葉は決まっているのだが。
「……にしても、また派手にやってくれたな、君は」
「え?」
突然の話題変更にエレナが首を傾げるのを見て、アークニールは苦い笑みを浮かべる。
「民間人への暴力行為……、まぁ、当時の君の状況は聞いているし、やむを得ない行動だったとは私も思うがね。だが、こうも位の高い将校らのご子息らを無碍にしていては、私も全て庇いきれんよ」
「えと……、それは……、その……。……すみません。ヴァード小父さま」
親として言われているのだと気づいて、エレナは頭を下げる。
全く言い返す言葉がない。謝罪の言葉を口にすると、エレナはふっと視線を逸らした。
──この人には、ずっとお世話になりっぱなしだ。
七年前に両親が他界した後、天涯孤独の身となったエレナを、彼は親友の子供だからと何かと面倒を見てくれた。
変な縁談を断ってくれたり、財産整理の手助けをしてくれたり、更には、士官学校への入学手続きまで。彼には昔から、色々と世話を焼いてもらっているのだ。
実際、私の幼い頃には家によく来ていたし、遊んで貰ったこともある。十歳の時彼に貰った髪飾りは、今でも大切な宝物だ。そういう経緯もあって、エレナは彼に全幅の信頼を置いている。
「誰か、適当な男を捕まえて弾除けにするのもアリだとは、私は思うぞ?」
「え! いや、それは……!」
エレナが慌てて言葉を継ごうとするのをみて、アークニールは笑う。不意に、エレナの頭を撫でた。
「冗談だよ。……でも、そろそろどうにかしないとな、アレは。今後の、君のキャリアのためにも」
「…………はい」
真摯な口調で言われて、さしものエレナも押し黙る。
分かってはいるのだ。今の状態が良くないことぐらいは。
今回の件も、アークニールのお陰で何とか除隊にはならずに済んだ。だが、いつまでも彼の庇護下に居られる訳ではない。ここは軍なのだ、自分の身ぐらいは、自分で守れなければならない。
それすら出来ないのでは、死んで逝った家族達にも、これまで面倒をみてくれた彼にも申し訳が立たないというものだ。
「今日の話はもうこれだけだが……。他に、何か申し出はあるか?」
「い、いえ。大丈夫です。……では。失礼します」
どこか暗い面持ちで、エレナは師団長室を出た。