熱波と花火と星空と 4/7
翌朝。エレナはイヴに叩き起こされた。
なるほど、昼前ぐらいに行くものだと思っていたが、どうやら開店時間にはあちらに着いている予定らしい。
窓から覗く空は憎らしいほどに快晴で、今のエレナの心境とは全くそぐわないほどに眩しい群青だった。どうやら、今日も暑くなりそうだ。
「エレナ、早く準備しといてよ? 食べ終わったらすぐに行くからね!」
既に身支度を済ませ、エプロン姿で朝食を作っているイヴの背中が見える。丈の長い薄青のフレアスカートに、純白のパフ袖シャツ。如何にもおしゃれ、といった服装の。
「……随分気合入ってるわね」
遅くまで勉強していたせいでまだ眠い眼を擦りつつ、エレナはぽつりと言葉を漏らす。
「当たり前でしょ。今日は久しぶりの遠出なんだし、エレナもちゃんとおしゃれしてよね」
「……はぁ、」
と、言われても。エレナは小さくため息をつく。私服なんか殆ど着ることがなかったから、数組ほどしかないのだけれど。
これまでは勉強一辺倒だったし、軍人になってからは仕事が忙しくて軍服とネグリジェ以外を着ていた記憶がない。
……まぁ。ともかく。まずは顔を洗ってこよう。
そう思い至って、エレナは洗面台へと向かった。
「そうね、まずはエレナ、あんたの服から買いに行きましょ」
三十分ほど電車に揺られ、大型のショッピングモールに到着して最初にイヴから言われたのはそんな言葉だった。
「えっと……、それはどうして?」
突然のことに、エレナは戸惑う。
「どうして、……って。え、あんた、その服装がおしゃれとでも言うつもり?」
え。違うのか。
思ってもみなかったことに、エレナは目をまばたかせる。それを見て、イヴはずい、と呆れとうんざりが等分に入り交じった顔を近づけてきた。
「あのね、おしゃれっていうのはもっと華やかなものなの。今の自分の服装、見てみなさいよ」
言われて、エレナは窓に反射する自分の姿を見返した。
無地の黒色パーカーに、膝丈の黒のチェック柄のスカート。そして、頭にはベルト付きの黒色帽子を被った姿が映っていた。ついでに言うと、履いている靴下も靴も黒色だ。月白の銀髪と白皙の肌とは対照的に、全身、真っ黒の。
「……言うほど変ですか?」
何の疑念もなく呟くと、イヴは何やら頭を抱えて呻いていた。流石にそこまでの反応をされるとは思ってもいなくて、エレナの瞳は少し不安に曇る。
「変……とまでは言わないけどね、少なくともそれをおしゃれとは言わないわ。折角可愛いんだから、もっとおしゃれに可愛く着飾りなさいな」
「私が……かわいい…………?」
顎に手を当てて、エレナは小首を傾げる。こんな、女らしさの欠片もなくて、媚びも売らないような女の、どこが可愛いのだろう。
頭上に透明なはてなの絵文字が浮かび上がっているのが見えて、イヴは心底呆れたとばかりに大きなため息をつく。ほんとに、こいつは。
「……まぁいいわ。行きましょ」
諦めたようにかぶりを振って、イヴはエレナの手を取って引いていく。そのまま、ショッピングモールの中へと入ろうとした──その時だった。
突如、エレナが鞄の中に入れていた通信機が、控えめな着信音を響かせた。
それに気づいて、エレナは一旦立ち止まる。イヴに一言断りを入れると、通信に出た。
『あー、少佐ですか?』
聞こえてきたのは、心底面倒そうなレイトの声だ。
「はい、レイエンダです。……休暇中に貴方から通信だなんて珍しいですね。どうしましたか?」
少なくとも、休暇中の戦闘指揮のことでないのは確かだろうが。(以前、レイトを筆頭に戦隊員達からは要らないと散々言われた)
何を言われるのかは全く予想もつかないが。とりあえず、エレナは言葉を返した。
自分の頬が緩んでいるのに、エレナは気づかない。
『どうしたもこうしたもありませんよ。なんです? アレは』
アレ……とは?
心当たりが見つからず、エレナは戸惑う。
「すみません。その、“アレ”とはいったいなんのことでしょうか?」
『はぁ? アレ送り付けてきたの、少佐じゃないんですか?』
微かに苛立ちの含んだ声音でレイトが言う。が、やはりエレナには何の事だかさっぱり分からない。
「送り付けてきた……? いえ、私は何もそちらにお送りはしていませんが……。ちなみに、そちらに送られたもの、コンテナには何と?」
「あー、ちょっと待ってて下さいね」
言うと、微かにざく、ざく、と土の上を歩く音が聞こえてきた。戦闘員に特有の、普通よりも速い歩調で。
暫くして、コンテナの近くへと到着したらしいレイトの、少し高めの声が聞こえてきた。
『“XADDMAG─56『ドラグーン』”……って書いてあります』
「えっくすえーでぃーでぃー……え?」
聞き慣れない名称に、エレナは思わずその言葉を反芻しようとして──失敗した。長い上に、聞いたこともない名称だ。
いったい何だろうと考えを巡らせていると、隣で聞いていたらしいイヴがああ、と思い出したように言葉を投げかけてきた。
「うちの試作品、今日届いたんだ」
「……試作品?」
意味ありげな言葉が隣から聞こえてきて、エレナはイヴの方へと視線を向ける。微かに口端を吊り上げて、彼女は続けた。
「言いそびれてたんだけど、あんたのところに新しい試作品の試用を依頼してたのよ。XADDMAG─56“ドラグーン”。……まぁ、長い上に覚えにくいから、みんな愛称の方で呼んでるけどね」
いや、普通に流してるけど言い忘れちゃダメなやつだろ、それは。
エレナは心中でツッコむ。
呆れて目を細めていると、何やら別の感情だと勘違いしたらしいイヴは、わざとらしく苦笑して見せた。
「ああ、別に心配しなくても大丈夫よ。そんな危険なものじゃあないから。ただ、使える人が限られるってだけで」
「……? それはどういう……?」
イヴは苦笑する。
「空間認識把握能力がないとまともに動かせないのよ。まぁでも、使いこなせれば大きな戦力になるのは確かよ。あっちに帰った時に見てみれば分かると思うけど」
「は、はぁ」
妙に誇らしげに胸を張るイヴに、エレナは辟易するしかない。誰も使えない、という考えに至らない辺り、研究職の思い込みが如実に現れている気がするが。
返す言葉を失って唖然としていると、不意にレイトの声が人々の喧騒に割り込んできた。
『……んじゃあ、あれですか、使えるやつに使わせて、戦闘データを取れってことですか?』
「まぁ……、そういうことだと思います。すみませんね、なんか、色々と」
『別に少佐が謝ることないですよ。……ま、りょーかいです。お楽しみのところすいませんでしたね』
「いえ、お構いなく。貴方たちも気をつけて下さいね」
レイトは笑う。
『心配しなくても大丈夫ですよ。久しぶりの長期休暇、楽しんできてくださいね』
「ええ。では、また」
優しげな言葉を最後に、レイトとの通信は途切れた。
「ごめんなさい、待たせたわね。じゃあ、入ろっか」
「そうね。行きましょ」
そう言って、イヴは再びエレナの手を引いてショッピングモールの中へと入っていく。
一瞬、彼女がどこか浮かない顔をしているように見えたのは、気のせいなのだろうか──?




