緋色と海色 5/5
その日の夜。エレナは司令官舎ではなく、兵舎の中で夜を過ごした。
シャノンが誘ってくれたのだ。今日ぐらいは一緒の部屋で寝ないか──と。
勿論エレナは承諾し、用意のために一旦司令官舎に戻った。高鳴る気持ちを抑えながら入浴を済ませて、いつもの薄青のネグリジェへと着替える。流石にそのまま出るのは恥ずかしかったので、薄手の上着を羽織ってから兵舎へと向かった。
しかし、シャノンの部屋に辿り着いた時に、一つ問題が起きた。というのも、彼女の部屋は四人の相部屋で。その一つはスフェール少尉のスペースだったのだ。
彼女を目にした時、エレナは凄く戸惑った。というのも、シャノンは着任当初からある程度の親交があったものの、スフェール少尉に対しては殆ど今日が初対面と言っていい状態なのだ。
それだけでも気まずいのに、相手はエレナのことを嫌っていたであろう人の一人だ。先程のことがあったとはいえ、今までのことを考えると全く合わせる顔がない。
だが、そんな不安は杞憂に終わった。
彼女は第一印象の通りとても優しい人で、エレナを見ても顔色一つ変えなかった。まるで、エレナが天青種の──蒼月種の人間であることを、全く気にしてもいないかのような。拍子抜けしたのと同時に、少しほっとした。
「あの、スフェール少尉、」
改めて謝罪を述べようとして、エレナは立って彼女の前へと向き直る。ぎゅ、と右手を胸元で握り締めた。そして、口を開こうとした──その時。
「あー、そういうのいいから。面倒くさいし」
「で、ですが……!」
ベッドに座り込んだまま、アリスはエレナの言葉を無視して続ける。
「それと。アリス、でいいわよ」
「え?」
「いやさ、なんかこう……気の張ってない時にそう堅苦しく呼ばれるの、なんだか落ち着かなくて」
アリスは肩を竦めて苦笑する。それとは対照的に、エレナは緊張しきっていて。無意識に顔を強ばらせた。
「わ、分かりました。では、アリス。…………さん」
「なんでさん付け」
「す、すみません。こういうことは、あまり慣れていなくて」
基本的にエレナは勉強しかしてこなかったから、元々社交性は高い方ではないのだ。それこそ、イヴが居なかったらどうなっていたことか。
わたわたしているエレナを見て、アリスは屈託のない笑顔を浮かべる。隣で、シャノンも楽しそうに笑っていた。
「そ、そんなに笑わなくても……!」
エレナの悲鳴も、二人には全く届いている様子はない。ひとしきり笑ったあとで、アリスは目尻を指で拭いながら暖かい視線を向けた。
「ごめんごめん。でも、天青種の軍人がそんなことでわたわたしてるの見てると面白くって。やっぱり、あなた達も同じ人間なのよね」
「あ、当たり前じゃないですか。私もあなた達も、みんな同じ人間──」
あ。
言いかけて、エレナは自分が酷く傲慢な言葉を口にしていることに気がついた。彼女達を人間扱いしていなかったのはこちらの方なのだ。全く言えた義理ではない。
「……すみません」
自責と後悔に駆られて、エレナは俯きながら謝罪の言葉を口にする。きゅ、と唇を引き結んだ。
不意に背中を叩かれて、エレナは背後へと振り返る。すると、アリスの新緑の双眸と目が合った。彼女は屈託のない表情で、優しく微笑む。
「そう重く考えるんじゃないの。今の状況はあなたが作ったものではないし、あなたが変えられるものでもない。そうでしょ?」
「…………」
エレナは押し黙る。だが、今の状況を作り上げたのはエレナと同じ天青種で蒼月種なのだ。全くの責任がない訳がない。
そんな逡巡をよそに、アリスは手に持ったマグカップに口をつける。一拍おいて、アリスは続けた。
「正直、私は天青種のことはきらいよ。四年前、お父さんとお母さんを殺したのは天青種の人たちだしね」
四年前。ということは、丁度、異人種職付法が改正された年だ。異人種の全員が義勇軍として最前線に投入されることが決まった、最悪の年の。
「……すみません」
「だから、謝らなくていいって」
アリスは片手を振って苦笑する。再び合わせた新緑の瞳が、エレナの深い海色の双眸を映し出す。やさしい、みどり色だった。
「けれど。それはレイエンダ少佐という個人とは関係ないでしょ?」
「…………え?」
身構えていたエレナは、思わず呆気にとられる。すると、対岸のベッドでずっと黙って聞いていたシャノンが、優しい声音で口を開いた。
「少佐は少佐ってことです。天青種だからって、みんなを無差別に嫌うのは違うと思いませんか?」
「え……と、」
返答に困っていると、「それを少佐に聞いてどうすんのよ」などとアリスがシャノンにツッコミを入れていた。それもそうか。などと、シャノンが天然を炸裂させている。
「ま、そうは思っていても、中々行動に移すとなると難しいのだけれど。いくら無関係だと分かってはいても、やっぱり憎いものは憎いしね。それについては、私達の方も謝らないといけないかも。ごめんなさいね」
「い、いえ! そんな……!」
マグカップを机に置いて頭を下げてくるアリスに、エレナは慌てふためく。謝られるようなことは何もされていない。ましてや、彼女らになどは。
再び顔を上げたアリスは、ふっと目を細めて微笑んだ。
「じゃ、改めて。よろしくね、レイエンダ少佐」
「……はい。よろしくお願いしますね」




