緋色と海色 4/5
努めて冷徹な声音を装って、レイトは耳につけた通信機へと指示を送る。
「敵部隊の撤退、及び砲兵型の支援砲撃の終了を確認。これにて、作戦行動を終了、帰投する」
了解。と、すぐに四人分の応答が帰ってきて、レイトはひとまず安堵する。はぁと、静かに詰めていた息を吐き出した。
ふと、空を見上げると。暗くなった夕闇の空には、既に幾つかの星が瞬いていた。西の地平線には、落ちかけた陽の光が赫々と燃えている。
あと数十分もすれば日の入りだろう。義勇戦隊にとって、夜は唯一安心して過ごせる時間帯だ。少しほっとした気分で、レイトは基地へと針路をとった。
『しっかし、今日のは思ったより手こずったな。正直、昨日のよりかは楽だと思ってたんだが……』
軽妙に聞こえるセイの言葉にも、いつもほどの元気は感じられない。
今日、会敵した〈ディヴァース〉の数は、ここ数日と比べるとかなり少ない方だ。にも関わらず、戦隊員のみんなは昨日よりも疲弊していた。
『まぁ、司令官舎からの詳細データがないからねぇ。あれ、結構ありがたかったんだけど』
『それはそうだけど……。でも、慣れるしかないわよ。どうせ、少佐も帰ってこないだろうし』
アリスが労わるように苦笑する。
帝国の熱源探知レーダーは、どうやら〈ディヴァース〉の編成情報までも特定できるらしい。司令官の少女から伝えられるその情報を基に、レイト達は効率的な迎撃が実行できていた。だが、その司令官はもう居ない。
えー、と、ラウが落胆するのが通信機から聞こえてくる。
『レイトならどうにかして見れたりしない?』
「流石におれでも無理かな。あそこ、正規軍以外は誰も入れなくなってるから」
司令官舎には、鉄条網や守衛などの警備は一切存在しない。しかし、その代わりに部外者の侵入を禁止し、感知する魔術を施されているのだ。
もし、異人種であるレイト達が入ろうものなら、警報が即刻司令官へと行く仕組みになっている。
いくら相手が偽善者の天青種とはいえ、そこまで迷惑をかけるのは流石に気が引ける。色々と気に障る奴ではあったが、彼女のおかげで楽だったのは事実だ。生憎、レイトはそこまで恩知らずではない。
『じゃあ、壁に穴空けて入ったりするのはどう?』
ラウの言葉に、レイトは苦笑する。
「それこそもっと無茶だよ。そんなんしたら、すぐに本国に報告が行って、全員の首が飛ぶだけ」
『そっかぁ……』
納得しつつも、なお惜しいというような声音で、ラウが呟く。
それきり、五人の間には無言の時間が訪れる。みんな疲れきっていて、いつものように駄弁る気力もないのだろうなとレイトは思った。
だが、今までが異常だっただけで、元々こうだったのだ。数日もすれば、またすぐに慣れるだろう。
「……早く、帰って来るといいですね」
そばに居たシャノンが、通信に乗るかならないかの小さな声で呟いた。
駐屯基地に到着すると、丁度、一機の双発機が基地の近くに着陸していた。真っ暗な視界の中で夜間着陸を無事に終えるなど、パイロットは凄いなとレイトは感心する。
……じゃなくて。
かぶりを振って、レイトはその呑気な思考を吹き飛ばす。こんな時間に来るだなんて、いったい何の用なのだろうか。
着陸した機体は人員輸送用の双発機で、よく見る輸送機とは違う機体だ。つまり、この機体の目的は補給などの類いではないということになる。……では、なぜ?
足を止めてその機体を眺めていると、不意に中から一人の人影が焦った様子で出てきたのが見えた。そのまま、走ってこちらの方へと向かってくる。
「みんな、ちょっと待って!」
「……シャノン?」
期待に目を輝かせるシャノンに、レイトは訝しげな表情で言葉をかける。再び人影へと目線を向けると、彼女は息せき切って戦隊員達の方へと駆け寄ってきていた。
立ち止まるやいなや、その少女は膝に手を当てて、肩で息をしながら俯く。彼女の姿を見て、レイトは思わず自分の目を疑った。
鉄灰色の女性用士官服に身を包み、月白の銀髪を風に靡かせる、その少女は。
「少佐…………?」
アリスの口から、小さな言葉が漏れ出た。
第一〇一帝国義勇戦隊司令官、エレナ・レイエンダ少佐。彼らの前にいるのは、その人だった。
息がようやく整ったらしく、司令官の少女は真剣な表情で戦隊員達に目を向ける。
何度見たかも分からない、生真面目そうな、深い海色の双眸。だが、その真摯な瞳からは深い後悔の感情が見て取れた。
「……なにしに帰って来たんですか。あんた、今は休暇中なんでしょ?」
突然のことに全員が呆気にとられている中、レイトが目を細めて言い捨てる。身体の奥底からは、燃えるような激情が湧いてきていた。
「あの、その。……申し訳、ありませんでした」
司令官の少女は、消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にする。直後、レイト達に対して深く頭を下げた。
「しょ、少佐!? 顔を上げてください!」
驚愕するシャノンとは対照的に、レイトはその仕草に深い憤りを覚えた。真紅の双眸に、強い怒りの炎が燃え上がる。激情に衝き動かされるままに、レイトは叫んだ。
「なにが申し訳ないだよ! そんなこと、全く思ってもないくせに!」
「…………」
口を噤んだまま、司令官の少女はただひたすらに真摯な瞳で見つめ返してくる。その海色が堪らなくなって、レイトはふっと目を逸らした。
「どうせ、おれの言った言葉の意味も分かんなかったんですよね。なのに、なんで……!」
「……意味なら、分かりました」
ハッとして、レイトは再び司令官の少女の方へと視線を向ける。深い海色の双眸が、酷い自責の色を帯びて真紅の瞳を映し出していた。
「私は、あなた達のことを知ったつもりになっていました。……本当は、何も知らないくせに」
半ば泣きそうにならながらも、司令官の少女は言う。
「……あなた達の、名前すらも聞こうとしなかったくせに」
「っ……!」
途端、レイトの中で、何かが弾けるような音がした。目を細めて、ぎりと奥歯を噛み締める。
少佐は右手を胸元に押し当てて、こらちを真摯なあおい瞳で見返してくる。再び、深々と頭を下げた。
「これまでのこと、本当に申し訳ありませんでした。許されるべきことではないと分かってはいます。けれど……!」
全員が、固唾を飲んで次の言葉に身構える。ややあって、少佐は不安を湛えた、けれども決然とした表情で顔を上げた。
「もし、許してくれるというのならば。どうか、あなた達の名前を……!」
「──あなた達の名前を、教えて頂けませんか……!」
衝き動かされる感情のままに、エレナはそんなことを口走っていた。
しばらくの間、その場には静かな無言の時間が訪れる。虫の声だけが、小さくその場に音を響かせていた。
エレナにとってその沈黙は、永遠にも思えるほどに長く感じて。微かに、後悔と恐怖が湧き上がってきた時だった。
「シャノン・リース」
「……!」
ハッとして、エレナは驚愕に顔を上げる。いの一番にに応えてくれたのは、蜂──もとい、シャノンだった。
彼女の顔を見やると、そこには見たこともない満面の笑みが咲いていた。エレナの目頭に、何か熱いものが込み上げてくる。
「……よかった。分かってくれて」
彼女の顔をよく見ると、目尻には涙の粒が浮かんでいた。ふ、と、エレナは少し霞んだ視界の中で微笑む。
よかった。シャノンの願いを叶えられて。
「セイ・ザ・ウィンザーだ。改めて宜しくな、レイエンダ少佐」
「──! は、はい!」
肩を竦めて名を教えてくれたのは、金髪金瞳の青年。副長の荒鷹だ。彼の言葉によって、重苦しい雰囲気はいつの間にか吹き飛んでいた。
信じ難い思いでいると、続けて、二人の少年少女の言葉が聞こえてきた。霞んだままの目線を向けると、彼らは微かに笑う。
「警戒兵のラウ・ヴィルシェーン。ま、改めてよろしく」
「堅実無比のアリス・スフェールよ。よろしくね? 少佐」
「は、はい! 二人とも、宜しくお願いします……!」
きゅ、と両手を胸元で重ねる。どこか、夢でも見ているかのような感覚だった。
「んで、少佐が来る前に逝った夜鷲がウォーレン・アクライドだ。ま、関係はなかったとは思うが、一応覚えといてやってくれ」
「ええ、勿論です」
エレナはゆっくりと頷く。アクライド少尉だけは、結局声すらも交わせずに終わってしまった。彼は異人種だったから、写真の一枚すらもありはしない。彼の生きていた証拠は、もう何一つ残っていないのだ。
けれど。
「アクライド少尉も、私の部下ですから。忘れませんよ。決して」
彼も、間違いなくこの第一〇一帝国義勇戦隊の一人だったのだ。エレナの指揮下にあった、一人の人間だったのだ。決して忘れたりなどはしない。
「ほら、レイトも意地張ってないで」
少し遠くで、シャノンがスカーレットと話しているのが聞こえた。何気なく目線を向けると、丁度スカーレットと目が合った。
彼は慌てて視線を逸らすと、ばつが悪そうな表情でぎこちなく口を開く。
「……ヴィルレイト・レインズ」
「…………!」
あまりに衝撃的な出来事に、エレナは目を見開いて息を呑む。まさか、あのスカーレットが名を教えてくれるだなんて。
視界がいよいよ霞んできていて、目の前が歪みきって何を見ているのか判別がつかない。電灯の光が、いつもより眩しく感じられた。
「これでみんなと仲直りです! よかったですね、少佐……って、少佐!?」
シャノンが、驚いた声でエレナの顔を覗き込んでくる。けれど、その顔もボヤけてよく見えなかった。
「え、今のでそんな泣く要素あった?」
「……あのね、ラウ。あなたはもう少し人の心を知った方がいいわよ」
「お前、こういう時は喋んない方がいいんじゃねぇの?」
「え、そんなに言われることした?」
「……まぁ、今のはないとおれも思うけど」
「まじで? ……、まじかぁ……」
エレナのすぐ近くで、遠慮のない冗談と笑い声が聞こえてくる。みんなの輪の中にようやく入れた気がして、益々涙が溢れてきては止まらなかった。
「ちょ、ちょっと、みんな! え、だ、大丈夫ですか!? 少佐!?」
「だ……いじょ…………、です……」
あれ、おかしいな。エレナは心の中で苦笑する。なぜか、ろくに言葉が出てこない。
「ぜんぜん大丈夫じゃないですよ!?」
一人戦々恐々とするシャノンに、エレナは苦笑する。だが、心の中は暖かいもので満たされていた。
ようやく、受け入れてもらえた。心の中で、エレナはひっそりと呟く。
私のことを本気で心配してくれているシャノン──リース准尉。
場を和ませてくれたウィンザー中尉。
軽い言葉で緊張を解いてくれたヴィルシェーン少尉。
気さくに接してくれるスフェール少尉。
もう、既に帰らぬ人となってしまったアクライド少尉。
そして、戦隊長のスカーレット──レインズ中尉。
これで、ようやく異人種と分かり合えた──いや、戦友達と正常な関係を築くことができた。
まだ、これはただスタートラインに立っただけに過ぎない。これからの行動で、彼らと本当の意味で分かり合えるのかどうかは決まってくるのだ。
──頑張ろう。この戦隊が無くなる、その時まで。この時、エレナは心に誓った。




