緋色と海色 3/5
翌日。レイトが起きた頃には、もう既に司令官の少女──もとい、レイエンダ少佐の姿はなかった。
結局、あのあとは三年前の記憶とシャノンの言葉が頭をずっと駆け巡っていて。寝れたのは、東の空が微かに明るくなって来た薄明の頃だった。
そして、目が覚めたのは午前の十時ごろ。そろそろ起きろと、セイに叩き起されたのだ。
遅い朝飯を食べながら、レイトはどこか暗い気持ちで快晴の空を見上げる。
──おれは、おれ達は。間違っているのか……?
そんな自問が、昨夜からずっと頭を離れない。レイトのやってることは間違いで、シャノンのやっていることが正しい。恐らく、それは事実だ。
相手は自分と同じ年齢の少女で、自分達の上司だ。それ以上でも、それ以下でもない。憎むべきは政策を考案し、決定したもの達であって、彼女ではない。
だけど。
「おれは……」
唐突に、敵接近の警報音が鳴り響く。
……今はそんなことを考えている場合じゃないか。レイトは思考を戦闘へと切り替えて、努めて冷徹な声音を作った。
「全員、戦闘配備。準備が出来次第、兵舎正門前へと集合しろ」
†
幸いにも空は快晴で、東の空は綺麗な薄明色に色づいていた。
静寂の中、早くも遠方で小さな砲撃音が鳴り響いている。音の方向からして、北の第九九戦隊だろうか。
まだ誰も起きていなかったので、とりあえず適当にジャガイモを蒸して朝食をとる。丁度、迎えの輸送機からもうすぐこちらに到着するとの通信が入った。相手のパイロットは勿論、ノア大尉だ。
片手に持ったジャガイモを齧りつつ、エレナは昨夜纏めた荷物を持って食堂を出る。暫くして、一機の双発機が駐屯基地へと着陸した。
「……迎えが来るとは聞いていましたが。随分と早い時間に来るんですね」
輸送機内の座席に座りながら、エレナは苦笑しつつ機内通信へと喋りかける。すると、帰ってきたのは意外な言葉だった。
「戦区司令官からの命令ですよ。朝イチに迎えに行って、指揮所へと送り届けろ──って」
「戦区司令官に……ですか?」
「ええ、そうですよ。いったいなんなんですかねぇ」
ノアが気怠げに呟くが、それはエレナの気持ちも代弁していた。もとより戦区司令官のところに行くつもりではあったが。なぜ、向こうからそんな命令が。
「……さあ?」
皆目見当もつかず、エレナはただ、判然としない思いで首を傾げるのだった。
時々世間話を挟みつつ、エレナは本国のグリマルディ基地へと辿り着く。そのままの足で第六三重砲兵連隊──第五四戦区防衛線旅団の直轄部隊だ──の指揮所へと向かった。
警備の兵に階級章を提示して、最奥の戦区司令部へと進み入る。扉を開けてすぐの階段を上がって、そのまま直進。突き当たりの部屋が、第五四戦区兼第六三重砲兵連隊の司令官室だ。
見慣れた扉を、こんこんと二回ノックする。中にいる司令官の返答を待ってから、エレナは失礼しますと言って扉を開けた。
背を向ける司令官に対して、エレナは完璧な敬礼を披露して口を開く。
「第五四戦区所属、第一〇一帝国義勇戦隊司令官のエレナ・レイエンダです。本日は、前線の戦況及び各種データの共有に参りました」
「そういう他人行儀なことをするのはやめて。別に面白くないわよ」
振り返って来た司令官の少女は、マグカップを片手に蒼玉の双眸を不愉快そうに細めて言い捨てる。だが、対するエレナは臆することもなく、少し困ったように苦笑するだけだ。
「……と、言われても。今のあなたは、私の上司でしょう?」
「いやまぁ、そうだけどさぁ……」
はぁと、司令官の少女は呆れたようにため息をつく。それを見て、エレナは敬礼を解いて肩を竦めた。久しぶりに会う親友に、自然と笑みがこぼれる。
「冗談よ。……久しぶり、イヴ」
「ええ、久しぶりね。エレナ」
この数週間で得られた各種戦闘データと、前線の戦況等を報告し終え、エレナは来客用のソファへと腰掛ける。副官に差し出されたコーヒーを啜りながら、イヴへと個人的な話を口にした。
「にしても、驚いたわね。まさか、あなたが私の後任だったなんて。研究の方はどうしたの?」
イヴが第五四戦区の司令官に着任していたのは、今朝知った。ノア大尉との世間話の最中で。
一応、軍規では、隊の指揮官が何らかの形で居なくなった場合、副官がその任を引き継ぐこととなっている。だから、エレナの副官であったイヴが、司令官に着任すること自体は自然なことではあるのだ。
しかし、イヴは元々研究棟の人間で、そちらが本業だ。本来、エレナの副官としてこの部隊に所属していたことすらもおかしいわけで。引き継ぎなど、拒否すれば容易に了承されたはずだ。
対するイヴは、あっけらかんとした様子で答える。
「研究の方は大方完成してるし、あとは細かい調整をして秋のコンペに備えるだけよ。副長にあとは引き継いでもらってるから、心配はいらないわ」
「……」
要するに、全て副官に押し付けてきたと。
気の毒に。研究棟でよく見た、気弱そうな白衣の男性を空見した。
「んで、なんで継いだかだけど、それはあんたが飽きた時にすぐに帰って来れるようにするためよ。私はここがなくなっても元の研究棟に帰れば良いだけだけど、エレナはそうもいかないでしょ?」
「飽きた時に……って。イヴ、あなた私をなんだと思ってるのよ」
他の将校達にならともかく、イヴにそんなことを言われるのは心外だ。エレナは苦笑を漏らす。
「任された以上は、最後まで全身全霊でやり遂げるわ。それが私の仕事だもの」
「……で。今のあんたはそれができてるわけ?」
「う、」
痛いところを突かれて、思わず変な声が出た。順調でないことを悟ったイヴが、心配そうな表情を向ける。
「やっぱり。あのね、エレナ。異人種の連中とまともな関係を築くなんてことは無理なのよ。特に、エレナ。あんたは蒼月種なんだから」
「…………」
エレナは沈鬱な表情で俯く。蒼月種。彼ら異人種を収容所へと押し込め、過酷な労働を強制し、絶死の戦場へと駆り立てた、皇族と同じ深い海色の双眸と、月白の銀髪を持つ、天青種の貴種。
昨夜の、スカーレットの言葉が甦る。
お前は、おれ達のことを知ろうともしていない。そもそも、知る気すらもないのだと。
「ねぇ、エレナ。やっぱりこっちに帰って来なよ。あなたのいる場所は義勇戦隊じゃない。あなたがやるべきなのは、戦区司令官に戻って、再び出世街道に乗ることでしょ? 違う?」
あおい瞳に不安を湛え、イヴが畳み掛けるように促してくる。それもまた事実なのだろうな、とエレナも思う。
階級が上がれば、私の家名目当ての求婚も少なくなるだろう。自分の身を自分で守れるようになって、アークニール中将を安心させることもできる。何より、前線に出ることがないから、死傷する危険性も少ない。そして、親友のイヴはそれを望んでいる。
けれど。
「でも、それは駄目だと思うから」
深い海色の双眸に、微かな、けれども強い光が灯り始める。
両親は七年前、帝国国民の全員を守ろうとして死んだ。兄も、異人種の人達と一緒に前線に赴いて、戦って、死んだ。
私は、兄や両親のようになりたい。異人種だからって差別せず、平等に接し、守ろうとして死んだ、彼らのように。
それに。
彼は──スカーレットは、部屋に消え去っていく直前、放った言葉の意味を考えろとも言った。
失意と、微かな希望を含んだ声色で。私は、彼の希望に応えたい。異人種全員と分かり合うことはできないのかもしれない。けれど。共に戦う彼らとなら、まだ。
最初から分かり合えない、相容れないと決めつけて。遠ざけて。問題から目を背けることは、彼らに対する大きな侮辱だ。許されることではない。
絶景の星空の中、シャノンの放った言葉が脳裏に焼きついて離れない。懇願にも見えたあのあかい瞳が、やけに記憶に残る。
──これ以上、あの人を失望させてやらないでください。
彼女の願いにも、私は応えたい。あんなに私を慕っていてくれる少女の願いすらも叶えられないと、私は思いたくない。
「私は今の戦隊に残るわ。最後まで」
「…………そう」
重い、沈黙の時間が二人の間におりる。暫くして、イヴが不意に口を開いた。
「……でも、どうするの?」
「え?」
「現状、あいつらとは上手くいってないんでしょ? 報告を見た感じ、指揮とかに支障は出てないみたいだけど」
問いの答えに、エレナは詰まる。実際、戦闘指揮や補給など、実務上に大きな支障はきたしていない。ただ、空気感が最悪、というだけで。
「……シャノン・リース」
誰に言うでもなく、ぽつりと言葉が漏れ出た。それを聞いたイヴが、訝しげな顔でこちらを見つめてくる。
「ん? 誰の名前?」
「蜂の本名……だそうよ。他にも出身やら年齢やらを突然言って、これがヒントだ、……って」
「公式から削除された個人情報……ってとこか。でも、それがなんのヒントに……?」
それきり、イヴも考えを巡らせて押し黙る。再び、静かな沈黙の時間がおりた。
出身地、年齢、血統、名前。どれも、個人情報という共通点を除いて、何ら関係性はないように思える。異人種だから、公式の記録は全て抹消されているけれど。
「…………ん?」
そこで、何かが引っかかった。公的には抹消された個人情報。書類だけでは絶対に分かり得ない、消された情報。知ろうとしなければ、絶対に辿り着けない、暗闇の中にある情報。
──おれ達のことを知ろうともしない。
──そもそも、知る気がないんだ。
スカーレットの言葉が甦る。
──なら、おれの言った言葉の意味でも考えたらどうですか。
「……!」
エレナの中で渦巻いていたものが、一気に弾け飛んだ。点と点が線で繋がって、一つに収束していく。
……ようやく分かった。スカーレットが言っていた言葉の意味も。彼らが私を嫌っていた理由も。シャノンが、唐突に個人情報を開示した理由も。全て。
がたと、弾かれたようにソファを飛び退いた。床を蹴って、咄嗟に扉へと走り寄る。
扉を開いたところで、イヴが慌てて声をかけてきた。
「ちょ、ちょっと! 急にどうしたのよ!?」
対するエレナは、嬉しいような、それでいて胸が締め付けられるような思いで感謝の言葉を口にする。
「ありがとう、イヴ!」
「え? は? ……え?」
呆気にとられているイヴの気持ちなど一顧だにせず、エレナはすぐさま飛行場へと走り去って行った。




