第三章 緋色と海色 1/5
『砲兵型の支援砲撃が終了しました。こちらで敵機の存在は確認できません』
「了解。こちらの方でも、〈ディヴァース〉の撤退はレーダーで確認しています。よって、本日の作戦行動は終了。みなさん、帰投して頂いて構いません。…………今日もお疲れ様でした」
『少佐も、お疲れ様です』
エレナが第一〇一帝国義勇戦隊の司令官に着任してから、数週間が経った。
今日の出撃でも戦死者数はゼロ──どころか、負傷者すら居なくて。設立初日に戦死した夜鷲を除けば、未だにこの戦隊には人的被害が出ていない。
全員が個人呼出符号の持ち主であることから、少数精鋭の部隊だとは予測していた。が、彼ら強さはエレナの想定をはるかに超えるものだった。
たった五人の戦隊であるにも関わらず、一度の出撃による撃破率は約七割にも及ぶ。これは、西部戦線でもトップクラスの撃破率だ。エレナと同年代の少年少女達がこれを叩き出しているのだから、驚嘆するほかない。
一通りの報告書類を作成し終えて、エレナはひと息ついてから司令官舎を出る。外はもうすっかり日が落ちていて、空には無数の煌めく星々が見えた。冷たい夜風が、彼女の銀髪をなびかせる。
〈ディヴァース〉の行動時間は、七年前から決まって日の出ている間だけだ。すっかりくつろいだ気分で、エレナは満天の星空を見上げた。
真っ暗な足元に注意を向けつつ、いつも通り兵舎へと向かう。正面の扉を開けると、そこは食堂だ。
「こ、こんばんは」
踏み入ると同時に、いつも通り挨拶をする。
返す言葉はなく、当然、彼らには見向きもされない。
……食事だけは毎日作ってくれているし、戦闘中の指揮にも毎回反応してくれている。なので、完全に無視されている、という訳ではないのだろうが。
胸がちくりと痛むのを感じながら、エレナは夕食のプレートを手に取る。座る場所を少し逡巡したのち、戦隊員達から少し遠い場所へと腰かけた。
「あれ、今日の当番はスカーレットだよね。なんでこんな美味しそうなの?」
「今日のはホーネットに手伝って貰ったんだよ。……てか、なんだよその質問は」
「だって、この前作ってたやつ、めちゃくちゃ酷かったし」
「そこまで言うほどじゃないでしょ?」
「いや、ほんとに酷かったわよ。食材が可哀想だったもの」
「え、ほんとに? ……シャ、ホーネットはどうだった?」
「えと。……少なくとも、美味しくはなかったです」
「てな訳で。お前の飯のマズさは満場一致の事実だ、諦めな」
「……覚えてろよ、お前ら」
戦隊員達の楽しげ(?)な談笑の声が聞こえてくる。けれど、もう一ヶ月近くになるというのに、エレナは未だに彼らと打ち解けられずにいた。
プレートにはいくつかの食材が載っているが、本国から義勇戦隊に配給されるのはジャガイモだけだ。生きる上では、最低限の食糧の。
つまり、他の鹿肉や野菜は、ここの戦隊員たちが独自に調達しているということになる。
「いただきます」
手を合わせて言ってから、エレナは一人で黙々と夕食をとる。
蒸したジャガイモを一口食べて、驚きに目をぱちくりさせた。
というのも、今日のジャガイモは硬さが丁度良くて、なおかつ塩も絶妙に効いていて食べるのに少しの苦労も覚えなかったからだ。いつもは硬すぎたり、柔らかすぎたり、塩が効きすぎていたりと、割と散々な食感だったのに。
鹿肉は今日初めて食べたが、どうもこれは羊肉よりも少し柔らかくて淡白な味だ。しかし、適量を振った塩胡椒が、その淡白さを見事に打ち消している。
今までとは一味違う夕食に惚れ惚れとしていると、ふと、軽い足音がこちらへ向かって来るのが聞こえた。食事を一旦止めて、音のした方へと顔を向ける。
すると、隣の席へと座り込んできたのはホーネットだった。エレナと同じ天青種の銀髪に、スカーレットと同じ紅黒種の赤瞳。この戦隊では最年少で、最も背の低い。
今のところ、彼女が唯一、エレナに心を開いてくれている戦隊員だ。年相応に無邪気で、けれども、とてもしっかりしている子。
「今日の夕ご飯はどうですか?」
にこにこと無邪気な笑顔を向けられて、エレナの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
「どうって……おいしいですよ。鹿肉は程よく火が通っていますし、塩胡椒の量も絶妙です。ジャガイモも、今日のは塩の度合いが丁度よくて、いつもより一段とおいしく感じました」
「ほんとですか!? やったぁ!」
「……え? うん…………?」
満面の笑みでガッツポーズを作るホーネットの傍らで、エレナはただただ困惑する。すると、彼女は顔を綻ばせながら、心底嬉しそうに言ってきた。
「みんなには内緒ですけど、今日の夕食、実は私がつくったんですよ!」
「そうなんですか? ……ホーネットは料理が上手いのですね」
「そうなのかな? でも、本国の人にそう言ってもらえるのならば、上手いのかもしれません!」
隣ではしゃぐホーネットを、エレナは暖かい気持ちで見守る。中々夕食に手をつけない彼女を見かねたのか、もう食べ終わったらしいスカーレットが声をかけてきた。
「シャ……ホーネット。喋るのもいいけど、まずはご飯ちゃんと食べなよ」
「あ、そ、それもそうですね。ごめんなさい」
「いや、別に謝ることじゃないけどさ……」
しゅんとするホーネットを見て、スカーレットは困ったように苦笑を浮かべる。しかし、彼はエレナに気がつくと、途端に鋭い視線を向けてきた。嫌悪のこもった、燃えるような真紅の双眸を細めて言い放つ。
「あんたも、一緒にいるなら注意ぐらいしてくださいよ」
「……すみません」
「ほんと、そんぐらいはやって下さいよ。どうせ何にもできないんだから」
返すエレナは無言のまま、俯く。
戦隊長のスカーレットは、度々正面から嫌悪感をぶつけてくる。そして、その度に。エレナは、天青種と異人種の──正規軍と義勇戦隊との溝の深さをまざまざと実感させられる。
いや、私が甘かったのだ。頑張れば受け入れて貰えるなどと、どこかで楽観視していた自分が。
そのまま、スカーレットは不機嫌そうに食堂を出ていく。食堂内がしんと静まり返る中、隣にいたホーネットだけが立ち上がって、スカーレットの背を追って行った。
「さっきのは流石にちょっと違うんじゃないんですか?」
声をかけられて振り返ると、そこには追いかけてきたらしいシャノンがいた。同じ真紅の瞳には微かな怒りが交じっていて、レイトを叱るように見上げてくる。
「さっきので悪かったのは私であって、少佐は関係ないじゃないですか」
「…………でも、事実だろ」
再び背を向けて、レイトは冷たく言い放つ。
戦闘の指揮は、別にあいつが居なくても困らないし、補給の手配に関しても同様だ。今まで居なくてどうにかなってきたのが来たところで、不愉快で邪魔なだけだ。ことに、蒼月種ならば。
「で、でも! 少佐は……!」
「何も違わないよ。分かるだろ?」
レイトに諭されて、シャノンは言葉に詰まる。
「もうそろそろあいつが着任してから一ヶ月だ。けど、あいつはおれ達のことを知ろうともしない。……いや、そもそも知る気がないんだ」
またも真紅の双眸に激情の炎が灯る。嫌悪の感情が、心の底から湧き出て来ては止まらない。
「あいつは前線に来て、一緒に過ごしただけでやった気になってるだけなんだよ。そんで、そんな自分に酔ってるだけだ!」
シャノンは答えない。薄暗い廊下の中で、俯いたまま動かない。
「なぁ、シャノン。あいつと関わるのは──」
ぱちん。
「…………え?」
唐突に、頬を思い切り叩かれた。突然のことに呆気にとられていると、シャノンがぐっとレイトを見上げて睨んでくる。
泣いていた。
「そうやって天青種だからって差別して、みんな嫌って! それじゃあ同じじゃない!」
「え……いや、」
「レイトのばか!」
そのまま、シャノンは自室へと走り込んでしまった。遅れて、がちゃりと鍵のかかる音がする。
叩かれた頬が今更になって痛み出す。思考が冷静になってきて、ようやく自分の言動の愚かさに気がついた。
守ると誓った相手を泣かせて、傷つけて。あまつさえ、彼女の善良な行動を咎めようとして。止めさせようとして。
…………なにをやってるんだ、おれは。
ぐっと、両拳を握り締めた。これでは、異人種を差別している天青種と同じじゃないか。
歯をぎりと噛み締める。激しい自己嫌悪に陥りかけた、その時だった。
かた、と小さな物音がして、レイトの思考は現実へと引き戻される。
「誰だ?」
「……えっと。その。盗み聞きとか盗み見しようとしていた訳ではなくて」
「……あんたですか」
階段の死角から出てきたのは、司令官の少女──レイエンダ少佐だった。深い海色の瞳には、あからさまな動揺が見て取れる。
「こんなとこまで来て、いったいなんの用です?」
「あ、いや、その。明日から四日ほど休暇でこちらを離れるので、その報告をと思いまして……」
しどろもどろになって答える司令官の少女を見て、レイトははぁと露骨にため息をつく。
目線を彼女から外して、呆れたように言い捨てた。
「別にいりませんよ、そんな報告。あんたが居ても居なくても、特になんも変わんないんですから」
「そ、それはそうかもしれませんが……!」
反論しようとする少佐を制止して、レイトは耳につけた通信機を指さす。少し苛立ちを覚えながら、ぶっきらぼうに言葉を返した。
「別におれのところに来なくても、通信機で言えばいいじゃないですか。その方がお互い、嫌な思いをせずに済むでしょ」
「で、ですが……」
「なんです、まだなんかあるんですか」
なおも言い縋ってくる司令官の少女に、レイトは露骨に嫌悪感を示す。正直、とっとと帰って欲しい。
彼女は暫くの間口を噤んでいたが、どうやら何かを言う決心がついたらしい。胸に右手をぎゅっと押し当てて、キッとこちらを見据えてきた。深い海色の双眸が、不安を湛えてレイトの赤瞳を映し出す。
「私は、どうすればあなた達に受け入れて貰えますか?」
「…………は?」
スカーレットは意味が分からないとばかりに、目を細めて呆気にとられていた。けれど、今言わなければ、二度と彼らとは分かり合えない気がして。エレナはどうしても言わずにはいられなかった。
「この数週間、あなた達は私の食事も作ってくれました。戦闘での指揮も、大抵の場合は聞いてくれています。……けれど、」
そこで、エレナは言葉に詰まる。少しの逡巡ののち、再びスカーレットに目を合わせて、言葉を紡いだ。
「あなた達とは、全く打ち解けてない」
食事はエレナの分まで用意してくれている。戦闘での指揮も、聞いてくれている。けれど。
それまでだ。戦闘中の指揮と、最低限の事務連絡以外の話は、ホーネットを除くと一度たりともしたことがない。何が早急に欲しいのか、何がより多く欲しいのか。そういう、補給における細かな話ですらも。
このままでは絶対にダメだ。今はまだ何とかなっているけれど、いつ、瑕疵が生じるか分からない。それこそ、戦死者が出てからでは遅いのだ。
そして。何よりも。
「私はこの戦隊の司令官で、あなた達の指揮官です。友達に……とまでは言いません。ですが、最低限の交流ぐらいはとりたいのです」
言い終えて、エレナは自分の心臓が激しく高鳴っているのを感じた。
お互い無言の、重い重い沈黙の時間が続く。次にスカーレットが言葉を紡ぐまでの間、エレナにはその時間が無限にも感じられた。
「…………なら、」
再び、真紅の双眸がエレナの瞳を映し出す。嫌悪とはまた違う、曇ったあかい色をしていた。
「おれがさっき言った言葉の意味でも考えたらどうですか?」
言ったっきり、スカーレットはエレナに背を向けて、自分の部屋へと入っていく。がちゃりと、鍵の閉まる音がした。
その場に一人取り残されて、エレナは呆然と立ちつくすのだった。




