第二章 第二幕 邦の成立ち
「茂玄さん、おはようございます」
「茂玄さま。おはようございます。昨日は直ぐに寝てしまって……」
俺が目を覚まして伸びをした時に、声が掛けられた。
「えっと」
「あんた。寝ぼけてんじゃないの?」
そうだ。昨晩、斥堠に出た時の事だ。摩訶不思議な事象に巻き込まれた。そして、美女三人と旅に出る事になったのだ。
夢の様な気がしないでもないが。前世の記憶、そして彼女たちが目の前にいるのが、現実の証拠だ。
「葵衣、朱莉、蓉子。おはよう。俺が一番遅かった様だな」
「茂玄さんも目を覚まされたので、朝食にしませんか?」
ファンタジー物の鉄板である、火を囲んでの食事。ある意味オタク冥利に尽きる。常糧袋から野菜や芋を取り出して、蓉子の炎魔法で焼いて食べる。
現世の俺にとってはご馳走ではあるが、葵衣や蓉子にとってはどの様に映るのだろうか? 朝食と言えば、和食ならご飯とみそ汁。洋食ならパンとハムエッグ。それらに比べれば今の食事は華やかさに欠ける。まだ一日も経っていないんだ。歩きながらでも考えよう。
火を囲ながら簡単な食事を終えた。
そして、これからの事について質問をした。
「甲斐武田の牽制になりうる人物、上杉謙信。関東管領という役職名も格好いいな! こんなことなら、歴史ゲームもやりこんでおけば良かったよ」
いくら勉強が嫌いでもゲームは別だ。そしてアニメなどでも鉄板ネタでもある。
武田信玄は「甲斐の虎」、上杉謙信は「越後の龍」とそれぞれ二つ名を持っている。
そして川中島で激突している。馬に乗って単騎で斬りかかる謙信に軍配一つで身を護った信玄。この一騎打が有名だ。まぁ、未来を知らない朱莉には意味不明だと思うが――
「えっと。謙信様本人ではないですが、一応親族になると思います」
葵衣が考えながら答えてくれた。
「あんた、状況判ってんの? ゲームと現実は違うの。そのお花畑をなんとかしないと本当に死ぬわよ」
歴史への想いを語ったそばから、蓉子に釘を刺される。
「わかってるよ」と返すも、蓉子は疑いの視線で俺を見ていた。
「ねぇ。ここって本当に過去の日本なのかしら? 外国のモンスターが出たり、魔法が使えたり」
「そういえば、蓉子さんの指摘も考える必要がありますね」
「葵衣の知っている範囲で、この時代までの整理をしない? わたしと朱莉の知識との照らし合わせ。そして、オタクバカへの教育も兼ねて」
確かに、俺の前世の知識は偏っていると思う。けど、今世ではそれなりに寺で学んだ身でもある。ただ、言い訳したところで、蓉子には丸め込まれるだろうし、本当に違う過去の日本に来ていたら、それはそれで興味深い。
「わかりました。でも、私も学校で習った範囲ですけど……」
「わたし個人としては、未来の学力も興味があるわね」
葵衣は軽く咳ばらいをすると、有史の日本を語り始めた。
「この日本の邦は、天皇家つまり帝が治めておられます。しかし全てに於いて、一人で治める事は不可能です。ですから分家した親族や、邦の樹立に貢献した家臣たちが実務を執り行いました」
葵衣が挙げたのは、俺も名前を知っている人物も含まれていた。
「例えば、推古天皇の親族で摂政となった聖徳太子。天智天皇の即位に尽力した中臣鎌足。後に藤原姓を賜り子孫が政治力を持ちました」
「即位に尽力。という事は、天皇の座を争ったんでしょ?」
「そうですね。仏教派の蘇我氏と神道派の物部氏の宗教争い。勝利した蘇我家の入鹿は聖徳太子の息子の山背大兄王を自害に追い込む。力を持ち過ぎた|蘇我氏の蝦夷と入鹿を排除。つまり殺害したのが、天智天皇と中臣鎌足」
「所詮は権力争いにも明け暮れていたのね―― 偉そうに、神の子孫を名乗っていても――」
「家族同士で殺し合いを行うのですか?」
「そうだな。権力を持つ者は、自分が殺される前に、敵になりそうな者を殺す。お互い疑心暗鬼になっているんだ」
朱莉は悲しそうな顔をしていた。
「帝は飾り。公家、つまり貴族の勢力争いとなっていきました」
「逆に飾りであったが故に、残れたのかもね。他の邦では、国が亡びる時には王族は皆殺しになる。後顧の憂いを断つために――」
「そういえば、前世では日本の皇室は一番歴史が永いって聞いたな。なので特別扱いされているとか」
「そうですね。事実はともかく共通暦、えっと西暦より六六〇年古いですから」
「話を進めるために、葵衣に振るけど。武家の誕生と幕府統治までの流れをお願い」
「はい、蓉子さん。始めは国民、と言っても奴隷の様な物ですが――」
公家以外のつまり、国民には主に三種類の税をかける。『租・庸・調』。年貢、兵役、そして特産物だ。田畑は帝の物であり、土地を貸し与えた形となる。それに加え、公共事業への参加が義務らしい。
しかし人口増加による食糧難。兵役による働き手不足などが起きる。食料増産計画の一環として田畑の開拓政策を行う。新たに開拓した土地は、開拓者に貸し与え一定期間は無税にするものだ。
「バカは喜ぶかもしれないけどね。一定期間経ったら、また税を搾り取られるのにね」
「蓉子さん。それでも田を広げないと、苦しくて、しょうがないかもしれませんか?」
「まぁ、この時代の考えならそんなもんかもね」
「はい。そこで二十年後に、『墾田永年私財法』を発令。開拓した土地の権利は開拓者の所有物になりました」
「それで、なんで武家が出てくるんだ?」
「あんたもバカね。私有地になったら取られる可能性もあるでしょ? 自分の土地は自分で守る」
「そうです、自警団の元祖ですね。その土地が荘園や寺社領となっていきます」
「あの葵衣さん。自警団とは?」
「自分たちを守るための私的な組織ね。武力を蓄えて攻め入られるようにする人たちよ」
「そのような方々で、邦を治められるのでしょうか?」
「言われてみれば、そうだな……」
武士であり、戦国時代に生まれ育ち、当たり前になっていた。朱莉もこの時代に生を受けたが、俺たち市井とは違うのかもしれない。
「大陸の文化だろうけど、為政者はロクな事をしないわね」
「それでも、人々が研究し、『人権』を生み出した事は凄い事だと思います。私がいた時代でも、権利を蹂躙されている人は少なくはありませんでしたが……」
ぽかんと聴いている朱莉に、人権の説明を行う。誰しもが平等で生きる権利があること。しかし、それが確立しても虐げられる人がいる事も。
「はいはい。この話はもう終わり。葵衣、武家の話を続けて」
蓉子が両手を叩いて、重くなっていた場の空気を入れ替える。
「えっと、茂玄さん。今、邦を治められる職名を仰ってください」
「将軍だろ?」
「正式に」
「征夷大将軍、だっけ?」
「意味は解りますが?」
そういえば、『大』の意味は解る。ただ、征夷の意味は不明だ。
「いや、考えた事も無かったよ。どんな意味なんだ?」
「大陸には中華思想というのがあります」
葵衣は中華思想について説明してくれた。
中国の『中』の字。つまり真ん中に位置するという意味だ。
自分たちの邦は文明が栄えている。なので、辺境は全て劣っている。だから文化を分け与えているという、上から目線なのだ。
「東西南北の異民族にそれぞれ、『東夷』、『西戎』、『南蛮』、『北狄』と命名していました。ですから、『南蛮』というのはあまり良い言葉ではないですね――」
「なら、西洋人を南蛮と呼ぶのはおかしくないか?」
「当時は東南アジアを周って、南から来たのです。ですから南蛮と」
「つまり日本人が西洋人をバカにしていたんだな」
「そうです」
鉄砲が伝来したのがヨーロッパから。文明は進んでいると思うが、それでもバカにしていたのか。中国人がバカにしていたから、それを真に受けたのかもしれないが。
「まぁ昭和の時代にも、中国を『支那』、朝鮮人を『チョン』と呼んでいたしね」
「蓉子は昭和に生きていたのか?」
「まさか、そんな訳ないでしょ。歴とした平成生まれよ。ただ、差別用語は一通り知っているつもりよ。お互いを敬うためにね」
後半は嘘だろうと思うが、まぁ差別用語を使わない様にするに越したことはない。しかし、『支那』や『チョン』という単語があったんだな。
「茂玄さん。それで、『征夷』の意味は解りましたか?」
「東夷は東、それを征伐する。つまりアイヌ人を?」
「大和朝廷の敵は東のアイヌ。初代は坂上田村麻呂。以後、武家の棟梁が征夷大将軍となったのです」
「なるほど。それで、征夷大将軍と管領の関係は?」
「無知は最後まで聞いてから口を開きなさい」
蓉子に叱られる。苦笑いしながら葵衣が続ける。
「もちろん、将軍は武家の棟梁ですから一番権力を持っています。しかし邦全体を管理するには日本は広過ぎます。そこで幕府は権力の一部を地方に置きました。その一つが関東管領です」
「確かに、甲斐一国領主と幕府の出先機関では格が違い過ぎるな。牽制には持って来いだ」
関東管領上杉家なら甲斐武田に相当のプッシャーになる。
「やれやれ単純ね。幕府の体制が磐石なら戦乱になっていないでしょ? あんたの好きな川中島も、大名と管領の対決。権力の差がすごいでしょうに」
納得している俺に蓉子が割り込む。
なるほど。言われてみれば、幕府どころか天皇家も瀕しているだったな。
「関東管領は関八州を治める家柄。それに伊豆や東北もその支配下です。事実上、日本の三割を管轄していると言っても過言ではないでしょう」
葵衣の説明は続く。
関八州は前世の関東地方に該当する。上野・下野、武蔵に相模。常陸、上総に下総そして安房。
関東管領に就いている上杉家も四つの家に分かれている。現在は山内上杉家。それと扇谷上杉家が拮抗。その四家で宗家の座と関東管領の地位とを巡って、権力争いが続いている。
そして、関東管領も影響力を持つ国々にも下剋上が起きて大名家となっている家も多い。南関東は北条家や里見家。東の常陸は佐竹家。他にも小領主でも独立の気運が芽生えている。
なので幕府から見れば、上杉家の力は衰え楽観視はできない状態だ。
葵衣は一呼吸を置いて、説明を終えた。
「本当はもっと複雑なのですが、掻い摘んで説明するとこんな感じになります」
葵衣先生の説明はとても解りやすかった。
中学時の歴史の教師。名前は忘れたが、あの狸親父の退屈な授業。葵衣が先生だったら歴史の認識は変わっていたかもしれない。
次回、初めての野営!
解説も併せてお楽しみ下さい。