第一章 第五幕 ヲタクの目覚め
「なら、話は早いわね」
蓉子と名乗る彼女の、意外な言葉を聞いて、そちらを向く。
「え? そんなに簡単なの?」
「あんたも鈍いわね。そこの魔女狐・さ・まが、原因を突き止め、解決する。それまでに異邦の珍天狗・さ・まが害虫を駆除すれば良いだけでしょ? わたしは、こんな身体になったけど。まぁ、適当に余生を過ごすわ」
二人の神に、嫌みを含めて返すところが凄い。しかも咄嗟に『珍天狗』と名前を付ける所も。
しかし、言われてみれば人間である俺たちの手に余るものでもない。
「使魔風情が……。お前の邦が原因だぞ」
「そうかもね。でも、元の狐が斬られたのは、あんたの邦の魔物のせい。つまり因果が崩れた後の事だから、わたしは無関係。ついでに葵衣が時を超えたのも、同じでしょ?」
異邦の女神は口惜しそうに震えている。ぐうの音も出ないほど、核心をついてしまったからだ。
豊受気媛の説明によれば、俺から葵衣さんへの履物が一因ともいえるかもしれない。しかし、妖力を持つ狐におびき寄せられたのだろう。そうだと信じたい。
「豊受気媛さま。異邦の女神さま。もし、その因果のもつれが元に戻ったら、葵衣さんと蓉子さんはどうなるのでしょうか?」
「陰陽師の娘よ。理の乱れは、別天津神も関せぬこと。吾では知りかねる」
「無責任な神もいる者ね。それを讃える蛮族も大概かしら」
「全知全能を語りながら、解決手段も教えない神もね。そして、そんな神に仕える天狗もね」
「皆さん、落ち着いてください。ここに転送されたのも何かの御縁。帰る方法が分かりませんので、私が調べてきます。そして、解決手段が判明したら御協力下さい」
俺と陰陽師の子は葵衣さんを見る。そして蓉子さんは、目だけを彼女に向ける。
「薙刀の娘よ。人の世の詳らかな事は知り得ぬこと。其方に頼むとしようぞ」
「自分では解決できないから、人間を使うのかしら? でも、蒔いた種は自分たちでやって貰いたいわね」
豊受気媛は、俺たちを見る。異界の女神も俺たちを見る。
「世の理を知り、正すのが陰陽師の仕事。あたしもやらせていただきます!」
朱莉と名乗る陰陽師の少女が、その声に反して固い意志を告げた。
「せっかく黄泉帰って得た、この身体。何もせずに余生を過ごすのも退屈そうだから手伝いくらいはするわよ」
妖狐の蓉子が軽口を飛ばす。
さて、美人五人の目が俺に向けられる。
「え? えっと、俺は――斥堠を命ぜられているから……」
「まぁ、危険な旅になるかもしれないから、軟弱な坊やには無理でしょうね」
異邦の女神に揶揄われる。
「いや、俺も行きたい。でも、城のみんなに迷惑をかけるわけにはいかないし……」
「では、其方の存した証しをすべて消してやるぞよ」
俺の咄嗟の反応に、豊受気媛が解決策を提案。
「おう、なら俺も行く」
勢いで言ってしまったが大丈夫なのだろうか?
豊受気媛は何か祝詞の様な物を唱えた。そして、俺を知る人から記憶が消えた事を伝えてくれた。
「さて、其方らには旅の介をしようぞ」
豊受気媛は俺たち四人に向かう。
「まずは葵衣。其方の身体は、この代には適しておらぬ。刻を超えたし、罹らぬ病も多い」
といって、身体に触れた。葵衣さんの身体が光ったかと思うと、これで病には罹らないという。
「病に対処しても、いつ終わるか判らないわよね?」
異邦の女神は、俺たちに不老の術をかけた。明らかに豊受気媛に対抗しているのが分かる。
「吾は豊穣の神。其方らの旅にて食に困らぬよう、これを遣わす」
俺たちにそれぞれ、腰袋を渡す。『常糧袋』と言って、好きなだけ水、食材を出せるらしい。
「なるほど、これは便利ね。で、こちらの女神様はお酒とかどうです?」
蓉子が対立を煽る。先ほどの険悪とは正反対。狐ゆえの処世術かもしれない。
「エールは我の得意とするところ。いでよ『酒の宴』。これで最上級のエールも蜂蜜酒も尽きることなく呑めるわよ」
「で、異邦の女神様はお酒が無尽蔵に出せるそうですけど、稲荷の神様に出来ないわけがないですよね?」
「ふむ、米より造られし酒は格別だからの。では、其方にはこの那由多瓶子を下賜しよう。良質の酒を嗜むがよい」
豊受気媛も異邦の女神に対抗心を燃やしているな。上手く焚き付ける蓉子は凄い。
「あら、葵衣。その装備では怪物相手に劣るわよ。これを差し上げましょう」
葵衣さんが一瞬光ったかと思うと、見た事のない着物に着替えていた。やや露出のある服、肘まである布の籠手、膝まである履物。
「聖なる布で作られた、『ウルザブルン』。無双の力を発揮できる、『イーヴァルディグレイプル』。そして、俊敏さと跳躍力を高める『レッテフェッティ』」
やばい、なんだあの姿は。魔法少女そのままではないか!
あれ? 『魔法少女』? また覚えのない言葉が頭をよぎる。
「ウルザンブルは清い布、汚れることはないわ。ただ茂玄はあれでも殿方。オシャレは気にしないとね。それと下着も大人っぽく替えましょうか?」
よく聞こえなかったが、葵衣さんは顔を火照らし服の中を見た。俺は咄嗟に体の向きを変えて見ないようにした。
「あと、体臭は自分でね。あのケダモノが発情するから」
こんな感じで、豊穣の女神と異邦の女神の間で誇りを賭けた闘いが行われた。
つまり品々の提供や各種の加護が与えられる。
俺には、なんでも入る異邦の背負子が充てがわれた。
「あ、そういえば」
と言って、異邦の女神が葵衣さんを見る。
「蛮国の武器は、怪物と戦うと壊れてしまう粗悪品よね。もっと切れ味の良い武器をあげるわ。狼鉱石でできた刃。槍は不得手でしょうから、先ほどの武器と同じ形にしたわ」
ちらっと、豊受気媛を見て笑みを浮かべる。豊受気媛は負けずに返す。
「異邦の打ち物は刃のみを使う、むくつけし物。吾の邦ではすべてを使い、戦う術なり」
と言って、葵衣さんの持つ薙刀に触れ、柄が鮮明な赤に染まってゆく。
「これぞ、吾の邦に伝わる聖なる金物、緋緋色金。刃が砕けようとも戦えるものぞ」
これは、異邦女神に対する最大の侮辱だろう。豊受気媛も負けていない。
「あ、ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
葵衣さんが二人の間をどのように渡り歩いたら良いか迷っている。
暫しの時間が空く。これで終わり?
「ちょっと待って、俺への恩恵は箱だけ? 武器は?」
俺は近くにいた、異邦の女神の肩に手をかけた。
「うるさい」
異邦の女神は、俺を見るなり槍で頭を叩く。かなり気が立っていたんだろう。
まぁ、与えた武器に手を加えたのだから、誇りは踏みにじられたのは間違いない。でも、俺が叩かれるのには納得がいかない。薄れゆく意識の中で考えていた。
…………
真っ暗な空間が広がり、その中心に俺は居た。周りの色が徐々に鳶色に変化する。
色が鮮明になったとき、見た事が無いような小部屋に居た。
面が高い机、話に聞く帝が座るような腰かけ。幾重にも布が重ねられた布団の様な物。そして丁寧に綴じられた書物に、不思議な箱の数々。
見た事が無い? いや違う。あれは机、椅子、ベッド。そしてコミックやラノベ、それに、あまり見たくない教科書だ。そして、テレビにパソコン、ゲーム機――。
確かに俺は、ここで生活をしていた。
机に置かれた卓上カレンダーを見る。
『令和二年八月』
写真立てを見つけ思い出す。
これは兄貴の大学入学時に家族で撮った記念写真だ。実はあまり飾りたくなかったのだが、父から命令され嫌々置いていた。父の意向は『兄の様になれ』なんだろう。
歳の離れた兄は小さいころから優秀で、文武両道を絵に描いたような人物だった。県内トップの高校も首席で卒業。国立六大に入学し、海外に留学。官庁に就職できた。よほどのことが無い限り、将来は安泰だろう。
一方の俺は兄が優秀過ぎたせいか、何かができても親は満足しない。兄が基準になってしまっているのだから仕方がないと言われればそれまでだが、褒めてもらいたい時も多かった。
何をやっても兄に敵わない俺は、現実逃避を行い始める。初めはコミック。ゲーム、ラノベ……まぁオタクというやつですな。
幸い、我が家は父が一流企業の幹部なのでお金持ちの部類に入る。
兄が海外留学できたのも、そのお陰だ。
で、俺は苦労したくないので中堅の公立高校に進学。
ネットゲームで変なのとつるんでしまったのも悪いが、昼夜逆転。高校も不登校に。
親に怒られてもなんとも思わなくなっていた。しまいには親が折れ、なし崩しになる。
人間続ければ能力が上がるもので、俺はオタクスキルを無駄に伸ばすことに成功した。
アニメDVDや深夜アニメを横目で鑑賞しつつ、ポータブルゲームで遊ぶ。
そして、他人とのコミュニケーションはネットゲームのチャットだ。
これを同時に行えるほど器用になっていた。今後役に立つことはまずない能力だと思っているが……これは俺の特技、そうアイデンティティだ。
ゲームやアニメなどでよく出てくるアイテムやモンスターに関しては結構詳しいつもりだ。あくまでゲーム内の設定だが。
戦国時代や三国志などもゲーム化や女性化されたりもしていて、楽しんでいたのでそれなりの知識はある。と思う。
あくまでフィクションだしね。
これで俺、武居茂玄が文字を読むのが得意であったり、武芸が全然の理由も理解できた。三つ子の魂百まで。魂に刻み込まれた習慣とでもいうべきか。
俺の昔(?)は思い出せたが、なぜ今戦国時代に居るのか?
武居茂玄としての親兄弟との記憶は確かにある。
なんらかで転移して、偽の記憶が埋められたのであろうか?
いや、それは考えにくい。転移していたのであれば、同じくタイムスリップしてきた葵衣さん同様、昔の衛生環境には耐えられないはずだ。豊受気媛も同じ処置をしてくれるだろう。
そして、関係者の記憶を消すというのもおかしい。
では、転生か?
ならば、俺は死んだことになる。
令和二年のカレンダーが最後の記憶なら俺は高校二年で死んだことになる。死んだ理由はなんだ? 転生物の作品を思い出す。
『通り魔から後輩を庇って死んだ?』
それはない。俺には庇うような後輩はいない。
『会社間での契約を打ち切り、腹いせに線路に突き落とされた?』
それもない。俺は働いた事すらない。
『限定品を買いに行った帰りにトラックに轢かれ……』
ありえない話ではないが、そんなに運動神経は良くない。そもそも軍資金があるのだから、なんとか入手できる。
ではなんだ?
ふと、デジタル時計が目についた。
数字が表示される所がマイナス記号で点滅している。つまり、一度電源が落ちたという事だ。コンセントが刺さっているのだから、停電だろう。
色々思い出してきた。そう、あの夜は嵐が来て落雷が多発。パソコンには非常用電源を付けているから問題ないが、部屋の明かりが消えたのだ。
そう、思い出した! 部屋の照明を戻すために階下のブレーカーを確認しに行く。しかしその途中、暗かった階段で足を滑らせ転落。そのまま死んだのか――我が身ながら恥ずかしい。
…………
すべてを思い出した時、徐々に自分の身体を認識し始めた。
なんだか、柔らかい何かで包まれている気がする。それと仄かな優しい香。
目を開けて俺は顔を紅くした。
葵衣さんが膝枕をしてくれて、心配そうに俺の顔を覗いてくれたからだ。