第一章 第四幕 豊穣の女神と異界の天使
女天狗は武器を収め、俺たちと話しをすべく近づいてきた。
さんざん暴言と皮肉を言われたが、力の差は歴然。甘んじて受けるしかない。
三匹の小鬼。奴らに襲われた俺と葵衣さん。
森の中から現れた巫女のような少女と、女天狗に救われた。
怯んだとはいえ、葵衣さんの攻撃で一匹は倒された。よって手柄を立ててないのは俺だけだ。
信五郎は……さっきの悲鳴からの想像通り気を失っている。その点では、俺は勝ったのか? まぁ手柄は女性だらけ。虚しい比較はやめにしよう。
「我は戦乙女オルルーン。全知全能たる主神、オーディン様に仕えし者」
「ばるのあるるん? おじん様?」
俺は聞いたことの無い言葉を、空覚えで繰り返した。
「この僻地は思った以上に蛮国ね。無知で、発音もままならないとは……」
「では、もう一度」
女天狗は、一旦咳ばらいをする。
「我はオルルーン。世界の中心に聳え立つ、世界樹。主は全知全能なる主神オーディン様」
葵衣さんは、聞いたことの無い発音に怖気づいていない。
俺にはまだ発音がよく理解できていない。巫女姿の少女も、理解できていないようだ。
俺と少女の顔を見て、理解できないと思ったのだろう。
「まぁいいわ。とりあえず伝えておくわ」
女天狗の説明で理解できたのは、次の通りだ。
俺たちと別の邦がある。そこは大陸よりも遠くに在って、神様が治めている。
何らかの原因で邦が繋がってしまった。
あの小鬼たちが、この日本にも現れた原因となる。幸いこの邦の生物は定住性が強く、彼邦には行くことほとんど無いらしい。
つまり、女天狗は物怪ではなく、異邦の神か神の遣いなのだろう。
「この虫けら風情も、こんな地に出て死ぬなんてね……」
異邦の女神は、蔑んだ目で小鬼の死体を見る。
「あの……。その神様は、この邦を護っていただいている神様とは異なるのでしょうか?」
巫女姿の少女が恐る恐る質問した。そして、日本神話の概要を聴かせた。
伊邪那岐命、伊耶那美命の国産みの話。
天照大御神、須佐之男命ら姉弟の話。
そして天皇家に繋がる、国譲りの話。
俺も鵜呑みにしはしていないが……、一応は知っている。
「蛮国では、真実を知らないようね」
「あの、オルルーン様。恐れ多いのですが……多分邦だけでなく、異なる世界が繋がったのだと思います。そのユグドラシルという世界と、私たちがいるこの世界とが」
葵衣さんは事情を受け入れ、理解したのだろうか?
彼の邦の話は伝わっていない。そして彼の邦には、この邦の話は伝わっていない。
思ってみれば大陸の神話も異なる。大陸文学で読んだとき、不思議に思ったがそのままだった。
宇宙を創造した万古。大陸の世界の創生は、伏羲・神農・女媧。
そういえば、大陸の神々が日本に干渉したとは聞いたことが無かったが……。相互不可侵の暗黙の了解でもあるのだろうか?
そして異邦の女神の話が本当であれば、その了解が崩れたことになる。
俺たちの前に現れた小鬼は、異邦の世界から進出してきたものなのだろう。
神も仏も物怪も信じていたわけではない。しかし実際に体験した今では、信じざるを得ない。
葵衣さんが異邦の女神への説明が終わった時、光の球が現れる。葵衣さんが現れたのと同じ感じだ。また誰かが現れるのだろうか?
光の中から、美しい女性が現れる。葵衣さんが人の美であるなら、その女性は非現実的な美。どちらかと云えば異邦の女神に近い感じがした。異邦の女神が翠なら、この女性は黄赤色。日本神話に出てくる神を彷彿とさせる。
「異界の者が、吾の土地で何をしておる」
「汝は? 偉そうに話すけど、まずは名乗ったらどうかしら? 我はオルルーン。世界の中心ユグドラシルから異変を調べに来たのよ」
左手を胸に当て、高らかと名乗る。
「こんな僻地の者は無知で、知らないようだけど。蛮国でも、挨拶位はできるでしょ?」
偉そうというか喧嘩腰というか、異邦の女神が噛みつく。
「吾は豊受気媛。邦を産みし父、伊邪那岐命が子。豊穣の神にして、食神を統べるものなり」
「そう、汝が邦で――」
「しばし待たれよ。吾の使はし奴が酷い傷を受けている故。先に救いたし」
異邦の女神が言い返し始めたところ、比売神様が話を遮った。
「ふ、獣一匹。女神らしいけど、眷属は狐。魔女狐といった感じかしら?」
「珍天狗の戯れ言など、しがなきこと」
幽霊の次に現れた小鬼。その小鬼に斬られた獣。新たに現れた女神の話から、獣の正体は狐であるのだろう。女神は半分紅く染まった白い獣を抱き上げ、優しく撫でる。
「其方の戯れ事からの事とは云え、死ぬまでの罪ではない。其方の身体に新たな命を受け入れたもう」
比売神様は狐を静かに地に横たえた。そして何かを唱えると、周りが光り始める。
稲光が空に疾り、獣に落雷する。あまりもの光に俺は片手で顔を覆い、事の成り行きを見守る。
視力が戻ると、狐の姿は消えていた。そして代わりに長身の綺麗な女性が立っていた。
「この身体は――」
自分の身体を確かめるべく、両手を握ったり開いたり、頭を触り、背中からお尻に向かって眺める。
「ん? 獣耳と尻尾? なに、この身体?」
驚きと共に、ニヤリと笑ったように見えた。自分の胸の下に手を入れ、豊満さを確かめたみたいだ。
「死んだと思ったけど、生まれ変わったのかしら?」
身長は六尺余。すらっとした肢体を際立たせる、やや青味のかかった白地の小袖。色白の顔に、妖狐を想起させる黄色い眼。そして、身体に残った狐の耳と尻尾である。
比売神様は、軽く咳払いをすると、俺に話しかけてきた。
「そこの兵よ。吾が使はし奴が傷ついたのは、其方の行いからくるもの。異界の物怪も、それに引き寄せられたものぞ」
つまり、すべては俺のせいという事か?
「この地の使はし奴は戯れ事を行う。陽が陰りし刻、新たな沓を下ろすと、人を化かすぞな」
つまり、俺が葵衣さんに渡した足半が原因という事だ。死んだ婆ちゃんが『縁起が悪い』なんて言っていたけど、まさか現実に起きるとは。
葵衣さんに目をやると、彼女は少し申し訳なさそうな顔をした。
「そこの坊やは、人を守るのがどうのって、言い張っていたわね」
異邦の女神は意地の悪い笑みを浮かべて、俺を詰る。
「守るどころか、引き寄せた物怪に命を狙われるなんてね。そして、この有様。魔女狐様の邦はなかなかどうして、頼もしい事で」
俺と同時に比売神様をも蔑む言動。俺は言い返すことはできない。それでも比売神様はこの邦の神。味方になっていてくれる事がせめてもの救いだ。
異邦の女神、豊穣の女神。そして狐から変化した不思議な美女が加わり、この場は混沌としていた。
「えっと、状況をまとめたいのですが、宜しいでしょうか?」
葵衣さんが右手を少し上げながら、二人の女神の間におずおずと割込む。そして、それぞれの話を整理に入った。この面容を見て冷静でいられる彼女は凄い。
彼女はこの場にいる他の五人の顔を見る。女神二人が首を縦に振り、残りの俺たちもお互いの顔を見て、同意した。
「私は草彅葵衣と申します。清三郎さんの話から、この先の未来からやってきたみたいです」
彼女の自己紹介が始まる。全身がキラキラ光って見えたが、それは俺の目の錯覚であろう。なにせ最初は女神と間違えたのだ。きっと額にかいて、小鬼との戦いの汗か、この場の緊張の汗だろう。
「あ、俺は武居清三郎茂玄。志賀城城主、笠原新三郎様の家臣。主の命にて甲斐武田の動向に対し斥堠をしている」
唯一の男であるし、特徴もないから逆に浮いてしまっている。他の面々が強烈すぎるのだ。俺のせいではない。俺の下には、気を失っている信五郎がいる。そう、俺は会話に参加できているので、それだけで凄いのだ。と自らの存在価値を確認する。
「では、次はあたしが。あたしは蘆屋朱莉。陰陽師蘆屋道満を祖に持つ陰陽師です。そして、こちらが猫又の三毛介」
俺たちを助けてくれた、少女が深々と頭を下げて、名乗ってくれた。陰陽少女だったのか。
黒猫を大事そうに抱えている。これが猫又なのか。されど普通の猫にしかみえない。
「それじゃあ、わたしね。白雪蓉子。ちょっとした事故で死んだと思ったけど……なんか違う身体になっていたわ」
人(?)に生まれ変わった狐。多少狐の部位を残しているが、長身の美女。腕を胸の前で組みながら語る。
名字もあるし、憑依したという。葵衣さんといい、三人もの女性が名字を名乗るなど驚きが隠せない。
「再びになるが、吾はこの邦の豊穣の神にして、食神を統べるもの。蓉子よ。其方は吾の使はし奴に憑しものなり」
「つまり、そこの魔女狐の使い魔。この邦では妖狐ね。名前も同じだし」
クスクス笑う異邦の女神。どちらの女神が原因かは不明だが、蓉子と名乗った狐美女はそっぽを向いた。どちらの女神の言葉も腹立たしいのかもしれない。方や自分は眷属扱い、方や名前をからかわれたのだから。
「我が住まいしは、世界の中心たるユグドラシル。その主神たるオーディン様の配下にして戦士を導く戦乙女オルルーン」
右手を胸に当て、左手を大きく差し出し自らを名乗った。何度聞いても、よく聞き取れない。見たことのない仕草ではあるが、何故か大きな存在を感じてしまう。異邦たる所以だろうか。
「なるほどね。で、そのオジン様の下僕が何用なの?」
「使魔の分際で、その男共々無礼な事を!」
「この男が何を口にしたか知らないけど。怒っている所をみると、同じことを言われたのね。おっさんに使える天狗様」
確かに、俺は「おじん様」と聞こえた。でも、それは聞き取れなかったからだ。この蓉子さんは、異邦の女神に口で対等に鍔擦合い。傍で見ているだけだで何が起こるかビクビクしているが、男としてはおくびにも出すわけにはいかない。
「えっと、蓉子さんもオルルーン様も落ち着いてください」
「ふっ。我としたことが、情けない。そこの娘に免じて、続けるわ」
「この東の蛮国で起きた因果の崩れ。既に我が邦の妖魔が版図を拡大。その退治と原因究明が我が使命」
「えっと。ということは、豊受気媛様とオルルーン様の目的は同じ。二つの世界が繋がった事の解決という事で宜しいのでしょうか?」
「蛮国のせいで苦労させられているわ。元凶の邦を護る魔女狐・さ・ま」
「汝等の穢れし物を、吾の邦に持ち込むとは烏滸がましきこと。できぬ神に如何程の力があろうや」
葵衣さんの勇気ある行動。彼女の意に反して、まとまるはずの場は更なる溝を生む。異邦の女神に感じた恐ろしさを忘れ、女の罵合いを黙って見ている事しかできなかった。




