第一章 第三幕 首無し葬列と小鬼
俺の顔が強張っていたのだろう。葵衣さんが心配そうに声をかけてくれた。
「あの、清三郎さん？ 表情が硬いですけど……何かありましたか？」
薙刀を持つ乙女は平然としている。小首を傾げ、俺の顔を覗き込んできた。顔が近い！ いや違うだろう！
都育ちで、田舎の文化を知らないのだろうか？ あの音が葬列だと知らないのか？ そもそも月夜とは云え、こんな山奥に人が音を鳴らしてくる事自体が不自然だ。
音がする方向が徐々に明るさが増してくる。先頭を歩く、松明の灯だろう。それに連れ音も大きくなり、葬列だと確信を得た。
「あの不審な音が聴こえないのか？」
と問いても、小首を傾げ、不思議そうな顔をしている。斥堠という立場からも姿を見られてはまずい。とりあえず、まずは身を隠さねば――。
「あの、」
と声をかけてきた葵衣さんの口を押さえ、言葉を遮る。
突然の事で驚きの顔をしている彼女を視て思う。驚いた顔も可愛いな。いや違う、早く身を隠さないと。
彼女を、樹に登る様に急かす。しかし登ったことが無いという。高貴な人なら当たり前か。
俺は両手を組んで、そこに葵衣さんの足を乗せ、勢いをつけて上に飛ばす。木登りの経験は無いとは云え、天賦の才なのか、割と簡単に枝まで登ることができた。
彼女に木製の薙刀を投げ渡し、俺も続けて樹に登る。武術は苦手でも、樹登りなんかは朝飯前だ。
そして、自然と乙女を見上げる形になる。なんか嬉しい場面ではあるが、状況が状況だけに複雑な気分だ。
割と太い枝に腰かけ、様子を見守ることにした。
「あの、清三郎さん。急にどうしたんですか？ 樹に登るだなんて……」
少し息は上がっていつつも、呑気に質問する葵衣さん。
「え？ あの怪しい音が聴こえないのか？」
またもや不思議そうな顔をする。この異常な状態に接しても怪しいと思わないとは――その度肝の強さが、ある意味羨ましい。
「まずい。信五郎がまだ！」
「えっと。清三郎さん？」
「あ、いや……」
今から降りて、信五郎を起して戻る余裕はない。葵衣さんを樹の上に置いて、俺と信五郎が走って身を隠す考えもあるが――彼女を置いて逃げる事はできない。意味も解らない状況で、独りにする事はできないからだ。そして足が遅い俺が、逃げ切れる自信はない。それ以前に、ここで姿を見られ、斥堠が知れるのが一番の問題だ。
ここは信五郎が異変に気が付き、さっさと姿を隠してもらえれば……天に祈るしかない。
不気味な音が真下まで迫って来た。音の主は予想通り、葬列。
しかし、その葬列に参加しているのは全員首が……無い。俺の勘は正しかった。
このまま過ぎ去っていくのを祈るばかりなのだが――
ありがたい事に、俺の願いは叶い, 木の根元で首無しの葬列は四方に散らばっていく。
しかし、俺たちが登った樹の根元に欲しくもない置き土産をする。酒樽の様な棺桶だ。これから何が起こるのか。ここまで来ると固唾を呑むことしかできない。そして、ついでに信五郎の無事も。
瞬きをして、再び目をこする。信じられない事が起き始めていたのだ。葵衣さんに、不思議な手が迫る。桶の蓋の隙間から、湯気の様に出でる白い複数の手だ。
一方、俺には棺桶から出てきたのか、死人が登ってくる。動く屍は長い髪を垂らし、肉の一部が腐り骨も見えている。
《俺なんか悪いことしたか？》
美人の手前、格好良く護りたいけど、流石にこれは無理だ！
葵衣さんに眼をやる。伸びてきた白い手は、蜘蛛の糸の如く巻き付き、手の先は彼女の首などに迫る勢いだ。しかし、当の本人は焦っている俺を見て、不思議そうな顔をしている。
ゆっくりと登る死人。その手が俺の足に触れたとき、目をつぶり情けない悲鳴を出す。出会ったばかりとは云え、美人と一緒に死ねるのは幸せかも――
「コーーン」
獣の断末魔の叫びが耳を貫く。我に返り、生きている事を確認する。
俺の足を掴もうとしていた屍は消えていた。葵衣さんに絡まっていた、白い手も同じく消えていた。
安堵を覚え、葵衣さんを見る。しかし今度は彼女が驚いている。青白い顔をして、わなわなと震えていた。あんぐりと開いた口を左手で塞ぎ、右手が樹の根元を指していた。俺は恐ろしさも忘れ、葵衣さんの指している方向に自然と目を向ける。
「なんだ、あれは？」
俺は思わず声を出す。
緑色の肌を持つ小鬼が三匹。角の装いた兜を身に着けている。
武器を持っている鬼は話に聞くけど、兜を着けているのは見た事も聞いたこともない。
もちろん、鬼どころか物怪の類も初めて見るのだが。
一匹は血を滴らせた諸刃の短刀。残りの二匹は多数の釘を打ち込んだ木の棒を持っていた。いずれの武器も見たことが無い。
《ゴブリンか……》
『ごぶりん』？ 知らない単語が頭をよぎる。
「幽霊の次は、鬼か！」
己の不運を呪う。お師匠さんが言っていたな。良い事も悪い事も綿々と起き続けると。美人の葵衣さんに出会えた幸福。そして狂暴そうな鬼の出現。嬉しいやら悲しいやら。
しかし、これ以上は葵衣さんの前で醜態は晒せない。しかし気を引き締めようとするも、肝が据わらない。
鬼たちは樹の下から俺たちを見上げ、何らかの言葉で吠えている。明らかに俺たちを敵視しているのは理解できる。
もしかして、さっき俺が出した声が原因なのか？
短刀を持った小鬼は、木の棒を持った小鬼に顎で合図した。指示された小鬼は、手に持っていた棒で樹を叩きはじめた。
「結構、頭が良いんだな……」
客観的に分析している自分を否定して、次なる手を考える。
葵衣さんは強そうだけど、怯えている。そもそも俺は武術が全然。しかも三対二。
助かる要素が見当たらない――
いや待て。信五郎を加えれば三対三。決まり通り三人一組で行動していれば、仲間に援けを呼びに行けた。今は葵衣さんがいるから三人だが、怯えている葵衣さんに物怪の牽制は厳しい。
それ以前に、武士でもない彼女にそんな事はさせられない。援けを呼んできてもらう役割もあるが、顔見知りもいない、そもそも場所も知らないはずだ。
となれば、俺か信五郎が。いやいや。信五郎の腕っぷしは確かだが、物怪相手に通じるのだろうか。もちろん俺では勝ち目すら見えない気がする。
「きゃーー」
俺は声の主を見る。もちろん、葵衣さんだ。彼女は顔を両手で覆っていた。
奇跡は起こらなかったのか――。葵衣さんの声と仕草で想像はできる。信五郎に刃が向けられているんだろう。
信五郎はまだ寝ているのだろうか。寝ているのなら、そのまま逝けるのも楽かもしれない。一刀で仕留めてくれるのならだが。
「痛て！ なんだ清三郎！」
刃物を持った小鬼が、仕留めた獣を信五郎の顔に投げつけたのだ。そう、お前にくれてやる。次はお前の番でもあると言わんばかりに。
信五郎は犯人は俺だと思っている。確かに斥堠に出ていて、美人が現れて、俺が隠れ、鬼に斬りつけられるなんて夢にも思うまい。俺は今でも状況を呑み込めていない。
釘を打ち込まれた木の棒。刀の切り傷より、数倍の傷を負わせられるだろう。その武器を自慢しながら、信五郎へと歩みを進めていく。
案の定、信五郎の顔は絶望的な顔をしている。暗くて表情は確認できないが、残忍な笑みを浮かべているんだろう。信五郎の恐怖を味わいながら。
「ま、待て。お前らなんなんだ！ 俺に何の恨みがある！ 清三郎、何処に行ったんだ！」
「信五郎！ とにかく逃げろ！ 俺たちじゃ太刀打ちできない！」
信五郎は樹の上を見上げて、俺たちを確認する。しかし状況を確認する暇などないだろう。目前には自分を殺そうとする人外がいるのだから。
何か。何か手は無いのか？ この状況を脱する方法は。そして誰でも良いからなんとかして欲しい。
やぶれかぶれで、先ほどの御題目を唱える。目をつぶり、手をこすりながら。
さっきは葵衣さんに出会えたのだ。今回も何か起こるかもしれない。
「神様、仏様、御先祖様、
南無釈迦尼佛、
南無八幡大菩薩、
そして、おっかー」
「大蜘蛛！」
俺の声が届いたのか、少女の声が響く――
少女の声と同じくして、小鬼のものと思われる驚愕の声が聞こえた。信五郎の声ではない悲鳴を聴き、俺は右目を薄目からゆっくりと目を開け、現状を確認する。
声の主は、信五郎に襲い掛からんとした小鬼。小鬼は白い糸で巻き付けられ、動けなくなっていた。残る二匹は糸巻にされた仲間を見て、何事が起きたのかと一瞬動きが止まる。
木々の間から影がゆっくりと姿を現す。そして小鬼たちに歩みを進める。
歳にして十に満たない少女。緋袴が目立つ巫女の様な格好だ。
短刀を持つ小鬼が彼女に気が付き、身体の向きを変える。
樹を叩いていた一匹も、少女に視線を移す。標的を変更した様だ。
「助かった…のか？」
一人呟く――
恐怖で忘れていたけど、小鬼の目標は幼げな少女だ。
「危ない、逃げろ！」
自分が陥っていた立場を忘れて、大声で叫ぶ――
しかし、彼女は動きを変える気配はない。ゆっくりと小鬼に向かう――。
「野宿火！」
少女が右手を差し出し、小鬼に言葉を浴びせる。
ゆらりと飛び出した焔が、刃物を持つ小鬼の顔を覆う。
顔を炎で包まれた小鬼は、武器を落とす。その手で火を消そうとしていた。
「たーっ」
と気合が聞こえた。
横を影が過ぎたと思ったら、金属音が響く。
小鬼の兜に薙刀が打込まれた音だ。
つまり葵衣さんが飛び降りて、小鬼に攻撃した。相手は焔にて怯んだ小鬼。
「葵衣さん！」
俺は彼女に声をかけるのが精一杯で、動くことすらできなかった。
しかし葵衣さんの一撃は、兜の上からでも有効打だろう。
木製の武器であっても、あの高さからの攻撃だ。
普通なら最低でも気絶、最悪なら頭の骨が割られて死ぬだろう。
小鬼は炎で怯んではいたが、葵衣さんの攻撃も致命傷にはならなかったようだ。
首を二・三度振って、葵衣さんに鋭い敵意を向ける。小鬼、恐るべし。
攻撃開始の法螺貝の如く、咆哮を浴びせてきた。
一方の葵衣さんを見ると、薙刀の刃に当たる部分が折れている。
木製とは云え、武器は壊れている。俺も飛び降りて戦うべきだ。飛び降りて戦う意を決する。
「突きーっ」
再び、葵衣さんの気合が木霊する。
小鬼の咆哮は悲鳴に変わり、後ろに倒れた。そして動かなくなる。
手柄を立てた葵衣さんは肩で呼吸をしていた。
小鬼は攻撃前の気合を入れるべく咆哮し、上を向いたのが敗因だった。
その隙をついて、相手の喉元に攻撃。石突での寸分違わぬ突を入れていた。
俺は武術が全然。剣術がやっとだ。武器が壊れたら、それで終わり。
確かに薙刀には石突での攻撃方法もあった。
剣であっても、刃が折れたり、刃が欠ける事もあるだろう。血糊で切れなくなるかもしれない。そんな時に諦めたら、自らの死に繋がる。
実戦に入る前に知る事ができたのはありがたい。
しかし葵衣さんは見事に闘い抜いた。既に同じ様に闘った事があるのだろうか？
残る一体の小鬼は自分の不利を悟り、後ろに振り返り逃げ出そうとした。
「二人とも、無事でよかった……」
何もしていない俺だが、これは素直な気持ちだ。できれば『怪我は無いか？』と、格好良い事を言えたら良かったのだが。
逃げ始めた小鬼の前に、翼を纏った何者かが舞い降りる。
《天狗か？》
今日は摩訶不思議な事象が重なり合う日だ。
そして、なぜか天狗には恐怖は感じなかった。もう慣れてしまっているのかもしれない。
「キーー」
逃げ場を失った小鬼が、天狗に斬りかかる。
「ふっ、トロルドの風情が」
天狗の一声と共に、小鬼から血が噴き出す。小鬼の胸は槍で貫かれ、その場に倒れこみ動かなくなった。
天狗は槍を引き抜き、反動で小鬼の血を振り落とした。
糸で巻かれていた小鬼は、恐怖の面持ちを前面に出しているが動けない。
天狗はゆっくりと小鬼に近づく。逃げ出せない小鬼には、ゆっくりと近づかれる恐怖は如何程か――。
天狗は残忍な笑みを浮かべ、槍で止めを刺す。
「聖なる槍を、トロルド如きの血で汚すとはね……」
やれやれと言った声が耳に入った。
「ひっ」
信五郎の悲鳴らしき声が聞こえたが、天狗が襲った訳でもなさそうだ。多分、状況が呑み込めず、気を失ったのだろう。
天狗は女性だった。深翠の衣を身に纏っている。
肩から腕にかけて、肌を露わにしている格好は見たことが無い。そして、その顔の特徴も。
「こんな、僻地の蛮国にまで来ているとはね。まったく、手間をかけさせるわ」
小鬼を刺した時の腕前。命を奪っても余裕の表情。
物怪の類と、幾度も干戈を交えているのは自明の理だ。
そして、俺は重要な事に気が付く。この天狗は敵か、味方か。
「二人とも下がって！」
俺は大きな声で、葵衣さんと少女に声をかける。
そして、俺は樹を滑るように降りていく。飛び降りなかったところが流石は俺、という感じだが。
「そこの威勢の良い坊やはともかく――」
俺を蔑んだ目でちらっと見て、二人に視線を移す。
「槍擬きで倒した娘さんと、妖魔を使う嬢ちゃんはたいしたものね。
まぁ、『人として』ではだけど」
「あ、ありがとうございます」
葵衣さんは素直に礼を言う。しかし緊張は解いていない。
「何か御用でしょうか？」
少女は控えめながら、しかし核心を突く質問をした。
俺はとりあえず、二人の前に立って壁の役割をした。
「坊やも勇気があるのね。足が震えているようだけど？」
先ほどの槍で、俺の足元を指す。
「一応、これでも侍。人を護るのが仕事だ。震えは…そう、樹から降りたとき痺れたからだ」
意味不明な事を言ってはいるが、小鬼を一撃で仕留める天狗が怖い訳がない。
「茂玄さん、無理はしなくて大丈夫です。天狗様には戦う意思はなさそうです」
「揶揄い甲斐のある坊やね」
静かに笑みを浮かべる彼女に屈辱を感じるが、怖くて何も言えない。
「さっきの虫けらは、トロルド。汝の言葉を借りれば、妖魔。人に害する獣とでもいいましょうか」
話しぶりから、異邦から小鬼を追ってきたという事だろうか。
「さて、どこから話しましょうか」
女天狗が語り始めた。
