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W・B・Arriance  作者: 栗ムコロッケ
ジパング編
72/72

39.ありあけ


 「話は聞いた」



 ジパング国首都永安京。その中央に座する王の居城の最上階。

 広く向こうまで敷き詰められた畳、むせ返るようない草の香り、平野で唯一の高さを誇るその部屋を、開け放たれた襖から風が通る。

 中央に置かれた台座で肘掛けに腕を置き、だが決してもたれ掛かることなどなく、ピンと真っ直ぐ張った背筋の、般若の面の男――神使教国家ジパング国が王・鹿野 遠音しかのえんね

 能面の向こうからの視線を受け、側で膝をついていた険しい岩のような老侍――尾上 おのうえまつが代わりに口を開いた。


 「我が国は現在、鎖国解除を求め我らが王に仇なす武装集団"解の衆"の脅威に晒されている」





―――― ありあけ(Ariake) ――――




 そうした中、"解の衆"と幕府との間に立ち、歩み寄りに向け様々な活動を行っていたのが笠本であった。※巡礼船事業はその産物。

 ところが最近、笠本が"解の衆"と、表向きとは別に内通しているとの情報を得、今年の巡礼船事業では特に警戒を強めていた、その最中の今回の出来事であった。

 つまり、笠本はよしのとハニア誘拐の容疑者としてあげられているということだった。


 尾上「我々が一巡礼者のために動くには目立ち過ぎる。お前たち、芳也殿を捜すことと併せ、"解の衆"の企みを探ってきてほしい」

 すかさずエオルが噛み付いた。

 エオル「何故ただの巡礼者である我々に、そのような国家的な密命を? しかも、魔導師ですよ」


 王は笑いながら肘掛けに頬杖をついた。

 「安心しろ、魔導師。余は神など信じぬ」


 尾上「殿! 口が過ぎまする!」


 何を、言われたのか一瞬わからなかった。


 神使教総本山の、しかもその国家の王が、神使教を否定するような発言。言葉を探すことすら忘れ、呆気にとられるしかなかった。一体どういう意図で、このような発言をしたのか。






 エオル「あの……」


 フィード「ぎゃーはっはっ! 滑稽だな王さま!」

 慌ててエオルはフィードの首根っこをふん掴み、力ずくで頭を下げさせた。

 エオル「………………ええと、その……」

 尾上「芳也殿の同行者であるお前たちが捜す、これにどこか不自然な点が?」

 エオル「……そうですが……ですが、その"ゲノシュー"の調査というのは、」

 フィード「いいじゃあねえか」


 余計なことを言わないでとエオルの肘がフィードをつついた。だが、フィードは構わず続けた。

 フィード「ただし、俺様らが"セートーボーエー"! したところでてめえらに文句言う資格は無えぞ」

 尾上「"正当防衛"かは我々が判断する」

 フィード「なら交渉決裂だな」


 わざとらしくそっぽを向いたフィードを、渋い顔で睨み、尾上はやはり不適切だったかと結論付けたようだった。

 尾上「殿、仕方ありますまい」


 王「監視の者をつける手筈だ。より公正な考えの者をつけよう」

 尾上「……雪松ですか、アレは侍ではありませんが」

 それきり言葉を発しなくなってしまったその王の、能面の下の表情は伺い知ることは出来なかったが、何となくだが、笑っているように感じた。尾上も同じだったようで、一つ小さなため息をつくと、二人の魔導師に向き直った。

 尾上「案内の者を出す、その者の言うことを良く聞くように」

 フィード「なんでそんなエラそうなん、」

 直ぐ様、エオルの鉄拳がフィードの脳天に下った。


 尾上「……交渉成立だな」


 そうして尾上の拍手を合図に二人の前に差し出されたのは昨晩飲まされたあの"壮絶な味の霊薬"。思わずエオルの顔がひきつった。

 尾上「昨晩の量では一月ももたぬ」

 エオル(いやああああーーーー!)






 ◆



 夜が明け、辺りの荒涼とした殺風景が姿を現した。

 朝日に照らされる岩と枯木。生き物が住んでいることすら想像がつかない寂れた景色は、どこか故郷の砂漠を彷彿とさせた。


 廃城の窓から足を投げ出し、ぼんやりと眼下の景色を眺めていたハニアは、ようやく落ち着きを取り戻したのか、うとうとと舟を漕ぎ始めた。

 窓から落ちそうになったところ、がしりと襟首を掴む、青い手。


 ハニア「あ……ごめん」

 見上げた先は、額に生えた大きな一本角に、海のような真っ青の肌、垂れた眉に下がった目尻が気弱そうな細身の大男。

 ハニア「ええと、"青鬼どん"!」


 青鬼「……ま、窓から、お、落ちたら、あ、危ねえ」

 そうして片手で軽々とハニアを持ち上げると静かに床に下ろした。

 青鬼「ふ、布団で、ね、寝ろ……」

 そうしてのしのしと音を立てて去っていった。この不器用な親切っぷりが、兄のように慕っていた用心棒と重なるところがあり、ハニアはあっという間になついていた。

 ハニア「ありがとう! 青鬼どん!」


 そうして割り当てられた部屋に戻ると、途端に現実に引き戻された。

 記憶の手がかりを探すことを、国家の王に引き留められたことと、信頼していた笠本に誘拐されたこと、その先が、国と対立する反政府組織であること、様々なショックから、よしのはあの後直ぐ様高熱を出し寝込んでしまっていた。その額の汗を、起こしてしまわぬよう静かに拭き取り、ハニアはぽつりと呟いた。

 ハニア「よしのねえちゃん、大丈夫?」

 返事は、返ってこなかった。苦しそうな寝息以外静かな部屋で昨晩の記憶を辿った。






 誘拐先のこの廃城で、待ち構えていたのは笠本だった。まわりを取り囲むのは、青鬼をはじめとする、獣人のような人とは異なる姿形をした者たち。妖怪というらしい。笠本は言った。

 笠本「ここは都と西国の境界じゃ、この者たちは開国派"解の衆"に属する……見た目はアレじゃけんどええ奴らじゃ」

 青鬼「か、笠本どん、こ、怖がっとる」

 身を寄せ合うハニアとよしのの様子を、初めに気遣ったのが、青鬼だった。


 笠本「わはははーっ! なに、怖がることはない! 我々はちょいとカグヤ殿の影響力をお借りしたいだけやき」

 よしの「……影響力?」

 笠本「筋書きはこうじゃ」


 魔法圏から無事帰還したカグヤは、開国を推進すべしと"解の衆"に所属、広告塔として開国の正しさを説く。魔法圏との友好事業の"犠牲者となった英雄"が"解の衆"につけば、国民の開国に対する考え方にも変化をもたらす。


 笠本「なに、きちんと帰りの船にはお乗せする。だがそれまでは力を貸していただきたい、この通りじゃ」

 両の拳を床につけ、深々と頭を下げるその男からは、確かな真摯さが感じられた。

 ハニア「けどさ! こんな強引なやり方ないよ! 姉ちゃん震えてるし!」


 支えていたよしのの体は、みるみるもたれ掛かり、堪えきれず、ハニアはもろとも倒れ込んだ。

 ハニア「ね、姉ちゃん!?」

 笠本「酷い熱じゃあ……さすがにお疲れじゃったろう、申し訳ない。青鬼どん! 客人を部屋に」


 それから夜が明け、先程の窓際の話となる。

 ただ単に、一巡礼者としてやって来たはずなのに、なぜこのようなことに巻き込まれてしまったのか。父ならなんと言うだろうと考えた時に、浮かんだのは、ジパング正教の言葉である"縁"だった。

 ハニア(これも神様の思し召しだろう)

 どうした意図の思し召しかは分からない。だが、今そこに神から与えられたものがあるのであれば、真摯に、全力で、臨むしか無いだろう。そして、熱に魘されるよしのの寝顔を眺めながら、"真摯に"考え抜いた末の、ハニアの結論はこうだった。


 "ここから逃げ出す"。


 逃げ出すにしても、この城から出たとて、全く地理感覚の無い見知らぬ土地。フィードたちのもとに戻るアテなどあるはずもなかった。しかし、この状況を改善することで、少しでもよしのの体調が回復するのなら、ただそれだけが、ハニアに決心させた。


 「よからぬことを考えんじゃないよ」


 突然、背後から低い女の声。次いで流れる煙管の煙。

 振り向くと、フィードのように髪も肌も真っ白な、豪奢な装飾の重そうな着物をだらしなく纏った美しい女。

 「ボウヤ、地下の座敷牢には恐ろしい人喰い獅子がいてね、逆らう奴はみいんな、そこに放り込まれる。カグヤ殿はそんなことはないだろうが、ボウヤは"ただの一巡礼者"。一人いなくなったところで、笠本の力でいくらでも"いなかったことに出来る"。おわかり、ボウヤ?」

 ハニア「……よ、……ねえちゃんが熱出して魘されてるのは、どこのどいつらのせいだよ! 一日たってもちっともよくならないじゃないか!」

 「出来る治療はしてあげた。あとはその子次第だよ」

 ハニア「なにがねえちゃん次第だよ! お前たちが誘拐なんかするからだろ!」

 「かわいそうだけどね……こっちも必死さ」

 そうぽつりと溢すと、音もなく女は立ち去った。


 残された部屋で、ふつふつと沸き起こるのは反抗心。だが、自分より大きなよしのの体を担いで逃げられるほど、体力に自信はない。

 自分の無力さに、無性に腹が立った。


 「こ、今度は、な、何、め、めそめそしてっぺ」

 ふりかえれば、あさげと薬を運んできた青鬼の姿。



 ◆



 笠本「芳也殿の様子はどうじゃ、玉藻」

 穴だらけの天井からいくつもの光が差し込む廃城の最上階、煙管をふかしながら、光の柱を縫うように、白い女は気だるそうに欠伸した。

 玉藻「本当に大丈夫なのかい? 使えそうもないじゃあないか」

 薄暗い壁際の暗がりから、いくつもの異形の瞳が笠本に向いた。笠本の指先がジャリジャリと顎を擦った。

 笠本「ふむ、困ったのー……ひとまずは作戦通り都に噂を流そう。始めてしまえばこちらのもんじゃあ」


 「かさもと」


 窓際に、一羽の烏。導かれるように窓から覗くと、荒野を駆けるハニアと、青鬼、その背中にはよしのの姿。背中に突き刺さる玉藻の視線に思わず額をおおった。

 笠本「あちゃあ」






 ◆



 活気溢れる大通りを僅かに逸れ、夜は恐らくきらびやかであろう飲み屋街を抜け、たどり着いた朱塗りの門。金銀装飾が施され、これまで通ってきた質素な町並みとはまるで比べ物にならないほど別次元のド派手さだった。

 すぐそばの勝手口のような小さい扉を叩いた。しばらくして反応がないため、再度叩くと、少しして、中から気だるそうに小汚い男が出てきた。

 「なんだい、こんな"朝っぱら"から」

 太陽は、すでに天高く昇っていたが、男は至極眠そうだった。


 尾上は鍔に王家の紋の入った刀を見せ、憮然としていた。それを目にするや否や、男は叩き起こされたように背筋を伸ばし、膝をついた。

 「御無礼、お許しくだせえ……!」

 尾上「紅蓮太夫を」

 男は腰を低く、扉の奥へと通してくれた。


 表門と同じくらい、その舘の中はきらびやかで、だが通りのように広い廊下の左右には、朱塗りの檻がいくつもあり、営業していれば何かが放たれているようだった。

 フィード「動物園か何かか?」

 エオル「動物を入れておくには狭くない?」

 二人の魔導師は、この"神使教の印象とはあまりにもかけ離れた"舘について、あれこれ推測しながら男と尾上の後に続いた。


 一番奥の、まだ無人の番台の前まで着くと、男はその奥の暖簾に首を突っ込んだ。

 「女将、役人さんです、紅蓮太夫に用事があると」

 すると暖簾から、これまた気だるそうに"分厚い"厚化粧の恰幅の良い老婆が煙管をふかしながら現れた。


 「うちの紅蓮に何か」

 尾上「王の特命だ」

 「あの子はもうお上の仕事は辞めたんだ。今はただの"金魚"だよ」


 なにやら、尾上と老婆がもめ始めた。


 フィード「話が全くわからねえ」

 エオル「いろいろ察するに、俺たちの侍の代わりがそのグレンダユーさんで、だけど今は侍じゃないから王様の命令は受けないって主張してるんじゃない?」

 フィード「ヒマだなー早くしろよ」

 エオル「こ、こらフィード!」

 じとりと、案内の男の視線が突き刺さった。

 エオル(ひーっ!)

 フィード「なんだこら、ガンくれやがって」

 「あんたら巡礼者だろ? この国の言葉しゃべってるやつ初めて見たぜ」

 フィード「俺様はお前みたいに髪も目も鼻の穴も真っ黒いやつ初めて見たぜ」

 男はゲラゲラ笑いながらフィードの肩をバシバシと叩いた。

 「あんたら金持ってっかい? 夜に遊びに来なよ」

 エオル「夜にやってる動物園なんですか」

 再び、男はゲラゲラ笑いながら、今度はエオルの肩をバシバシと叩いた。

 「ここは"金魚鉢"! 神使教ってうっくつした"俗世"から切り離された、楽園さ!」

 フィード「よくわかんねー」

 エオル「…………娼館ってことですか?」

 「平たく言えば」

 フィード「平たくねえぞ、わかんねえ、結局何屋だ」

 エオル「キャ……キャバクラみたいな?」

 フィード「おー! ここがジパングのキャバクラかー」

 ということは、そのグレンダユーというのはこの娼館の用心棒ということだろう。確かに、治安を守るものを欠くことはリスクであろう。突っぱねるのもわからなくはなかった。

 フィード「面倒臭えなあ、他にいねえのかよ」

 エオル「公平な考えの人ってことだから、神使教徒じゃないサムライってことなんじゃない? そもそもこういうお店自体神使教にはそぐわないものだし」

 フィード「神使教徒だのそうじゃないだの、ややこしいなあ」

 やがて、静かな館内で長々と口論が続いたためか、二階部分の窓のような襖が乱暴に開いた。


 「五月蝿いね、何時だと思ってんのさ」






 一重の薄い瞳に雪のような肌の、いかにも"キツそう"な女。女将はしまったと眉間を押さえた。

 尾上「雪松! 王からの勅命、」

 雪松「ももちゃん!」


 尾上の姿を見るや、女は窓から落下せんばかりに身を乗り出した。

 雪松「かぐちゃんが帰ってきたって聞いた! ももちゃんも一緒なんでしょう!?」

 尾上「……市松桃次郎は一緒ではない」

 途端に女は項垂れ、窓の縁に突っ伏した。


 フィード「なんだお前、あいつの知り合いか?」

 巡礼者の格好をした、二人の異人。女は再び目を輝かせ、身を乗り出した。

 雪松「あんたら、知ってんのかい!? いちまつとうじろう!」


 すかさず、尾上が割って入った。

 尾上「王からの勅命だ、この二人の異人の侍がおらん」

 女は途端に気だるそうに、頬杖をついた。

 雪松「なんだい、お侍さんはそんなに人手不足なのかい、普段威張り散らかしてる割には肝心なときに」

 尾上「芳也殿が"解の衆"に拉致された」


 場の空気は一瞬にして張りつめた。


 尾上「"解の衆"には西国の強力な妖怪どもが次々と集まっておる」

 雪松「だから?」

 尾上「この者たちは芳也殿が付き人の魔導師だ」


 その一言に、これまで親しげに話していた案内の男は後退りしはじめた。

 「魔導師っつったらあれだろ? 鬼みてぇに強くて、それでいて人間を食うんだろ」

 エオル「食べませんよ!」

 フィード「オニってなんだ?」

 尾上「……鬼とは西国の実権をほぼ手中にしておる凶悪な種族だ。頭に角を生やした者を見つけたら、即刻逃げろ。決して立ち向かってはならん」


 雪松「そんな化物どもの巣窟にその子たちとアタシを送り込まそうってのかい?」

 尾上「……芳也殿が桃次郎と"血縁"だとわかれば、少なくとも鬼どもは危害を加えんやもしれ、」

 雪松「ももちゃんが厭がることは、絶対にしない」

 その声色は冷たく、重く、そして低かった。


 雪松「まあでも、かぐちゃんも昔のよしみだ、助けに行ってやってもいいよ。侍なんて寄越したら、西国と戦になりかねないだろうし、かぐちゃんは魔導師だし、アタシって人選は、わかったよ」

 尾上「もう一つ。笠本の件だ。芳也殿の担当だった」

 くだらない、と鼻で笑うと雪松は部屋の奥へと下がっていった。






 まったく話が読めない。たまらずエオルは質問した。

 エオル「ええと……今の方がグレンダユーさん?」

 尾上「左様。呼び名は雪松でよい。侍ではなく、忍者だ」

 フィード「なんだそのマズそうなやつ」

 エオル「……ニンジンじゃなくてニンジャね。なんなんですか、忍者って」

 尾上「笠本の代わりだと思っておればよい。笠本の件もあやつに任せておけばよい」

 エオル(ああ……あんまり国情には触れるなってことか)


 そうして返る踵。

 尾上「武運を祈る」


 尾上が去ったタイミングを見計らったかのように、番台の奥から、先程とは打って変わって、長い髪をキチンと結い上げ、小紋のシンプルな着物を身に纏った雪松が現れた。

 雪松「女将、ちょいと店空けるよ」


 活気溢れる通りをこなれたようにすいすいと、雪松の背中をついてゆく"しか"ない二人の魔導師。なんともいたたまれない、右も左もわからない、形容し難い居心地の悪さ。

 フィード「おい、どこいくんだ。つーかお前誰?」

 思い出したと雪松はすまなそうに苦笑しながら振り返った。

 雪松「ごめんなさいね、私は雪松。あなたたちは?」

 フィード「名前聞いてんじゃね、」

 直ぐ様、エオルの鉄拳がフィードの脳天に降り注いだ。

 エオル「この白いのがフィードで、俺はエオルといいます。それで、オノウエさんから全く何も聞いていないので話がよく見えないのですが、貴女は一体何者で、これから一体何をしようというのですか?」

 雪松「……難しいお名前ね、よーるさんに、いーどさん?」

 エオル(……違うけど……まあいいか)


 雪松「これから馬を借りに行くの。犯人たちの根城はずっと遠くの西の国。詳しい居場所は、そうね、適当に妖怪の一匹でも取っ捕まえて吐かせればいいでしょう」

 いわく、妖怪とは、人間と文化に一線をかす異種族の総称で、特に西の国に住む妖怪たちとは永年にわたり対立関係にあるとのことだった。


 エオル「どれだけかかるんですか? その西の国までは」

 雪松「……普通の馬なら三日三晩走らせてようやく関所に着くってとこかしら。やつらがどんな馬を使ったかはわからないけど」

 エオル「どういうことです?」

 雪松「芳也かぐなりは元侍よ、本当に三日三晩かけていたら、スキをついて逃げられる能力はおありになるわ」

 エオル「……さっき、カグヤとトウジロウが血縁だって言えばオニがなんとかって……」

 雪松「ああ、あれは忘れて。ところで、ももちゃ……桃次郎様はお元気なの?」

 フィード「元気すぎて殺されかけた」

 袖で口元を隠しながら、その下で雪松はクスクスと笑っているようだった。


 エオル「お知り合いなんですか」

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの自慢気な顔で雪松の懐から出された古ぼけた紙切れ。

 エオル「ん?」

 なんと書かれているのかはわからないが、ガタガタな文字、小さな子が書いたものであるように見えた。その下の方には干からびた血判。


 雪松「私とももちゃんはずっっっっっ~~~~~~っと! 昔から夫婦になる約束をしているの!」


 僅かな沈黙。

 エオル「はい?」

 雪松「許嫁なの」

 エオル「ええっと」

 雪松「だから、私はももちゃんと同じ魔導師であるあなたたちを、差別的な目でみたりなんかしない。それと、あたしは元々幕府直属のくの一だったの」

 エオル「バクフ? クノイチ?」

 雪松「ようは、王のために警護やら偵察、暗殺、侍じゃ手の届かないとこをやる、何でも屋よ。侍が表なら忍者は裏。だからいざというときにあなたたちを守ることができる力も兼ね備えている、それが今回の選別理由ってところね。さ、ついたわ」


 簡素な家々の中から突如現れた、屋敷だろうか、外壁に囲まれた広い土地。立派な瓦屋根の門を潜り抜けると、庭先で木刀をもった何人もの男たちが一列に素振り稽古をしていた。

 エオル「道場か何かかな?」

 すると、その中の一人が指を差しながら近づいてきた。その顔には、どこかで見覚えがあった。


 「貴様ら、笠本はどうした!」

 そうだ、町中で喧嘩した際にやって来た浅黄色の着物の男だ。すかさず、雪松の白い指が男の顎を一撫でした。

 雪松「そういきなり怖い声出さないどくれよ、局長さんはいるかい?」


 一瞬延びかけた鼻の下を咳払いで正し、男は怪訝そうに二人の魔導師を一瞥した。

 「そのほうたちは巡礼者ではないか。ここに一体何の用があるというのだ」


 「どうなさいました?」


 奥からにこやかに現れた着流しの若い男。堂々とした出で立ちだが、あどけなさも感じられる、どうにもつかみどころの無い、まさに飄々とという言葉が相応しい男だった。


 「磯田さん」

 磯田と呼ばれたその男は雪松に気付くと、どこか嬉しそうに会釈した。

 磯田「太夫、こんにちは、珍しいですね。局長ですか?」

 雪松「ええ、馬を拝借したくて。局長さんのところまでお通し願えるかい?」

 磯田「なんだ馬か……それなら僕の隊からお出ししますよ。三頭でしょうか? 」


 「磯田隊長! そんな勝手な……」

 磯田「僕の隊は遠征の予定はないし、巡回は足で回れば鍛練になりますよ、何より未来の女将さんの頼みとあらば」

 雪松「あんたらんとこの局長と結婚なんかしないよ、なんだい脅しのつもりかい? 交換条件ってやつ?」

 お人が悪いと磯田は腕組みしながら笑った。

 磯田「いやだなあ、僕そんな意地悪に見えます? 馬は当然ただでお貸ししますよ。ちなみにどちらまで?」

 雪松「この坊やたちとちょいとね」

 磯田「局長悲しむだろうなあ」

 雪松「変な意味じゃないよっ! まったく、時間がないんだ、さっさとしとくれ」


 丁度のタイミングで、初めに出迎えた男が仲間と共に馬を連れてきた。雪松はコソリと二人の魔導師に囁いた。

 雪松「ここは都の中でもイイ馬を持ってるのよ」

 エオル「なるほど……」


 そう応答するその表情はどこか浮かない。

 雪松「あら? もしかして馬に乗れない?」

 エオル「いえ……乗れ、ます……」

 フィード「ゲロ吐きながらな」

 学生時代の馬術の授業は馬酔いするエオルにとって本当に地獄だった。最早、馬の背中のラインを見るだけで吐き気をもよおす程だ。

 雪松「アハハハ! 馬に嫌われないようにね!」






 ◆



 ハニア「急いで! 青鬼どん!」

 草木一つ無い荒野をただひた走るハニアと青鬼どんと、その背中にはぐったりと息の荒いよしの。

 青鬼「だ、大丈夫かなあ……」

 ハニア「大丈夫かどうかじゃない! やるしかないんだ!」


 青鬼「ハ、ハニアどん」

 急に首根っこを掴まれたかと思うと、間髪入れずに足先に落下した"何か"。

ハニア「何!?」

 青鬼「あ、赤鬼どん……!」

 

 眼前には、青鬼とは対照的に、頭に二本の角を生やし、筋骨隆々と大きな腹が出っ張った、トマトのように全身真っ赤な虎柄のパンツの大男。

 赤鬼「鬼の恥さらしが……!」


途端、真っ赤な拳が青鬼の頬にめり込んだ。青鬼と共に吹き飛んだよしのに気付き、赤鬼はしまったと頬を掻いた。

 赤鬼「二人の人間は無傷で持ち帰るんだった」


 ハニア「青鬼どん! 青鬼どん!」

 慌てて駆け寄ったハニアに対して、青鬼は力なく首を横に振った。

 青鬼「て、抵抗したら、だ、ダメだっぺ……」

 真っ赤な拳に首根っこを掴まれ宙吊りとなったハニアは手足をバタつかせて必死で抵抗した。

 ハニア「離せっ! 離せよ」

 赤鬼「ダメだ。お前は連れ帰る。ええと、それからもう一人、」


 「お離しくださいまし」


 フラフラと体を前後左右に揺らしながら、ユラリと立ち上がるその姿は明らかに意識朦朧としているのが見てとれた。

 ハニア「ねえちゃん!」

 よしの「嫌がっておいでです。お離しくださいまし」

 赤鬼「……生意気な人間め……! 無傷でと言われたが、もう意味ないしな!」

 そうしてバキバキと赤い拳が鳴った。


 よしの「ボウイサナ!」


 足元を中心に風が渦巻く。

 光を放ち姿を現した青い宝珠は青く輝きだし、中から滝のごとく水が飛び出し、龍の姿を形作った。

 赤鬼「ぬうっ! 珍妙な術を」

 

 赤鬼が拳を構えたと同時に、龍はその巨大な口を開け――その途端、何かの合図がかかったかのように龍は宝珠の中へと戻って行った。


 ハニア「ねえちゃん!」

 駆け寄ったその先にはぐったりと横たわるよしのの姿。

 ハニア「……熱が酷くなってる……!」

 背後から、二本角の大きな影が伸びた。






 ◆



 笠本「はっはっは! やってくれたなあ"金魚坊"」

 再び廃城に連れ戻されたハニアは俯いたまま顔をあげることはなかった。頭の先で笠本のあごひげを擦るジャリジャリという音が聞こえた。


 笠本「だめじゃろー、青鬼どん。ところで頬の怪我は大丈夫か?」

 青鬼「お、お許しくだせぇ……お、お許しくだせぇ!」

 赤鬼「なんでお前はそんなにバカなんだ!」

 めそめそと青鬼どんは鼻水を滴ながら泣き出した。


 笠本「まあ、そういうな。青鬼どん、仕事を頼みたい」

 青鬼どん「な、なんでもすっぺぇ、お、お許しくだせぇ……」

 ニカリと投げ掛けられた笑顔、その声色はいつもの笠本だった。


 笠本「また逃げられては困る、"地下の座敷牢"に入ってもらおうと思うちょる」


 地下の座敷牢、その言葉に青鬼の表情は凍り付いた。笠本は続けた。

 笠本「青鬼どんには"万が一"のために二人を警護して貰いたい」

 青鬼「ちっ、地下の、ざ、座敷牢……」


 すかさず、赤鬼が待ったをかけた。

 赤鬼「待て待て、我らが同胞を"あの化物"の根城に放り込むと言うのか」

 笠本「化物とは、些か口が過ぎるぞ、武家の名門、紗綾形さやがたの血筋だ」

 赤鬼「何が血筋だ。家から追い出された"落武者"だろうが。しかも、"刀が持てない"」


 煙管から白煙が舞った。あの、白い女――玉藻だった。

 玉藻「あんた、地下で同じこと言ってみな」

 それ以上赤鬼が反論することはなかった。


 今度は笠本に向け、玉藻は続けた。

 玉藻「大事なお客が食われちまったらどうすんだい」

 笠本「そうならないために青鬼どんに警護をお願いすんやちゃ、お客に座敷牢に入ってもろうんは、我々の"真剣さ"ちうもんを分かってもらうためじゃ」

 玉藻「……勝手にしな」


 ハニア(地下の……座敷牢……)

 脳裏に過るは玉藻のあの言葉。


 『地下の座敷牢には恐ろしい人食い獅子がいる』


 脱出という自分の決断が、とんでもないことを招いてしまった。"とてつもない後悔"という獣に、背後から一気に襲いかかられた、そんな気分だ。血の気が引き、頭はごめんなさい、許してください、そんな言葉で埋め尽くされた。

 笠本「いいな? "金魚坊"?」


 口をへの字に曲げ、必死に突いて出てくる言葉を飲み込み、堪える涙目はギラリと笠本を睨み付けた。それが精一杯だった。






 ◆



 薄暗い地下。


 ジメジメとカビと埃でむせかえりそうになる、その更に奥の奥。

 襖を開けると枯れた生け垣がいくつも壁のように視界を遮り、先が見えない、だが土臭さの無い、不思議な部屋。床は、張り替えてほど無い真新しい畳ものだったが、畳と生け垣というなんとも奇妙な空間。

 背後の襖が閉められ、部屋にはハニア、青鬼、そして熱に浮かされ意識の無いよしのが取り残される形となった。


 青鬼「し、静かに……お、音を立てたらダメだっぺ……み、見つかったら、く、食われっぢまう」


 生け垣の向こうに、蠢く巨大な何かの気配を感じる。

 ハニア「な、なに!?」


 生垣の向こうからひょっこりと顔を出したのは顔中包帯に包まれた男。その姿にハニアは思わず叫び声を上げた。


 ハニア「わーーっ! ミイラ男だーーっ!」

 ミイラ男の視線が三人に順に移った。そしてよしのに視線を止めたところで、今度はミイラ男のほうが叫び声を上げた。

 「わーーっ! お、おなごっ!」


 ハニア「……はい?」

 青鬼「こ、こうしろうどん!」

 とっさに生垣の裏に隠れたミイラ男――紗綾形さやがた 幸白羽こうしろうは、再び顔を出した。


 幸白羽「あ、青鬼さんではありませんか」

 ハニアはミイラ男と青鬼を交互に見上げ、首をかしげた。






今回からしばらくおやすみします。

創作意欲が戻ってきたら再開します。

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